存在の自覚
悠木葉
存在の自覚
「「おはよう。」」
開けっ放しにされたドアから教室に侵入しながら、対角にいるグループにも聞こえるような声量で、僕はそう言った。ドアの方向に視線が集まる。しかし、その視線は僕に向けられたものではなかった。
「おはよう、俊介。」
教室のどこからか、たれ目の男が視界の中にひょっこりと現れた。
「おはよう、宗太。」
僕の後ろにいた、茶色がかった髪の毛を無造作に、しかしきれいに整えた長身の男が返事をした。二人は談笑しながら、教室の空気の中へと吸い込まれていく。
ああ、いつもこうだ。僕のことには目もくれない。まるで僕だけが丁寧にこの世界から切り抜かれたかのように、知らないふりをする。いつもいつも、みんながみんな、このクラスはそうだ。まるでいないもののように扱われる。以前、僕は注目を集めようと、わざと遅刻して、授業中に教室へ入ったことがある。その時でさえ見向きもされなかった。なんでなんだろう。僕がいつ、何かしただろうか。
いつものように、そう疑問に思いながら自分の席へ行き、座る。確かに僕は地味ではある。そう自覚もしている。しかし、ここまでされるほどのことをした記憶は神に誓ってない。今日もまた陰湿ないやがらせを受けながら、机に向かう。
僕が受けている嫌がらせは、無視の他にももうひとつある。それは机の真ん中に花瓶を置かれるというものだ。ありきたりなようでそうでもない、幼稚で、およそ高校生がするものとは思えないようなつまらないものである。しかも水は腐り、花瓶にさされた白い花は息を吹きかければその生涯を終えそうなほど弱々しい、老いぼれのような花である。この花や水からはいじめる側の、底が見えないやる気のなさを感じる。見えないのではなく、元々ないのではないか、と最近は思っている。ただ、花の色はちゃんと白にされていて、細かいところに気を使っているので、やる気があるのかないのか、どうもいまいちわからない。やる気がありそうなのは、クリーム色の、受けた光を一心に跳ね返そうとする花瓶だけだ。木製の年季が入った椅子や机には、ところどころコンパスか何かでえぐられたような穴がある。コンパスなんて高校で使うだろうか。その穴を見るたび、そう疑問に思う。僕を取り囲む教室の一角は、花瓶の反射する太陽光と窓から差す光のおかげで、かろうじてその姿を保っている。どちらかでも欠けていたならば、僕の周りだけがすっぽりとこの世界から抜け落ちているように見えなくなっていてもおかしくない。ペンタブラックをぶちまけられたその世界の中心は、地球の永遠の謎となるだろう。
しょうもないことを考えながら、さんさんと輝く夏の太陽が明かりを落とすグラウンドを窓から眺める。思考をめぐらせているからか、窓からさす夏の日差しは不思議と暑くない。そんな僕をよそに、授業の開始を告げるベルが学校中に響き渡る。
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授業中、机の上には何も置かず、ただ物思いにふけるだけの時間を過ごす。ときどき、花瓶を邪魔に思いながら座ったり、歩き回ったり、授業を真面目に聞いたり。
机上の花瓶をどかそうとはしたことはあるのだが、なぜかピクリとも動かなかった。まるで何者にも干渉を受けていないかのようなそぶりだった。おそらく強力な接着剤で固定しているのだろう、と考えていた。しかし、掃除をするために、箒を掃除用具入れから取り出そうとしてもそのドア自体が開かなかったり、家に帰っても家のドアが開けなくて、呼び出しのベルで家に中の母親に開けてもらおうとしても固くてボタンが押せず、父親が帰宅してドアを開けるまで外で待っていたり、そういったことが身の回りで多発しているので、接着剤のせいではなく僕の筋力が極端に低下しているのだと今は考えている。それは教室の机に花瓶が置かれた日から始まったので、いじめによる精神的ショックでこうなったのだと考えている。少し無理があるようには思うが、それ以外に心当たりはない。
この症状が現れてから、すこぶる不便になった。椅子を引けなくなったので、学校で座れなくなった。仕方なしに、机や窓際に座っている。それでも皆が僕を無視するのだから、不思議どころか不気味さまで感じる。
病気になった日、両親は同じ色のスーツを着て突然どこかに出かけてしまい、その後一週間ほど帰ってこなかったので何もできなかった。この間、相当きつかった。
帰宅した両親はこころなしか元気のない様子だったので、この現象のことについて話すのは少しかわいそうだと思ったが、覚悟を決めて思いきって話をしようと呼びかけても、何も答えてくれなかった。四つの死んだような目には僕は写っていないようだった。耳も機能していないように、僕の声が届くことはなかった。
