第21話 幕間の終わり、決戦の始まり

 第一次神戸大戦の全貌は熾烈を極める。血と罪過の宴、火と溶鉄の祝祭。開戦は明朝、宣戦布告なしに勃発した。


 住人の避難が済み、無人となったポートアイランドを活動拠点に、スミス率いる一個中隊は逗留。視察を目的とし、ヘリを一機空へ飛ばしたのだが、直後これを


 生還したパイロットの証言──。

『突然のことだった。橋(本土とポートアイランドをつなぐ、深紅の欄干がシンボルの神戸大橋)の上に男が立っていたんだ。男はNBA選手並みの巨体で、こちらを認識するや一目散に来た。二十メートルは距離があったのに。あいつ、助走もなしに……』


 ヘリを強襲した男は、乗組員全員を海へ放り投げ。コックピットに求愛をしたのち、操縦を失った機体が墜落、大破炎上した。


 燃えさかる鉄塊から男はいでる。肉は焦げ、皮膚を失い、四肢すら断裂するほどの外傷は、だがたちまちのうちに完治していた。

 被災地内においては治癒力が働く。男はその回復効果が人一倍に強い。八百比丘尼の寵愛を受けた、不死身の戦士──。

「ものたりんわな」

 名を野翁。八尾家最古の武人にして、人類最強の蛮王。


 衣服は燃え尽き、一糸まとわぬ鋼鉄があらわに。

 はちきれんばかりの筋肉は暴力の権化。銀の長髪と髭をなびかせ、棍棒ばりの恥部をそそり立たせていた。

「犯したりんわな!」

 野翁は進撃を開始する。


 *


 強襲に対し、迅速な対応が求められた米軍。キャンプ地にて緊急の作戦会議が開かれていた。

「将軍、兵士各員武装完了いたしました」

「うむ、いいか諸君。我々は理不尽にも攻撃を受けた。非合理には圧倒的勝利でもって報復せねばならん。合衆国は勝利のドレスしか似合わないのだから。ここはすでにだ。こころしてかかれ」

「「「イエスサー」」」


 突発的な奇襲に、だが一切の混乱はない。戦場では冷静を欠いた者から順に死んでいくと、老兵たちはみな熟知しているのだ。

 斥候が視認した外敵を討つべく、野翁包囲網が組みあがっていく。


 部下への命令を終えたスミスは、太平洋戦争時代からの愛銃、半自動小銃『M1ガーランド』へ弾を込めていた。八発止めクリップごと一息に弾倉へ押し込み、ボルトを叩いて装填。


 外観こそやんまの『モシンナガン』と同じ木調だが、二丁には明確な違いがある。

 モシンナガンは一発ごとにボルトアクションを行わなければ、排莢、発射ができない旧態依然とした単発機構。対しM1ガーランドは、全弾撃ちきり時のみに手動作が集約されているセミオートライフル。すなわち弾切れまでトリガを引き続けられるのだ。

 フルオートの連射性と、ボルトアクションの命中精度を両立した新機軸の発明に、かのダグラス・マッカーサは『我が軍への最も偉大な貢献の一つ』とこれを評した。


「スミス将軍、なぜあなたも武装を?」

「君、映画は好きかね」

「? ええ、人並みには」

 意味の分からない質問に、部下は困惑を隠さない。


「幼少の頃からバイブルのように愛した小説を、ハリウッドが映画化する。尊敬してやまない監督が、一流のアクタとスタッフ陣を指揮下においてだ。期待値は高い、配給会社は巨万の制作費を融資するだろう。オスカは確実視されていたビッグタイトルが、いよいよ本日ご上演、満を持してスクリーンに煌めいた」

 スミスはわざとらしく大仰なため息をこぼした。


「視聴すればどうだ。監督の独りよがりな脚本に改変され、アートを自称する演出にまみれていた。社会情勢を風刺する過激な描写と、演技力だけを頼りにした皮肉調の会話劇。原作へのリスペクトはことさらになく、身勝手な自己表現の手段として利用されていた。思想死出虫わく後付けのプロパガンダ。そんな映画に出くわしたら、君、どうする?」

