第2話 門前払い

「『論文』の持ち込み? え、いや、ボクに言われてもなぁ……」



 ティットリア領の第一都市、ココベル。


 その中心部に位置する名門大学――ココベリア大学の校門前で、ナナシアは一人の男に『論文』を渡し、彼に向かって必死に頭を下げていた。



「お願いします! お願いします! 私、絶対に学者になりたいんです!」



 彼女のお辞儀の角度は、きっちり90度。


 文字通り見事なものであったが、しかし目の前の男は、大変困った様子であった。



「……いや、あのね? 僕は学者の先生でもなんでもないの。ただの衛兵だから、衛兵」


「……えいへい?」


「そ。学校に出入りする人を監視するだけの、ただのおじさんだよ」



 そう告げられたナナシアは、一歩下がって冷静さを取り戻し、改めて彼の装いを確認する。


 すると、彼は『村』に比べたらとても豪華な服装を着用しているものの、確かに兜を被り、腰には剣をこしらえるという衛兵の『標準装備』をしていた。



「あれぇ、そ、そうだったんですか⁉ すみません、とてもお上品に見えたもので」


「あはは。この学校は先生も生徒も気位が高いから、僕らみたいな下っ端でも制服だけは豪華なんだ。……まぁそういうわけで、こういうのは僕に渡しても仕方ないと思うよ」



 そう言うと、衛兵は笑って『論文』をナナシアに返す。


 ナナシアはそれを受け取りながら、困ったように続けた。



「そうですか……。じゃあ『論文』はまた別の方に見せないといけませんね。すみませんが、どなたかにお目通り願えないでしょうか?」


「んー、えっとね。……多分無理だと思うな」



 衛兵は、笑みを崩しながら申し訳無さそうに告げる。


 その返答に、ナナシアはしょげるようにガックリと肩を落とした。



「……そうですよね、ご無理を言ってすみません。やっぱり自分で探すことにします。お手数おかけしま――」


「いや、そうじゃなくて……。今の時代、多分『持ち込み』とかは無駄だと思うよ?」


「……え?」



 ナナシアは、衛兵の言葉に数秒硬直する。



「い、いや、そんなことはない……ですよ!」


「いやいや、そんなことあると思うけどなぁ。実際、僕もここに10年は勤めているけど、『持ち込み』なんて話は一度も聞いたことがないし」


「いやいやいや! だ……だって私、コレをみてココベルまで来たんですから!」



 そう言って、ナナシアはリュックサックの横ポケットから一枚の紙を取り出す。


 古ぼけて黄色く日焼けしている上に、ところどころ擦り切れたその紙面には、確かにこんなことが書いてあるのだった。



「『論文持ち込み大歓迎 受付:ココベリア大学』、締切は……897年9月? いやいや、もうとっくに期限が過ぎているじゃないか。

 というか、897年って……今は930年だよ? そんな昔の話、今も通用するとは思えないけど」

「え゛」



 思ってもみなかった指摘に、ナナシアの口からカエルが潰れたような音がした。



「……う、嘘ですよね? 村の人達は、『せいぜい30年くらいだし、多分まだ変わってないから大丈夫』って……」


「あっはは、田舎の時間の流れはゆっくりでいいなぁ。

 ……あ、嫌味じゃないよ? 僕も田舎出身で、少し懐かしくなっちゃっただけだから」



『都会』の住人にそう言われ、ナナシアはすっかりぽかーんと放心状態であった。


 そんな様子の彼女を見て、衛兵は「うーん」と悩んでから、とある提案をする。



「……あのさ、もしあれだったら、今から事務の方に確認してみるかい? 