そんな目を見ているとなぜか申し訳ないような気がして、どうにか自力で解決できるように努力しようと決心した。筋力増強のために筋トレをしようと思い立ち、暇なときは筋トレをすることにした。ダンベルはおろか何も持てないので、自重トレーニングをし、たまに軽いものを持ち上げられないかの実験などをした。ただ、今まで何も持ち上げることはできたためしはなかったので、果たして意味があったのかどうか。
栄養面も考慮し、食事をたくさん食べようとしてもそもそも箸が重くて持てないし、食べ物すら持ち上げられないしという本末転倒な事態に陥った。そのため病気になった日以降は何も食べていない。しかしなぜかお腹がすくことはないので問題はなかった。この現象に関しては、筋肉に使われるはずの栄養が生命維持のための栄養に回されているためお腹がすかないのだと僕は考察している。
この病気になり、教師の話を聞くか物思いにふけることしかできない、通常の授業も受動的ではあったが、それよりもさらに受動的になった授業は、自習よりかはましだが、どこか物足りなくつまらない。ノートテイキングをしたり、授業そっちのけで教科書を冒険したりするのは案外楽しいことだったんだなと今になって思う。
こういった日々を、半年ほど続けている僕の精神はそこまで弱くないと思うのだけれど、実際ショックでこういった実害が出てるので、やっぱり弱いのかもしれない。
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つまらない授業と休み時間を乗り越えて、やっとの思いで放課後にたどり着いた。クラスメイトにも先生にも物にも無視をされているにもかかわらず、遅刻をせずに登校して、話を聞いているかは別として放課後まで学校に残って授業を受けているのは学生の模範と言っても過言ではないのだろうか。自分で自分を褒めてあげたいところ。
無視というものは、相手を認識しているのにその存在を認めないようなそぶりをすることであって、それは「気づかない」とはまた別物である。しかしいま、僕に対して繰り広げられている無視は限りなく「気づかない」に近いそれであり、ここまで徹底した無視をされるのは生まれてこの方初めてだ。こんなことを経験すると自分はもう死んでいるんじゃないかと思ってしまうほどだ。帰宅の準備を整え、死亡説という冗談を考えていたら、締め切られた教室からいつの間にか出ていた僕は帰路につく。不便で面白くない世界に辟易して陰る心とは裏腹に、橙色に染まる夕焼けは黄昏時の日本を燃やし尽くしている。陰る心以外のすべて、影すらも染めるその明かりは、もうすぐ落ちるというのにもかかわらず異様な存在感を放っていた。
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家に帰ったところでドアを開けることもできないので、家と学校のちょうど中間地点あたりにある小さな公園で暇をつぶす。この公園は鉄棒と滑り台とベンチしかなく、物体に干渉できない病気にかかっている僕でも使える遊具ばかりなので、最近はよくここで時間をつぶしている。とは言っても親が帰ってくるタイミングを逃してしまうと、翌日まで家の中に入れないので、長く居座ることはできない。鉄棒で懸垂などの筋トレをし、滑り台を数回楽しんだ後、少しベンチで休憩を取り、三十分ほど楽しんだ後、自宅へ向けて歩く。親がまだ帰宅していないことばかりを祈り、道を歩く。
家に着き、十数分ほど玄関で待っていると親が帰ってきた。親が家のドアを開けるタイミングを見計らって、家の中に体をねじこむ。なぜ自分の家なのにこんなオートロック玄関のあるマンションへの侵入の手口のような、コソ泥じみた真似をしなければならないのか、と心の中ではそれなりに憤りながら家の中へ入るが、こうするほかどうしようもないので口には出さない。出したところで親は聞いちゃくれやしない。
世界的大怪盗のごとく華麗に侵入することに成功した僕は、親に続きリビングへと向かう。カバンを置いた親は洗面所へと向かうが、僕はそれにはついていかない。帰宅したら手洗いうがいをしろと言いたくなるかもしれないが、極端に筋力のない僕からすると、水は極力触りたくないものなのだ。身の回りのものは往々にして個体であり、予期せず液体に触れることはあまりない。ここでガラスは個体の性質を持った液体であるなどという反論をする者がいればぶん殴る。喧嘩だよ。負けるだろうけど。 それは置いといて、軽いものですら持てない僕が水に触れたらどうなるかというのは想像することができず恐ろしいので触りたくないということだ。手についた水滴のせいで手が持ち上がらなくなるかもしれないなどと考えるとどうしても触りたくない。蒸発するまでその場から動けないなんて、考えただけで恐ろしい。なので、水回りには極力近づかず、雨の日や降りそうな天気の時は屋内でじっとしている。正直なところ学校の机の花瓶も怖くて触れないどころか近づきたくない。
