第17話 三姉妹と住み込みのメリット


「はぁ……美味しかったぁ」



 文字通り今までに食べたことのないような豪勢ごうせいな夕食を終え、ナナシアは幸せに顔をほころばせながら、子供部屋のソファでくつろいでいた。


 すると、突然首元にズシリと重さを感じる。


 抱きついてきていたのは、リンダだった。



「ナナ! ご飯も食べ終わった訳だし、一緒にお風呂入るわよ!」


「え、ええ⁉ それは流石に……」



 そんな唐突なお誘いに、ナナシアは勢いよく首を振って遠慮えんりょの意を示す。


 しかしリンダにはその意図が伝わらなかったようで、彼女は返事を聞くと露骨ろこつに表情をくもらせた。



「何よ……私とお風呂に入るのはイヤ?」


「いえ、ぜ、全然そういうわけでは……うう……」



 まるでおやつをねだる子犬のような上目遣うわめづかいを向けられ、ナナシアは「うぐぐ」と葛藤かっとうの悲鳴をあげる。


 そしてそんな折に、追撃とでもいうように、もう一つの『重さ』がナナシアの背中に乗っかるのであった。


 カミナである。



「ふろ」


「え、えええ⁉ カミナさんも⁉」



 そして彼女が入るとなればもちろん、



「カミナが入るなら私も入るんだが⁉」


「と、トキナさんまで……」



 合計3人分の『重み』に押しつぶされ、ナナシアはぐしゃりと彼女たちの下敷きになる。


 そしてそのまま決まるテンカウント。



「わ……わかりました、一緒に入りますからっ!」



 三姉妹による息の合った連携れんけいプレーに、ナナシアはなすすべなく降参した。




 ***




 そして、それから1時間後。



「……ふぅ~っ、さっぱりしたわ! ナナ、あなた洗うの上手ね!」


「ぽかぽか」


「…………悔しいが、きもちよかった……」


「あはは、気に入って貰えたみたいでよかったです」



 エスクード家のお風呂は、とにかく快適だった。


 まず、空間自体がどこかの大聖堂かと思う程に横にも縦にも広い。


 そして、その中央には『池』を名乗れる広さに掘られた浴槽と、無限に湧き出る適温のお湯。


 さらに、一箇所ではあるが大きな鏡が用意されている『洗い場』があり、そこには何サイズかの椅子とおけ、そしてめったにお目にかかれない『石鹸せっけん』が用意してあった。


 これまで片手で数えられるほどしか石鹸を使ったことのないナナシアは、少しでも無駄にしないよう慎重しんちょうに体を洗おうとしていた。


 が、それ故に全然洗い終わらない彼女にごうやした三姉妹が、全員が石鹸を持って三方さんぽうからナナシアを泡まみれにしてしまい……


 結果的に大量の石鹸を消費する羽目になったという、ちょっとしたアクシデントが起こったりもしていた。



 ……と、そんなこんなで体中ぽっかぽかに温まった4人は、実にリラックスした表情で浴場から子供部屋に戻ろうとしていた。


 三姉妹においては、髪や身体をナナシアに丁寧に洗ってもらえて、大いにご満悦まんえつな様子であった。



「……うう……」



 特にカミナは、ほど、彼女とのお風呂が楽しかったようである。



「それにしても……温まった~っ! まさかあんなにお湯を使っていいなんて……」


「ふふん! ウチのはパパの魔術で沸かし放題だから、いつでもお風呂に入れるの!」


「ええ~っ⁉ い、いいなあ魔術……私も使えたら、いつでもお風呂に入れるのに」



 ナナシアは、週に1度ほどしか満足な入浴ができない村での生活を思い出しながら、わずかに表情を暗くした。


 するとその様子を見たリンダは、ナナシアの左手をぎゅっと握りながら、恥ずかしそうに言う。



「そ、その……もしあれなら、ここに一緒に住んでもいいのよ?」



「え、ええっ⁉ そんな、今度こそそれは流石に……」



 またも遠慮の姿勢に入ったナナシアに向かって、今度はトキナが声をかける。


 その手は、彼女の右手をぎゅっと握っていた。



「……別にいいんじゃないか? 『家庭教師』なのだから、ここに住めば時間のロスもなくなるだろうし、それに……」


「……それに?」


「……何でもないッ。とにかく、今の話は極めて合理的だと言っただけだ」



 その話を聞いてか聞かずか、背中のカミナも一言呟いた。



「いっしょ」


「……かっわいぃぃぃ~っ!」



 ナナシアは、首元に回されたカミナの手をぎゅっと握りしめ、発作を起こしたデレ顔を浮かべた



「わかりました。私、この子と一緒に住みます! 幸せになります!」


「……おいおいおいおい? 違うからな? そういうことじゃないからな?

 あとカミナの隣は私の場所だぞゆずらんぞ!」



 流石に看過かんかしなかったトキナに突っ込まれながら、ナナシアはポリポリと頭をかく。



「……とまぁ、冗談は抜きにしても、しかしそこまでは無理だと思いますよ?

