第29話 次は何を探そう

 闇夜を羽ばたく一翼の怪鳥は高高度を維持していた。跨るのはワシと八百比丘尼の二人、向かう先はヨロズを拿捕した米軍中隊。

 ワシはもちろんヨロズを救うためだが、はて、姉様がひ孫に与する理由はなんだ?


「小娘はワの直系じゃ。みすみすエミシなどにくれてやるものか」

 謂いには思惑が含む。


 ケツァルコアトルスは米軍の頭上を獲っていた。それも正確無比に。

 ヨロズは捕らえられる刹那、すまほなる板で宇宙との交信を開始し、ワシに位置情報を伝えたのだ。あとはヘンゼルとグレーテルよろしく、足跡を辿るだけでよかった。


 ならば奴らの目的地も類推できる。だ。

 米軍が野翁から神もどきヨロズに標準を切り替えたことからも、彼奴らが神ヒルコの情報を事前に掴んでいたのは確実。来日したのもこれが理由だ。

 O地点への到着、案内役のヨロズが価値を失う。そこを狙う──。


 八百比丘尼はヨロズとヒルコ、飛車角両取りを目論んでいる。


「にしてもすまほ一台でバレる行軍、杜撰がすぎるのでは。訓練がなっていませんね~」

 身体検査がややおろそかだ。いの一に破壊するべきがすまほだろうに。それとも──。


「エミシらも古き者じゃった。そういうことだろう」

 老人だからハイテクなんてわからない。一月前のワシと同じく。

「合点です……」


 米兵を率いていたのはスミスだった。過去幾度もしのぎを削り合った男が長ならば、なるほど部下も老いぼれだ。


「『今』は若者のもんですよ。冬色が出しゃばるべきじゃない」

「ぬかせ小僧。この戦争、どう決着をつけるつもりじゃ?」


 ワシにはひとつ考えがある。だが実行するにあたって不確定要素はなるたけ排除したい。米軍がヒルコの元へ行きつくに猶予もある。今は情報を集めるべきだ。

 

 これは余談だが、会話をするにあたって暴風で声が非常に聞こえづらくなっている。かつ不安定な乗り心地であるため、否応なしに八百比丘尼との密着を余儀なくされた。ほぼ姉様を羽交い絞める格好だ。古本の匂いがする……。


「聞くに姉様、あなたは神でなくあくまで不死の人間だという。ではなぜ不老性も有し、恩寵すら撒けるのです?」


 神に近いほど治癒効果は強く働く。先の神戸大戦に居合わせたのが神でなく八百比丘尼であったのなら、なぜ?

「知れたことよ。神ヒルコはワに不死性のみでなく、『若返り』の力をも賜った。特別な話ではない。この怪鳥であっても『強靭な飛行能力』という異能を授けられている。他の番たちも同様にの」

 

「戦力にするため、ですか?」

「おそらくな。番は『愛』という約定を神と結んでいる。とても強い契りじゃ。ワれらは身命をとして神ヒルコに尽くすし、神ヒルコとしても合理的な生存戦略なのじゃ」


 忠実な下僕、役立つほうがいいに決まっている。そのため神は番に異能を与えた。


「神は番を愛する。それはわかる。ではなぜ、番は神を愛するのです?」

「順序が逆じゃ、神を愛することが番への条件なのじゃ。だがこれはあくまで『人間』モデルの話。愛という概念が希薄な生物においてはどうなっとるのかしらん。愛……、あとで話してやるからちとまて」


 いや、べつに他人の馴れ初めとか興味ありませんけどね。恋バナしたいのはあんたでしょ。地雷踏んじまった?