洗面所から戻ってきた親は、リモコンでテレビの電源をつける。物に干渉できないせいで暇つぶしの手段が限られている僕にとって、テレビがつけられている時間は一日の中で最も楽しい時間だ。普段考え事や景色を見ることくらいしかできないぶん、余計に面白く感じる。そうして時間も忘れてテレビを見ていると画面が消えた。親が就寝のために電気を消し、ベッドのある二階に上がっていく。月明かりと街頭の光が心もとなくさす暗いリビングで、ソファに寝転び、目をつむる。夜は長いので、無理やりにでも寝ないと暇で頭がおかしくなるので、手遅れになる前に夜をスキップしたいところなのだが、たまに家の前を通るバイクの音や、冷蔵庫の製氷機の音がやけにやかましく聞こえて寝付けない。目をつむっている時だけ雑音に対して神経質になるのはやめて頂きたいところではある。
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目をつぶって何時間経っただろう、そういったことも考える余裕と意識がだんだんとなくなっていった。次に目を開いたときには、室内は日の光で照らされていた。街灯はその役目を終えて眠りにつき、照れ屋の月は隠れ、代わりに太陽が猛威を振るっている。壁にかかっている時計を見ると、一時二十分を指していた。もう昼か。学校は遅刻だが、自力でドアを開けられないので行くことはしなかった。十数年見慣れた部屋で、ただ徒然に時間を過ごす。針の動く速度が遅い。勤勉な僕は学校へ授業を受けるため、もとい暇つぶしのために遅刻することなく通っていたが、昨晩寝つきが悪かったせいで、昼に起きてしまった。こんな部屋でじっとしているのも暇なので、少しでも気を紛らわせるために筋トレをする。腹筋や腕立て伏せをはじめ、プランクやスクワット、レッグレイズなど知っている限りの筋トレを全部こなす。疲れたころには二時四十五分を指しており、思いのほか時間をつぶせていることに喜んだ。それなりの時間筋トレをしたので、さすがに疲れて休憩をとる。ずっと筋トレをして時間をつぶすのもさすがに無理があるので、何か他の暇つぶしの手段を考える。妄想するのもいいかとは思ったが、梅雨の時期、家にずっといたので、その時に考えすぎてネタを出し尽くしてしまった。あと一、二か月もすればネタを思いついたり、やる気になったりするだろうが、さすがに飽きたので今はあまりしたくない。リビングにずっといても、窓の外を眺めるか、筋トレ、妄想の三択しかない。今なら実質外を眺める一択なので、こんなところに居続けるのもつらい。一時間後にはやることがなくなっているだろう。そこで、僕はリビング彼出て遊ぶ手段を考えた。このまま家の中を行ける範囲で散策するゲームだ。ドアが開いていたら通れるし、そうでなかったら通れない。なんとも面白くもない時間のつぶし方ではあるが、今の僕にはそんなことはどうでもいい。とにかく時間がつぶせればいいのだ。幸い今日はリビングから出るための引き戸が半分ほど空いているので、出オチにはならなそうで安心した。そこからまず部屋を脱出し、玄関へ向かう。玄関をスタート地点とし、どれだけの部屋を攻略できるかを予想して、当たれば勝ちだ。部屋の攻略は、ドアの向かいの壁に触れたら攻略成功と言うことにする。そういうゲームにした。
勝ったところで何かがあるわけでもなく、負けたところで何かがなくなるわけではないのだが、面白さの追求のために勝ち負けは設定した。と言っても、もともとのゲーム性がゴミみたいなものなので、勝ち負けを設定したところでたいして面白くはないのだろうが。
自分で考案したゲームの批判はさておいて、何物にも干渉できない僕にとっては、なんでもないことが少しでもゲーム的要素を持つだけでかなり助かるのである。細かなところにゲーム性を求めて少しでも人生を面白いものにしないと頭がおかしくなる。もし求めていなければ今頃発狂して日本全国を駆け回って不審者情報が出回っている頃だろう。誰にも見向きされないので問題としてあげられることもないのだが。何をしても無視されるほど悲しいことはない。
こんなことを考えると気分が落ち込んできたが、気持ちを切り替えてゲームを開始する。今回は初回ということで二部屋攻略できると、願望も交えながら予想した。
