返すべき言葉がわからなかった

藤原遊人

返すべき言葉がわからなかった

あのとき、私が掛けられた言葉は日常生活でよく聞く言葉だ。

なんなら家の近くのコンビニエンスストアでも聞くことができる。まあ、その店員さんが恥ずかしがりで声をあまり出さないとかでなければ、と注意書きがつくが。


でも、まあそのぐらいのありふれた言葉になんて返事するべきかわからなかったことがある。

私に掛けられた言葉は「ありがとうございました」である。

普段なら「いえいえー、どういたしまして」と返して終わりだろう。

それがどうしたことだろう。あのとき、あの文脈で、投げかけられたからこそ、いつまでも心の奥底にトゲのように刺さって、なにかふとした瞬間にチクリと痛む。


あの日は、底冷えする寒い朝だった。

朝靄が見えるほど、寒暖差のある場所。鬱蒼とした山を覆う霧が、より辺り一帯の不気味さを助長している。

ガサリとした感触の作業服には、各種の機材が取り付けられて、装備を背負うために巻き付けられたベルトや紐で絡まって転がりそうなほどだった。


「これより、先遣隊は救助に向かいます!」


他人事のように自分の声を聞いている気がして、意外とパニックになっているのだと客観的に判断をくだす。


新人らしい元気の良い気合いの入った返事、一方で新人というには少し草臥れた装備。

現場、3年目という中途半端な新人の私は大卒という資格があった故に、救助という重要任務の現場責任者になることになった。


「隊長、大丈夫ですよ。慌てなさなんな」


こんなぺーぺーな私を支えてくれる頼りになる臨時の部下たちとともに、飛行機事故があったという山に登ることになった。


その事故の知らせが来たのは2時間ほど前。その報せが来てすぐにこの救助隊は編成された。仲間たちが乗った飛行機は、警告音を発しながらも「なにも問題ない」と言いながら、山中に消えた。連絡が途絶える直前、飛行機は低空飛行をしていたというから、おそらく山のどこかに不時着していると私たちは信じている。

山にぶつかったとしてしまっては、この救助隊が救助隊でなくなってしまう。


目の前に聳える山のどこかで、帰る手段をなくした仲間たちがいる。だから私たちは山を登って場所を特定して、場合によってはヘリコプターを、歩けるようなら車の場所まで彼らを案内しないといけない。

その隊長が慌てるだなんて、あってはいけない。ヒヤリと冷たい空気を肺いっぱいに取り込んで、深呼吸する。


「あ、あの」


出発、というタイミングで一人の女性に話しかけられた。

朝方ということもあり、被服は少しラフなものの上にエプロンをまとった女性。いかにも誰かのお嫁さんの様相だが、私たちに用事があるなら、きっとそれは誰かじゃない。きっと仲間の奥さんだろう。


「あの人をよろしくお願いします」


背後にいる隊員の誰かから、今行方不明になっていて、これから私たちが探しに行く仲間の奥さんだと告げられる。


「尽力いたします」


マニュアル通りの返答をして、そっと彼女の手を握り、その手の中に飴玉を1つ落とした。


こういうときに、頼りないと言われがちな女性隊員である私にすら敬意を表してくれる仲間の奥さんの力に少しでもなりたかった。なぜなら彼女はあまりにも顔色が悪くて、今にも倒れそうに見えたから。

渡した飴玉は山登りで疲れたときに舐めようと思って栄養補給食代わりに持っていたのだけど、きっとそれよりも彼女の怖張りを解くために活躍するほうが飴も本懐だろう。


「中でお待ちください」


門の付近で私たちの出立を見送りに来ていた別の仲間へアイコンタクトで指示を出すと的確に意図を組んでくれて、ふらつく彼女に肩を貸してくれた。

きっと救助本部のテント端に連れていってくれるだろう。


山登りは普通にキツかった。飛行機がレーダーアウト、つまり消息を絶った地点へ向かうには山に備え付けられた道ではないところを踏み抜いていかないといけない。

時には腰にあるナイフを振るって、枝を切り落として道を作って進む。疲労対策のために先頭の者を何度も入れ替えて、途中、少しだけ開けた場所で水分をとる休憩を挟んで、そうしてようやく現場に到着した。


先に行方不明者を見つけたのは私の指揮外にある別の方向から山を登った救助隊で、私たちはその彼らの案内で現場に辿り着けた。

あたりに散らばる瓦礫、白い鉄のドアが地面に突き刺さっていて、その近くには自分らが履いているブーツと同じ靴が落ちていた。医者ではない私たちに生死判定は出せないが、これはどう見ても……。まぶた裏に、大切な配偶者の救助を私に託した一人の女性の姿が浮かぶ。


「連れて帰ろう」


私が言わなくてもみんなそのつもりで動いてくれていて、担架にはすぐ仲間が乗せられた。一人なのか、二人なのかすらわからない。そういう状態だった。

気持ち悪くなるような焼け焦げた鉄やプラスチックの臭いが鼻につく。


そんな中、私の連れてきた班員たちも、先についていた別の班員たちも「一緒に帰ろうな」とか「奥さんが迎えに来てたぞ」とか声をかけながら要救助者たちをかき集めていく。


こうしているうちに救助隊の第二陣が到着した。私たちがした仲間をヘリコプターに預けて、私たちの主任務は終わった。


私たち先遣隊の任務は場所を探すことと、救助者の位置を伝えることだ。

だから後続としてやってきた第二陣は、私たち先遣隊と比べると装備も人員もレベルが高い。先遣隊はちょうどそこら辺にいてすぐ出れる人で組まれるから新人ばかりになりがちだ。そんな先輩だらけの第二陣の救助隊は先遣隊の私たちを見て、先に戻ると良いと優しく言った。


いつの間にか朝靄に覆われていた天気は晴れて、空には太陽がのぼりきっていた。道無き道を通って、要救助者を探した私たちの姿は切り傷や泥に塗れて、確かに先に戻った方が良い格好だったに違いない。


こうして、下山した私たちを出迎えてくれたのは出発を見送ってくれた仲間と、そして、先に戻っていた要救助者だった仲間たちだった。戻り次第、医師に診てもらえたようで、白木の棺が並んでいる。


そして、その場には、私に想いを託してくれたあの女性もまだ待っていた。

戻ったときには、夕日も落ちてもう真っ暗だというのに、彼女はここで一日過ごしていたらしい。託されたのに助けられなかった、救助隊のくせに発見することすらできず。

既に大破していた飛行機に対して私という一人の個人が何ができたとも思えないが、それでも託された想いに応えられなかった悔恨はある。


今になって出立時に声をかけられたらどうするかについて、マニュアルに書いてある返答が「助けますから」ではなく「尽力します」な理由がわかる。

努力してどうにもならない無力を感じる事態があるからこそ、返答はぼかさないといけないのだろう。


「あ、あの」


彼女に呼び止められて立ち止まる。


「ありがとうございました」


私たちが山で集めた仲間。彼女にとっては大切な配偶者を前にして、泣きもせず、ただお礼を言って頭を下げる彼女になんて答えたら良かったのか。何年も経った今ですらその答え方がわからない。


あのときのまだ幼くて、新米だった私は彼女にただ敬礼を返すことしかできなかった。

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返すべき言葉がわからなかった 藤原遊人 @fujiwara

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