空手家のケジメ(笑)

真•ヒィッツカラルド

【空手家のケジメ】

今俺は、近所の神社の境内に居た。


時間は夜の九時を少し回ったぐらいである。


神社は電灯が有るが人気は感じられない。


周囲は木々に囲まれているから近所の家から境内は見えないだろう。


「ふっ……、ふんふんっ!!」


俺はステップを踏みながらパンチを数発ほど素早く繰り出した。


シャドーボクシングのジャブだ。


だが俺はボクサーではない。


首にはタオルを巻いて、ジャージの上には白い道着を着込んでいる。


腰には使い古した黒帯を巻いていた。


俺は空手家だ。


降臨会館空手道三段である。


俺の名前は大月太郎二十五歳だ。


俺が空手を始めたのは十五歳の夏休みだった。


喧嘩に負けて、悔しがっている俺に父が近所の空手道場に通う事を進めてくれたのだ。


それ以来十年間、俺は空手にズッポリスッポリガッポリとはまってしまった。


毎日毎日と身体を鍛えて、空手技の稽古に励んだ。


そんな十年間を青春として送って来た。


それが辛くても楽しかった。


そして、去年は空手の大会で準決勝まで進んだ。


初めて記録らしい記録を残せた年である。


しかし、大会に参加するのは今年が最後である。


三年前の話だ。


大恋愛の末に結婚した妻と約束したのだ。


子供が出来たら大会には参加しないって──。


そして、妻は子供を身籠った。


今月で八ヶ月になる。


来年には、俺もいっぱしの父親になるのだ。


空手を辞めろとまでは言われなかったが、より危険な大会への参加は禁止された。


それもそうだろうさ。


何せ俺も親になるのだから──。


親父が空手馬鹿になって、身体を壊したら話にならない。


空手の実戦を続ければ、何時なんどき身体を不自由にするかも知れないのだ。


身体が利かなくなって、仕事が出来なくなれば子供を育てられない。


頭を打って馬鹿になったら、それこそ妻に迷惑が掛かる。


だから実戦に近い大会参加を禁止されたのだ。


これは、仕方がない話である。


俺と同じような理由で大会に出れない門下生の親父たちも少なくない。


妻が心配する理由も無理がないのだ。


だから、今宵はケジメをつけに来た。


そう、空手家人生としてのケジメである。


本来なら今年の大会で、一回戦で当たる筈だった先輩が居た。


神山竜虎先輩だ。


俺より五つ上で、俺は大会で一度も勝ったことがない先輩である。


個人的に憧れていて、尊敬もしている。


空手家としての、俺の目標的な存在であった。


理想だったのだ。


そして、今年の一回戦で、偶然にも神山先輩と当たる筈だった。


だが、神山先輩は、当日試合会場に姿を現さなかったのだ。


俺は不戦勝になった。


大会参加最後の年で、神山先輩を越えて進みたかったが、目標は達成できなかった。


その事が、空手家人生で最大の悔いである。


大会に優勝するしないよりも、心残りなのだ。


神山先輩が、当日試合会場に姿を現さなかったのは、前の日に食べた生牡蠣がヒットしたらしい。


朝からピーピーでトイレに籠っていたとか……。


俺は、納得が行かなかった。


非情に納得が行かなかったのだ。


だから、今宵は神山先輩に無理を承知で果し状を送り付けた。


今宵、この場所で待つと──。


俺の思いを闘志に乗せて、全てを全力でぶつける覚悟だ。


この果し合いが終われば俺の空手道も一段落つくのである。


負けても勝っても悔い無しだ。


青春を謳歌した気分で一戦から身を引ける。


果し状を受け取った神山先輩からは、携帯電話で連絡が有った。


俺の思いを受け止めてくれるそうだ。


この場所を指定してきたのも神山先輩のほうだった。


俺はストレッチをしながら身体を暖めていた。


時折拳を闇夜に振るう。


神山先輩が来たら、直ぐに殴り合いが始められるようにだ。


身も心も準備が出来ている。


さあ、何時でも来いってんだ。


気合いゲージもマックスだぜ。


俺が興奮の余りにハイキックを一振り放つと、鳥居のほうから太い声が飛んで来た。


「待たせたな、大月──」


来た。


神山先輩だ。


俺は勇ましく踵を返して振り返った。


「えっ……?」


だが俺は唖然としてしまい、暫く固まってしまった。


赤いボディコンドレスを身にまとった筋肉質な男が鳥居を潜ってこちらに歩いて来る。


ハイヒールの音がコツリコツリと闇夜に響いていた。


ロン毛のカツラを被って口紅を塗っていたが、それは間違いなく神山先輩だった。


「神山先輩……」


女装をした神山先輩は、すまなそうに言う。


「すまない、折角デートに誘ってもらったのに、遅れてきてさ♡」


語尾にハートマークが付いてるよ!!


神山先輩に、何が起きた!!


それに俺はデートになんて誘ってないぞ!!