まずリビングを出ると左には玄関が、右には廊下が続いている。左に行ったとて行き止まり確定なので迷わず右に進む。リビングのドアから斜め右向かいにあるトイレを通り過ぎ、その隣にある二階へと続く階段を上る。二階には両親の部屋と僕の部屋、ベランダへ続くドアと、そして書斎があるのだが、どの部屋のドアも空いていなかった。収穫が何一つとしてなかった二階から一階へ帰還し、まだ見ぬ廊下を進む。廊下の先には洗面所・風呂場と物置があるが、今日はドアが開いてなかったのでリビングへと戻る。今回は僕の負けだ。ソファに寝転んで、僕はなにをしているのだろうか、と疑問を頭に浮かばせる。負けたことによる悔しさはちっとも感じないのに、むなしさはよく感じられる。
「この遊びは絶対にしねえ」
と一人つぶやく。雀の鳴き声が影を落として飛んでいる様子が窓から見えた。早起きをして、外で雀の観察をしているほうが良さそうである。これ以降は寝坊をしないで下さい、と未来の自分に切実にお願いをした。
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あの時の願いが届いたのか、あの日から二か月が経過した今まで一度も寝坊をすることはなかった。それは今日も例外ではなく、しっかりと早起きをしたのだが、生憎今日は雨だった。この体になってから水を避けている僕にとって、雨が降る日に外出なんてもってのほかだった。今日は暇だなあ、と窓の外で雨降る世界を見ながら思っていた。
寝ているなら時間の経過が早いのでまだましなのだが、生憎早起きしてしまい、しかも目が醒めてしまっている。親が帰ってくればテレビをつけるので暇ではないのだが、帰ってくるまであと十時間。娯楽の存在しない世界に取り残された十時間は永遠のようにも感じられることを僕は痛いほどわかっている。だてに半年この状況を生き抜いていない。
大声で歌を歌ったり、筋トレをしたり、外を眺めたり。どうにかこうにか時間をつぶす。秋に入り、台風や秋雨などで外出できない日が多くなると考えたら気が滅入ってしまう。
梅雨の時も同じことを思ったような気がする。雨音は落ち着くし好きなのだが、家にいなければいけないというのが何ともきつい。雨音というメリットをかき消して、結論、雨は嫌いだ。
外の景色を眺めるのをやめ、ソファに寝転ぶ。天井を向いて目蓋を閉じ、この病気が治った時のことなどを妄想し、スクリーンに映す。映画を見ているうちに寝たり、起きてまた続きを見たりしているうちに、親の帰る時間になっていた。明日は晴れるといいなと思いながら、テレビの前に座る。時の流れは速くなった。
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その後数日、雨は降らなかった。夏と錯覚してしまうほどの快晴で、爽やかな空気が流れていた。今思えば、これこそ「嵐の前の静けさ」そのものだったのかもしれない。
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起きると雨が降っていた。びゅうびゅうという轟音とともに、雫が斜めに落ちていく。そういや、台風が近かったんだよなあ、と呑気に窓の外を見る。荒れる空気をよそに、ソファで妄想を始める。
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一週間連続で雨が降っている。そろそろ妄想のレパートリーもなくなっていき、脳内では、ある物語が千話という大台に乗ったところだ。国民的漫画と肩を並べる長期連載に頭を抱えながら、漫画家の苦悩に理解を示す。
「長い物語を作るのも、大変だなあ」
そろそろネタも出し尽くし、考えることも飽きてきたので、モチベーションが回復するまでまた別の暇つぶしを考えなくてはならない。
三分ほど考えていると、ふと以前にやった遊びを思い出した。たいして面白くもないくせに時間もつぶせないという二石零鳥のゴミだ。しかし藁にもすがるような思いの僕は、そのゲームをもう一度することを決めた。どうせ妄想のモチベーションが回復するまでのつなぎだ、ほんの少しでも時間を使えたらいいや、と前向きに考える。今日もリビングのドアは開いている。出オチにはならなさそうで安心した。
第二回の予想は一部屋。前回の反省を踏まえつつ願いを込めた形だ。リビングから出て左の玄関を無視して右へ向かう。トイレを通り過ぎて、まず二階へ向かう。今日も前回と同じくドアはひとつも開いていなかった。わかってはいたものの、どこか期待していた部分もあったので、少し気を落としながら一階へ降り、廊下の奥のほうへと進む。前回はどのドアも開いていなかったので終了したが、今回はもしかしたら、と考える。しかし、その刹那の期待はすぐに消去し、今回もどうせ開いていないだろうと予想できる展開に覚悟する。しかし意外なことにその覚悟は無駄となった。今日は洗面所のドアが開いていた。開いていることを確認したら、次はドアの向かいの壁をタッチしなければならない。