「若返りには自他の制限がない、ようは小規模のであるから。周囲に治癒をばら撒くし、己にだって有効じゃ。ワは歳をとらないのでなく、とったという事実を若返す」


『若返らない』という選択肢ももちろんある。現代まで乾眠できたのはこのためだ。


「ところで聞くが、愛してやまない神の異能を、ワが探求しないわけないじゃろう? 信仰心と、ほんの少しの好奇心をもって、『血族に限る異能付与』という応用を、ワは発見した」


 野翁が数百年生きたのも。ヨロズが若返りタッチを扱えたのも。数百年ものの研究成果なわけか。ただ漠然と歳を重ねていたわけではないようだ。


「神はワの肉体へ異能を組み込んだ。どのように? 遺伝子の書き換えじゃ。遺伝子、つまりは生命の歴史書。それを改ざんするという外法は、遺伝子情報の近い血族でしか有効でなかった」

 ならば『血を何よりもおもんじる』という八尾の風習、実に理に適っている。


「原始人もワシらと同じく、右利きが多かったと聞きます。出土したしゃれこうべの多くに、致命傷の打撃痕があったとか」

 左デコをなぞる。


 猿は武器を握り人間へと進化した。同じなんだ。もう二度と、八尾は神の祝福を手放すことができないだろう。ワシからみれば、呪いとそう大差ない。末永く縛られていてくれ。


 迂遠な皮肉をよそに、得た情報を整理する。

 

 ・八百比丘尼の治癒効果は部外者、ワシにとっても有効。

 ・神の異能『若返り』は、八尾の人間しか継承することができない。

 ワシとて戸籍上は八尾であるが、血色の他人である。

 

「今夜はどうにも口が滑る。すこし語りたくなった。いいか?」

「どうぞ」恋バナどうぞ。


 時代は大きく遡る。


「もう何百年も昔の話じゃ。ワがいまだ人間だったころ、砂浜に一匹の白鯨が打ちあがった。あまりの巨体で海に帰す手立てがなく、しかし死ねもしない可哀そうな奴じゃった」


 白鯨の存在はすぐさま村中に広まった。


 本来であれば解体し、血も肉も油も余すことなく有効に使うのが大和流だが、死なない白鯨という奇異な存在は村人に畏怖をもたらした。


「村人たちは朽ちぬ怪物白鯨を。荒ぶる大海の神なのでは、と考えた」


 古来、漂着したクジラなどを神格化するのは珍しくなかったという。伝承においては漁業の神、七福神『恵比寿』もその一例であり。かつ恵比寿とヒルコは同一視される場合もある。


 神。神とくれば──、物部氏。


「村人は白鯨の対処を朝廷の物部氏に一任した。物部氏は神を尊護こそすれ、殺すことはない。ゆえ、悲劇が採択された」

 殺すことはない。殺してはいけない。死なせてはならず。見捨てることも許されない。


「白鯨は豊漁の神として祭り上げられた。たとえ正体が怪異であろうと、神とするなら相応の儀式が必要になる。当時はもっぱら、荒神を沈めるに人身御供を多用していた」


 御身の腹を人間で満たすというのか。

 人ごときの栄養価、クジラに足るはずもない。結果白鯨は死ぬだろうとも、『善処した』というポーズを物部はとれる。奴らは千年前からかわらない生態なのだ。

 