「ちょっと化粧の乗りが何時もより悪くってさ、時間が掛かったんだよね~」


ちょっと口調も可愛らしくなってるし!!


でも、キモイ!!


「じゃあ、何処に行く? とりあえず、お酒でも飲みに行く?」


「い、いや、俺は野試合を申し込んだんだけれど……?」


「野試合?」


神山先輩はロン毛を揺らしながら気持ち悪く首を傾げた。


「そうですよ、神山先輩に果し状を渡したじゃあないですか……」


「えっ、うそ~ん。あれ、果し状だったの~。竜子ってば、デートの誘いのラブレターかと思ったのに~」


あんたは竜子じゃあねえだろ、竜虎だろ!!


「えっ、じゃあ何よ、私の勘違いなの~!」


「そうです……。超勘違いです……。それよりも、なんですか、その格好は?」


「えっ、この格好が気になるの?」


「はい……。すげ~気になります……」


「もう、好奇心旺盛な年頃なんだから~。じゃあサービスよ。パンツを少しだけ見せてあげるんだから~」


「いやいやいや、結構です!!」


「あら、そう。じゃあ少しだけオッパイ揉んでみる?」


「そんな男の筋肉なんて揉みたくねえよ!!」


「じゃあなんで虎子を、こんな真夜中に呼び出したのさ。ぶっちゃけエッチな事がしたかったからじゃあないの~」


ぶっちゃけるな変態が!!


「そんな訳無いだろ!!」


「もう、興奮しちゃって。息が荒くなってるぞ。もしかして、もうホテルにGoGoしたいのかな~?」


何がGoGoだ!!


意味が分かんねえよ!!


「男同士なのにホテルで何をすんだよ!?」


「決まってるじゃあないのさ。男同士でも、竿が二つ、穴も二つ有るのよ。私は立ちだから、あなたが猫ね~」


「いやいやいや、冗談じゃあねえぞ! 俺には愛する妻だっているんだからさ!!」


「大丈夫、男同士なら浮気をしてても疑われないわよ」


「妻が疑う疑わないじゃあねえよ。俺が俺の人格を疑うは!!」


「じゃあ、何がしたくてこんな夜に私を呼び出したのさ~」


「いや、俺は、あんたと空手の勝負がしたくて……」


「じゃあ、私が勝ったら貴方のお尻をガンガンと掘るわね。貴方が勝ったら一晩私を好きに汚し放題に汚していいわよ」


「俺に男を汚す趣味は御座いませんがな!!」


「恥ずかしがらなくったっていいのよ。無いなら目覚めればいいだけなんだから。誰にだって初めてはあるのよ。貴方だって初めて空手を習った時は、新鮮ではまったでしょう。今回もきっとはまるわよ~」


「俺の綺麗な空手の想い出を勝手にネチョネチョに汚さないでくださいよ!!」


「いいから、私に全てを任せなさい。空手の時見たいに痛くなんてしないから。優しく極楽に連れてってあげるからさ~」


「結構です!!」


「あら、それとも最初からハードで痛いほうが好みなのかしら? なかなか貴方もマニアックねえ~。流石は空手道十年の勇ましい男だこと」


「ちゃいますがな! 痛いのは怖くないけど、キモイのは超怖いがな!!」


すると突然ながら神山先輩が凄んだ太い声で言った。


「さっきから我が儘ばかり言ってると、ぶん殴るぞ!」


「今度は脅しか!!」


いや、今まで全部脅しである。


「テメー、何をビビってるんだ。それでも空手家か、男か!!」


「女装した野郎に男かとか訊かれたくないぞ!!」


「空手家なら、もっとシャキッとしやがれ!!」


「女装した空手家が言うなよ!!」


ヤバイ、もう会話に着地地点が見えて来ないぞ。


会話が完全に混沌にハマってやがる。


もう不毛な言い争いだ。


逃げよう!


そうだ、逃げるしかない!!


もう道場を辞めて、妻と一緒に遠くに逃げよう!!


そう考えた俺は、踵を返して走り出していた。


だが、その背後をハイヒールを履いたオカマが追っ掛けて来る。


しかも、足が速い。


ハイヒールなのに……。


「テメー、逃がさないぞ!!」


いやいやいや、普通は逃げるだろ!!


だって肛門の危機だもん!!


「何処に逃げても俺は逃がさないぞ! 絶対に見つけ出してやる!!」


あのオカマ野郎、怖い事を叫んでやがるぞ!!


でも俺は絶対に逃げきってやる。


「お前は俺の妹と結婚した段階で、俺からは逃げられないんだ。妹を探せば絶対にお前に行き当たるんだからよ!!」


忘れてた……。


俺の愛してる嫁さんは、旧姓が神山なんだ……。


そう、奴の妹だ……。


役所で俺の妻の行き先を調べられたら、身内なら直ぐに見つけられてしまう。


しかも神山先輩は市役所の公務員だ。


逃げきれないのか……。


もしかして、俺の肛門は、つんだのか……?


うん、つんでるかも知れないぞ……。



【終わり】

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