水を避けるために洗面所には半年くらい入っていなかったので、新鮮さ半分、水への恐怖半分で中に入る。洗面台と風呂場のドアがあるその部屋の足元をよく見て水滴が落ちていないかを確認する。一見した感じ大丈夫そうなので、慎重に部屋に入る。入って左側にはタオルなどがしまってある棚と洗面台が、右側には洗濯機と使ったタオルをかけておく台が置かれていて、奥には風呂場がある。向かいの壁、というか向かいは風呂場なのでそのドアをタッチしに行く。洗面台には細心の注意を払いながら進む。無事にドアにタッチし、そそくさと洗面所を出る。が、何か違和感があるような気がした。悪い予感というか悪寒のようなものが体を駆け巡る。何かが足りたいような気がした。半年も入っていないのだから、多少モノが増減することはあるだろう。しかしそれとはまた別の違和感があった。それが何か確認しようと引き返す足は得体のしれぬ恐怖で震えて動かない。なぜ見えない、わからないものに怯えなければならないのか。その理不尽さに困惑しながら足の震えが止まるのを待つ。
三十秒ほど経つと流石に震えもおさまり、動けるようになったので、意を決してもう一度洗面所に入る。洗面所の中心に立って周りを見渡すが、何も足りないものはないようだ。しかしまだ違和感は消えない。周りの動きが少ないような気がする。普通はそこに存在するはずのものが足りない。もう一度注意して周りを見渡す。洗濯機やドライヤーなどの機械類以外、この部屋には動くものはないし、それらはちゃんとある。足りないわけではない。であれば何が足りないのだろうか。風呂のドアから時計回りにじっくりと部屋を見渡す。ドアの次はタオルをかける台があり、その次に洗濯機。ドラム式で、上には洗濯カゴが置いてある。違和感はない。次に、廊下へと続く、開いているドアを見る。ここまでは何も違和感はない。残るは洗面台とタオルや洗剤類をしまっている棚だ。時計回りに回ると洗面台と向き合った。ここに違和感があった。
なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?
誰とも向き合わなかった。それが正しく機能していたらそこには反転世界の僕がいるはずだ。
なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで? なんで?
頭がおかしくなりそうだ。僕はしばらくの間、洗面台の前に跪き、自然と肺から漏れ出る空気は、細かく震えていた。頭を抱える。呼吸が苦しくなる。いまや体内を循環していると思っていたこの空気すらも、ただの錯覚であるようにも思えた。自分が生きていると錯覚していたように、呼吸をしていると錯覚していたのだろうか。でも、信じたくない。事実と希望の矛盾が、頭の中で堂々巡りをする。何回も何回も、同じ場所を回る。終わりの見えないお百度参りを、ただ傍観するほかなかった。
******
半年以上前、桜の降る朝、交通事故が起きた。被害者は高校二年生の男子が一名と、三十代の男性が一名。信号無視の自動車が交差点を横断していた車に突っ込んだ。横断している車からみて右側から来た信号無視の車は、運転席に直撃。ぶつかられた自動車を運転していた男性は意識を失い、運転手を失った自動車は方向を変えてまっすぐと歩道に直進してきた。それに高校生一名が巻き込まれてしまう、という事故が発生した。容疑者は一旦逃走したものの、すぐに逮捕されることとなった。
被害者は即死だった。救急車がすぐ到着しても、どうにもならなかった。
******
鏡に映る事実を認めたとたん、すべての事象に納得した。皆に無視されるのも、モノに干渉できないのも、何もかも。水だってここまでを話がる必要はなかった。そもそもの前提が間違っていた。力がなくなったわけではなかった。存在が、なくなっていたのだ。
信じたくもない事実を頭の中でぐるぐると回しながら、洗面所から出る。ふらふらと玄関のほうへと進み、家を出る。
もう、僕はいないのか、いや、そんなことは……でも……
他のことを考える余裕もなく、ただそのことばかりを考える。雨の中、通学路を進む。毎日ように通る道を、無意識的に選択する。五分ほど進むと、少し大きい交差点についた。新しく建てられたであろう、不自然に新しい信号機の足元には、白を基調とした小さな花束が数個置かれていた。雨に濡れる花束と、乾いた僕が見つめあうその姿は、誰にも見られることはない。
存在の自覚 悠木葉 @yuukiyou
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