 流石にジョエル様と言えど、こんな見ず知らずの農民を家に置くなんて……」



「別に、一向に構わないが?」


「……わっと! って、ジョエル様⁉」



 突然現れたジョエルに腰を抜かし、ナナシアは尻餅しりもちをつく。


 ちなみに、カミナは身の危険を察知したタイミングでぴょいっと飛んで逃げたので無事だった。



「び、びっくりした……と、突然どこから……」


おどろかせてすまなかったが、執務室で仕事をしていたら、何やら娘たちが大事な話をしていたようだったのでね。つい顔を出してしまった次第だ」


「あ……そういえばここって、さっきの……」



 ナナシアは、ジョエルの背後の重厚な扉を見て、今いる場所がの前であることに気がついた。



「……それで、今の話についてだが」


「あ、あれはその、雑談のひとつであると言いますか……その、ホントの話ではなくてですね……」


「違うわよ! 何言ってるのナナ!

 ……ねぇパパ、私達はナナと一緒に住みたいの! その……だ、ダメかしら」



 リンダの懇願こんがんを聞いて、ジョエルは一瞬真剣な目つきを浮かべた。



「……リンダ、それは本気で言っているのかい?」


「ほ……本気よ! それに、トキナだってごーりてきがどうとか言ってたし!

 ね、トキナ!」


「う……うむ」



 リンダに話を振られたトキナは、もじもじとしながら言葉を紡ぐ。



「その……もしナナシアがここに住むことになれば、通勤時間つうきんじかんや様々な面で家庭教師の仕事にメリットがあると考えられる。

 それに、その、私たちにもメリットが……いっしょにお風呂入ったりとか……

 つ、つまりはいい事ずくめなのではないかということだ! パパ!」



 トキナがそう言い切ると、最後に彼女に背負われたカミナが一言だけ呟いた。



「ミナは、ナナシアすき」



「「カミナが文章で喋った⁉」」


「驚くトコそこですか⁉」



 そうツッコミつつ、ナナシアはそっとジョエルの表情を盗み見る。


 彼は、そんな娘たちの様子に悩ましげに額に手を当てながらも、口端くちはしに浮かぶ笑みまでは隠せていなかった。



「ふぅ……分かったよ。だが、それも当の本人が了承りょうしょうしたらの話だ」



 そう言うと、ジョエルは真面目な表情でナナシアの方を向く。



「ナナシア。『雇用契約こようけいやく』を見直す上で、私からの提案はこうだ。


 君には私達と同様、ここでの生活を許す代わりに、『家庭教師』の仕事に加え、今日のようにまた子供たちの面倒を見てもらいたい。

 とは言っても、執事たちのように身の回りの雑務をしてくれという話ではない。

 言うなれば……そうだな、小さな姉弟たちの面倒をみる感覚でいてほしい。


 ……と、以上が追加条件だ。同意するかどうかは、君が決めてくれ」



 そんなジョエルの申し出に、ナナシアが質問をぶつける。



「ど、同様の生活って……今日みたいに、ご、ご飯とかお風呂とか、そういうことですか?」


「そうだとも。

 あとは、そうだな……空き部屋に一つ、君専用の部屋を設けよう。もちろんそこは完全な私室(プライベート)とするから、好きに使ってもらって構わないよ」


「お、お部屋まで……いくらなんでも、破格な気がしますが⁉」


「いいんだよ、この件に関しては、君に娘たちのお願いを聞いてもらう形なのだから。

 それに……このくらいしないと、父親として娘たちの期待に応えられないみたいだからね」



 そうこぼすジョエルの視線を、ナナシアも追う。


 するとそこでは、3人がニッコニコでご満悦な表情を浮かべていた。



「ありがとうパパ! 良かったわねナナ、これでずーっと一緒にいられるわよ!」


「わ、私は別にそこまで一緒に居なくてもいいがな……お、お風呂にさえ一緒に入れれば、それで」


「いしょくじゅう」



 笑み、デレ、喜び(?)を浮かべ、これからの展開に心を躍らせる3人。


 だが、そんな無邪気な『流れ』に、ジョエルは大人としてあえてさおをさす。



「おいおい、ちょっと待ちなさい。まだ彼女は同意すると決めたわけでは……」



 ――だが、結論を言えば、それはジョエルの杞憂きゆうに終わった。



「みなさん……ありがとうございます!」



 そう言って、ナナシアは満面の笑みを浮かべながら3人を一遍いっぺんに抱きしめる。



「えへへ!」

「むお⁉」

「むぎゅー」



「……!」



 ギュギュッと愛情たっぷりに抱きかかえられる娘たち。

 その光景は、ジョエルの中でしくもと一致する。


 それは、今やもう失われた、太陽のような日々の片鱗へんりんだった。



「……ハハ。まさか、またこんな光景が見られるなんてね」



 そうつぶやくジョエルの目尻には、わずかかに雫が光っていた。



 ***



 ――というわけで、『収入源』と『夢への切符』に加えて、ひょんなことから豪華な『お城での生活』をも手に入れたナナシア。


 そんな彼女の胸中きょうちゅうは、いよいよ始まる『家庭教師』へのやる気で満ちあふれていた。



「……よーし、今日から皆の先生、頑張るぞーっ!」



 ナナシアは高らかにそう叫び、せっせと授業の準備を始めるのだった。



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