「贄に選ばれるのはいつだって女じゃ。信仰に厚く、若い生娘ならより良質である」


 古の時代においては、物部に産まれた女は『神の主食』としての生涯を送ったそうだ。貞操も生命も差し出して初めて、女という穢れは浄化されると八百比丘尼は語った。


「ワは始まりの供物として、百年続く神聖の象徴として、白鯨に召しあげられる」


 だが悲劇が、ときに『本物』へ化けることを物部なら知っている。


「察しがついたか? 白鯨の正体は異星の漂着物『ヒルコ』であった。食されたワを元に、神ヒルコは『人間』を獲得した」


 人魚のモデル、ジュゴンの生息地沖縄や。人魚目撃の記録が多数残る北陸に八百比丘尼伝説の類似が存在しないのはなぜか。民俗学者は小首をひねるが、それもそのはず。


「八百比丘尼伝説の正体は、『人魚の肉を食した娘が不老長寿になった』のではなく。『人の肉を食した不老不死の神が人間になった』話なのじゃ」


 真実に尾ひれがついたのではない。尾もヒレも捨てることで、地に足ついた伝承になった。


「ワは神の排泄物、神話を汚した雑音である。ゆえ、命の全権は神ヒルコがもつ」


 その生涯を、存在を、永久に捧げる狂信者たちはかくして誕生した。

 神ヒルコ専属部隊『八尾物部氏』発足の瞬間である。


「姉様はなぜ神を信奉するのです」

「ワとて物部じゃ、神を『愛する』のに疑問や諦念はない」

 ヨロズとワシが相いれないのと同種のやるせなさが、胸中に強く吹きこむ。白波がたつ。


「意地悪な返答かな? それはそれとして、じゃ。ワは神ヒルコに生体情報を模倣されるにあたって、かの魂に触れてしまった」


『今こうして、うぬと触れ合っているようにの──』


 楽しそうに語ってくれる。まるで恋する乙女のようだ。


「あれはまさに『海』じゃった。無窮に続く流れを。無条件に向けられた底なしの博愛を。日に照らされた紺碧の青を──。それはもう、大変に美しかった」


 どうやら海は、老婆が若返るくらい澄んでいた。


「ふん、ダメだな。神なんてモノを愛するから浮足立つ。だから表現を変える。奇麗な海を守るためなら」


 奇麗な海を守るためなら──。


「ええ。命くらい懸けられる」


 青のため。なんて原始的な願いだ。

 ありがとうございます。おかげでようやく定まった。あなたのために戦う準備ができた。不確定要素とは、覚悟の所在である。

 これでようやく──。


 まともな戦争ができそうだ。


「暇はつぶせたか?」

「十全に」


 すまほを見る。米軍は災害の中心にたどり着いたようだ。神戸郊外、旧三木市恵比寿神社上空──。


「みんな神様のために戦うようだ。日本はソレを信じて負けたのです。ので、今回は趣を変えてみます」


 愛という神。知欲という神。狂気という神。

 みんな独自の神を信じて死地へ行く。信仰に殉じるのは楽ですもん。


 ワシは俗物なもんで。大仰な理由より、見知らぬ女の子のために戦う、ってなくらいが分かりやすくていい。

 

「姉様が数百年ぶりに笑うのなら、その理由はワシがいい」


 思えばずっと自分のためだけに戦ってきた。もうそろ自分探しには飽きてきた。

 いつだって他人と目を合わせるのはスコープごし。そんな奴だから、出会いも別れも血みどろです。

 なら、今日だけは──。


「八百比丘尼。姉様は昔から。いいえ、きっと何千年先の未来まで、独り戦い続ける気概でしょう。ので今日だけは、思惑を忘れ、ただワシの喜劇をご笑覧くださいな」


 黙ってここで待っていろ。


「ほう、言うじゃないか。褒美はなにがいい?」

「名前がいい」


 八百比丘尼の生涯には。数百年の歴史には。古文書にも、伝承だって。一度も少女の『名前』が登場しない。



 空白。

 



 空白。




 空白。




 その白地に文字を記そう。




 だから──。


「姉様の名前をお教えください」


 ワシは戦場で自分を見つけた。

 次に見つけるの誰ですか。


「なぜそこまで尽くしてくれる」


 それ、本気で言ってます?


「好みの顔です」

「なっ!?」


 あなたは伝説になるほどの印象を大衆にあたえた。

 あなたは贄の一番手に指名されるほどの魅力をもつ。

 あなたは神ヒルコが番に見染めるほどの人間なのです。

 

 あなたが似合わない能面をつけるのは、見る人みんなが、あなたのことを好きになってしまうからでしょう?


 今から当たり前のことを言う。

 八百比丘尼は、超絶美少女である。


「うぬもしょせん男じゃな! あぁ、期待して損したわ。情欲を感じなかったから、つい気を許してしまった。油断した。ケダモノめ、鬼畜め! さっさとイね!!」

 突き飛ばされた。赤面して、慌て、のべつ幕なしまくりたてて。耐えきれなくなったのかい。照屋さんめ。


 可愛いんだからもう。


──かくして八尾やんまという爆弾が、戦場に投下されたのだった。なんてね。


「やっぱ血かなぁ。あなたの可愛い顔がね、似てるんです。背を向けた妻に。愛する孫に。そしてヨロズに」


 おじいちゃんは、それだけで頑張れる。

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