「まずは落胆します。そのあとに怒りを覚えます。エンドロールまでのちに書く批評文の内容を考えてしまうでしょう」


「やさしいね。私は出る」

 期待しているから、失望する。

「誰よりも早く劇場を後にし──」

 なら、はじめから期待するべきではない。

「原作小説を読む」


 他者に期待してはならない。世界は自分自身の手で。で。構成されてしかるべきである。それがクリストファー・ミョルニル・スミスの信条である。


「さぁ、楽しむとしよう」



 大阪に城を構える八尾分家軍の元へ、野翁出立の一報が入る。

 時を同じく、乙女防衛大臣からも米軍の動向を追うよう勅命がくだった。

 

 以上を受け軍部は、分隊数班を急遽神戸へ出動させていた。

 やんまの復讐を返り討ちにした実績をもつ部隊だ。必要なリソースは満たされているかに思われた。


 兵士らは大阪湾のフェリへ乗り込み、海を北上、ポートアイランドへ直行したのだが、ここでアクシデントに見舞われる。


 瀬戸内海沖合いには奴らがいた。の客船だ。


 ヒモロギ組は関西広域の犯罪者を、とある孤島へと集めていた。その一隻と八尾軍は接敵したのだが。広い海洋においてあり得ないはずの偶然はなぜ起こったのか。

 やんまを討つべく、もまた神戸を目指していた一人だからだ。


 船首に立ち、海原を覗く十二の心は躍っていた。

『海上戦』

 潮風を身いっぱいに浴びるランツは、カリブの海賊を夢想し、そんな言葉を反芻する。


 砲撃のド、銃撃のレミファ、剣戟のソ。戦場のオーケストラは、血潮舞う弩級の名演となる。ルンを隠すことなく、戦意はふつふつと燻り、テナーサックスを構える。


「この心、どう表現すればええんやろ」

(ビリビリビート? いいやダサすぎる、発想が年寄りじみている)


「どう表現してもエエ。なぜならアタシは自由やから。どう生きたってエエ。なぜならアタシは最強やから。心は晴れやかや。吹こう、高らかに」

 重厚なサクソフォンのスケールが、おさえがたい生命の奔流が解き放たれ。波をも切り裂く音圧は大海を駆けた。


 ランツの息吹は海を越え神戸にまで轟き、開戦を告げる号砲となる。


 そしてついに。

 ついにあの男の耳にも、赤蝕のしらべが届く。


 踊る躍るオドル。

 やんまが動く。



 炎上したヘリから。米軍と野翁の戦火から。沈む客船から。もくもくと黒煙が立ち昇る。龍はうねり勢いを増し、不届きにも空を汚す。

 遠方でそれを視認した一翼は進路を変更する。正体はケツァルコアトルスに跨る白神とヨロズの二人。空を雄大に羽ばたき、連なる樹冠に怪物の影を落としていた。 


 神の美しい白髪はなびき、能面が神秘性をより醸し、完成された御姿は画になった。だがそこに艶はなく、女性よりも高等な神聖にヨロズは見惚れるのだ。


 あまりの貴さに瞳をえぐろうと衝動する。

 脊髄の内側を直でなめるような背徳。

 八尾の血が沸きたち恍惚する。


 ヨロズは悟った。八尾家を突き動かすある種異常な信仰心は、白神にあてられた矮小の表れなんだと。


(人間は唯一、神を渇仰かつごうする動物だ。それを理解していない大人が、我々を『狂信者』と呼ぶ)


 心臓は動悸する。飽和した脳内酸素が巡転し、なけなしの理性を取り戻す。


「山火事の煙はあんな色にならないよ。黒煙はそれに固形物や不燃成分が含まれているから起こり得るんだ」

「ほう。つまりあの元に人間がいると見ているのじゃな」


「うん。それも大規模な。どうする? いく?」

「ワはうぬの指し示すほうへ向かうまでじゃ。その眼下に何があろうと、ことごとくを踏み鳴らし、最短距離で求めへと向かう」

「神としての精神性?」

「せっかちな老婆の戯れ言よ」


 火がないところに煙は立たない。して渦中には、いつだってやんまがあることを、ヨロズがしゃんと知っている。


 彼女の名は『八尾ヨロズ』

 

 神を信条とする『八尾』と、やんまを信奉する『ヨロズ』。名に架せられた十字架は二律背反し、灰色の脳細胞を癌化させていた。


 癌は切除することが有効だ。

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