『持ち込む人』は見なくなったけれど、『制度』は生きている可能性があるからね。

 望みは正直薄いだろうけれど、それでもいいなら、今から確認しようか?」


「お……お願いします! お願いします!」



 ナナシアは全身全霊を込めて、90度を突破する勢いで頭を下げた。


 彼女の必死な嘆願たんがんを受けた衛兵は、「じゃあ、待ってて」と告げると門のすぐ脇にある駐屯所ちゅうとんじょの中に入る。


 そして自動書記型の『魔道具』を使って、どこかと連絡を取り始めた。



「……うう、どうか希望が残っていますように……!」



 ナナシアは神に祈りながら、待つこと数分――



「……あ、お待たせお待たせ! えっとね、肝心の返答だけど……」

「は、はい!」



「そうですか! ダ……、え、ダメ?」



 彼のあっけらかんとした口調につられてつい軽く受け入れてしまいそうになったが、ナナシアは一歩のところで我に返る。


 彼の持ち帰ってきた答えは、彼女にとって非常に望ましくないものであった。



「うん。『大学で学びし者以外に、学問をろんずる資格なし』……だって。

 つまりは、『論文』を見てもらうためには少なくとも大学の学生じゃなきゃダメなんだってさ」


「……え、そ、そうなんですか?」


「なんだかそうらしいよ? いやぁ、個人的には『持ち込み』も面白い制度だと思うんだけどなぁ……。

 ま、僕がそう思ったところで何も変わらないんだけどね! あはは!」



 想定していた結果ではあったが、ナナシアはショックで膝から崩れ落ちた。


 すぐに「大丈夫?」と衛兵が慌てて駆け寄ったが、彼女は立ち上がれないまま、悔しさをポツリとこぼした。



「そんな……頑張って書き上げて、せっかくここまで来たのに……」


「うーん、本当に残念だけれど、こればっかりはね。

 ……後はまぁ、先生方に直談判とか? そんなにその『論文』に自信があるのなら、それも一つの手だと思うよ」


「な……なるほど! そうですね!」


「……あ、でも、そういうのを防ぐために僕たちがいるんだった。すると僕は、キミを捕まえなくちゃいけなくなっちゃうから……ごめんね? 今のナシ」


「な、なるほど……そうですね……」



 脳天気な彼との会話に、うっかりズッコケてしまいそうになるナナシア。


 しかし、何はともあれ……これで彼女の『夢』は、実現から遠く離れてしまったことになる。



「ちなみにですけど……大学に通うのって、とってもお金かかりますよね?」


「うん。確か、初年度の学費が、入学料を含めて金貨20枚だから……僕の年収の5年分くらいかな。

 それに加えて生活費やら何やらがかかってくるから、まぁぶっちゃけ、僕が子供に『大学に通いたい!』って言われたら『ムリ!』って即答するしかないよね」


「で、ですよね……」



 比較的収入が高いと言われる『中央』住みの人間ですらそうなのである。


『農村』の、それもいち『農民』でしかないナナシアの家がそんな大金を用意できる可能性は……どんなに甘く見積もっても、0以上にはなり得ない。



「うう……どうしようどうしよう、このままだと私の『夢』が……」



 衛兵が見守る中、ナナシアがうずくまってそう呟いていると、不意にどこからか怒鳴り声が聞こえてきた。



「コラ! お前たち、そこで何をやっているか!」


「あ、先輩」



 声の方を向くと、彼と同じ制服を身に着けた、彼より二周りは年上の初老しょろうの男性がズンズンと歩いてきていた。



「いやぁ、この子が『論文』の持ち込みに来たんですけど、事務さんに聞いたら今はもうやってないって言われちゃって。困ってたんですよ」


「『論文』の持ち込みだと……? 貴様、何者だ! 名前と出身を名乗れ!」



 突然大声で怒鳴られ、ナナシアは大きく慄きながらも何とか答える。



「あ、えっと、ナナシア=キャリィです。出身はメメテコ村で――」


「――『村』? 貴様、『農民』かァッ! 『農民』風情が、なぜ神聖な大学の門前に居るッ!」


「へ⁉」



 突然叫びだした男性に、ナナシアはびっくりして数歩後ずさった。



「……あーあ、そうだった。そういえばこういう人だったっけこの人……」



 若い衛兵がやれやれと首を振る先で、初老の衛兵はなおも大声で騒ぎ立てる。



「貴様、『農民』風情が大学に近づくでないと言っておるのだッ! 

 加えて、ここはエスクード領最高峰さいこうほうの大学、ココベリア大学であるぞッ! 

 そんな大学を、『農民』が眼にすることすらおこがましいと思えッ‼ この低俗ていぞくめがッ!」



 初老の衛兵は、そう強い口調でナナシアを責め立てた。


 突然のことに彼女が何も言えない状況を見かねて、若い衛兵が口をはさむ。



「……あー、先輩。彼女は確かに『農民』ですけど、ここの学生です」


「……な、なにっ? そ、そんな、え、そうなんですか……?」


「いや、嘘です」


「やっぱりかッ! ただの『農民』め、さっさとここから立ち去れィ!」



 真実がわかると、初老の男性は威勢を取り戻し、再び騒ぎ始めた。



「な、なんですかいきなり……」


「……あー、キミ。申し訳ないけど、今日のところは一旦出直して貰ってきていいかな。この人『こういう』人間だから……無駄に騒がれても迷惑でしょ。

 ここは僕が抑えておくから、さぁ」



 若い衛兵は、そう言いながらかばうように彼女の前に立ち、その背中をぐいっと押す。


 彼の言葉に従って、ナナシアはうなずき、一旦その場から離れることにした。


 そして、最後に少しだけ振り返って、



「あ、あの、確認とってくださって、ありがとうございました!」


「うん。僕はなんにもできないけど、応援してるからね」



 ナナシアは、今一度深くお辞儀をしてから、小走りでその場を立ち去った。

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