第2章 家庭教師と一流魔術師

第16話 優雅な朝と前日譚


「うーん……」



 明くる日。


 ナナシアは、間違いなく今までの人生で最高のコンディションで目を覚ました。


 寝起きの彼女の身体を包むのは、ふっかふかの分厚いマットレスに、純白じゅんぱくのシルクのシーツ。


 かけふとんも枕も硬い藁詰わらづめではなく、羽毛が詰まった高級品である。



「……私、本当にこんないい寝具で寝てたんだ」



 ナナシアは寝具の感触を楽しむように手を置き、その弾力に心をおどらせる。


 そして鳥の鳴き声にさそわれるようにカーテンの方へ向かうと、レースのついた手触りのよいそれを両手でサッと開いた。



「わぁ……」



 窓から差し込む朝日が、彼女の顔を照らす。


 目下もっかに広がるのは、たくさんの人々が暮らすココベルの街。


 そしてそれを見下ろせる場所といえば、ただ一つ――



「……未だに信じられないよ、私がに住めるなんて」



 まだ風の冷たいバルコニーに出て、ナナシアはそうひとりごちる。


 しかし誰が何を言おうと、今この状況は現実だ。



「ホントに、人生何があるかわからないなぁ……」



 彼女は短い髪を風になびかせながら、昨晩さくばんの出来事を思い出す――




 ***




 ことの発端ほったんは、『家庭教師』としての正式な採用が決まり、子供部屋にて5姉弟きょうだいたちと交流を深めた後の事である。


 夕食の時間が迫り、自分もお腹がすいたので、ナナシアがそろそろおいとましようとしていた所。



「おっと、もうこんな時間なんですね。それでは皆さん、私はそろそろ……」


「……ん? どうしたのナナ、どこにいくつもり?」



 ソファから立ち上がったナナシアを、リンダがそう言って引き止めた。



「え? いやぁ、私もそろそろ宿に戻らないと、夕食の時間もありますので……」


「何よ、晩ごはんくらい一緒に食べましょうよ。

 ねぇメルウ、ナナの分も用意できるかしら?」


「可能でございます」


「……ちょ、え、いやいやいや! 流石にそこまでは! も、申し訳ないというか!」



 あわてて両手をブンブンと振り、遠慮えんりょするナナシア。


 しかしそんな彼女の様子を見て、他の姉弟たちも口々にリンダに賛同する意思を示す。



「いいじゃないですか。一緒に食べましょうよ、ナナシアさん」


「ぼ……僕も、ナナシアさんと一緒に食べたいです、晩ごはん」


「…………カミナの隣は私だからな」


「めし」



「み……みなさん……」



 ナナシアが5人の圧に気圧けおされていると、ふと背後から声がかかる。



「決まりだな。今日はウチで食べて行きなさい、ナナシア君」


「じょ……ジョエル様まで⁉」



 慌てて振り返ると、そこには笑顔でナナシアを見つめるジョエルが立っていた。


 雇い主にそう言われては、断れるはずもなく。



「じゃ、じゃあ……そう言っていただけるなら、今日はご相伴しょうばんに預かります」


「……パパ、ごしょうばんって何?」


「一緒にご飯を食べるってことだよ」



 ジョエルがリンダにそう説明すると、5姉弟の中から歓声(と鳴き声)が上がった。



「「「やったー!」」」


「……ふん」


「むふー」



 ……ということで、ナナシアは5人に背中を押されるようにして、食堂ダイニングに連れて行かれるのであった。



 ***



「わぁ……!」



 姉弟たちに連れてこられた食堂ダイニングで、ナナシアはその広さと美しさに驚愕きょうがくの表情を浮かべていた。



「何ここ……教会の本堂みたいに広くて、装飾もキレイ……。」


「ちょっとナナ! 何入り口でぼんやりしてるのよ!」


「あ、ご、ごめんなさい!」



 彼女が入り口で見とれていると、後ろからリンダにグイグイと押されてしまう。



「ナナ! あなたは私の隣なんだから! ほら早く早く!」


「あ、はい!」



 そして押されるがままに、ナナシアは奥の方の席へと案内される。


 彼女が連れてこられたその場所は、『長女』の隣ということで結構な上座かみざに当たるのだが……それを気にしているのは、どうやらナナシアだけのようであった。



 彼女が緊張しながら椅子に座ると、徐々に料理が運ばれてきた。


 次々と並べられるそれらは、領主の食卓と言うだけあって、それはそれは豪華な――



「お……お肉がいっぱい! ソースもたっぷりかかって……

 スープも……具材がこんなに⁉ お野菜も新鮮だし、盛り付けもお洒落――」



 目の前に広がる見たこともないような料理に、ナナシアは感動を通り越して呆然としていた。



「ナナ! ほら、ボーっとしてないで! 晩ごはんの前は手をこうやって組むのよ!」


「は、はい!」



 リンダに急かされ、ナナシアは慌てて彼女のマネをする。


 そして全員が揃ったところで、ジョエルが食前の祈りをささげ始めた。



「今日は特別な日だ。無事に子供たちの家庭教師も決まり、そして我が家の食卓に参列している。

 ……まさか、また7でこのテーブルを囲むことになるとはね。予想外だが、嬉しい誤算だ」



 ジョエルの含みのある言い方に、姉弟たちが揃ってうなずく。


 ナナシアはよくわからないまま、続きを聞いていた。



「これもきっと、神と我らが先祖のおかげだろう。

 今日という一日をこうして終えられることに、感謝を捧げます」



 ジョエルがそう述べると同時に、子供たちは一斉いっせいに目をつむって祈りを捧げる。


 その様子を見て、ナナシアも慌てて目をつむった。



「さて、それでは食事を始めよう。皆手を合わせて……いただきます」


「「「「「「いただきます!」」」」」」



 その合図と共に、子供たちは一斉いっせいに豪華な料理へと手を伸ばした。


 リンダは肉、エルドとジークはスープから。


 トキナはカミナの口にパンを運び、カミナはそれをもぐもぐと食べていた。



 そんな自由に食べる子供たちの姿を尻目に、ナナシアはナイフとフォークを持って固まっていた。



「……ナナ、どうしたの? 何か食べられないものでもあった?」



 リンダが不思議そうに問いかけると、ナナシアは慌てて首を横にふる。



「い……いえ! ただその……私は『農民』で、食事の作法とかがあんまり……」


「なんだ、そんなことだったのね! いいわ、私が教えてあげる!」


「ほ、本当ですか⁉」



 得意げなリンダの言葉に、エルドから厳しいツッコミが飛んだ。



「何言ってんだよ姉ちゃん。姉ちゃんはどっちかっつーと教わる側だろ? ヘタクソなんだから」


「~~ッ、なっ、なっ、何よッ!」



 しかし言い返せないのか、リンダはプルプルとその場で震えていた。


 見かねたジョエルが、笑って2人の仲裁ちゅうさいに入る。



「まぁまぁ。今は身内でのことなんだから、エルドもそう邪険じゃけんに扱うこともないだろう。

 リンダも、人に教えたかったら、まずは自分が学ぶことだね。

 今日のところは、2人とも私の真似をしてみたらいい」


「……は、はい!」


「そうするわ!」



 そう言って、2人はジョエルの所作を見ながら、真剣にフォークとナイフを動かす。


 そんなぎこちない2人の様子に、笑いが飛んだりリンダがキレたりして。


 その日の夕食は、笑いあふれる楽しい時間になった。

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