第20話 幕間 ヨロズの自乗
ヨロズがなぜ曾祖母の名を襲名しているのか。
やんまの子を身ごもるためである。
かつてやんまの妻、
その責任を、八尾家はヨロズへ押し付けた。
やんま存命時に厄災が起きたのなら。若返り、繁殖能力をとりもどした鬼の子種を、八尾本家の子宮へ招き入れろ。
名はいわば祈りであり、呪いに似た
悲願架された少女ヨロズは、以外の役割を本家に求められていない。器としてのみ鋳造、摘出された苗床なのだ。
彼女が福井の邸宅に生涯隔離されているのも、貞操を守るためであり。破門となったやんまと唯一関係をもつことが許されていることすら、思惑が因である。
一族はなにゆえやんまに固執するのか。
かくもたぐいまれな遺伝子であるからだ。
彼は生粋のバトルジャンキという、平時においては不相応な特性をもつ。
ただの戦闘狂ならば替もきく。彼の場合、フィジカルがまずもって随一であった。
戦争支持者でありながら、平和を重んじる歪なメンタリティも評価されていた。
子飼いの家猫が、ときに獅子をもかみ殺す虎になる。高貴かつ停滞した優良血統は、発破剤を彼に求めた。
環境適応能力すら群を抜いて高い。過酷溢れる魔境をただ一人『天国』と称する異常性はいまも健在で、当人は悠々自適と被災地をサバイヴしている。種牡馬としてのポテンシャルは野翁に迫った。
『災害世界に適応した遺伝子情報』
やんまの精は生存戦略的価値が非常に高く。厄災後、日本の舵取りに迫られた八尾家が、彼を欲するのは道理といえた。
血筋に鬼の血統をいただく孕み袋としてのみ、ヨロズの呼吸は認められていた。
八尾にとって誤算だったのは、そんな彼女が賢すぎたこと。
ヨロズは両親を知らない。なので己が天賦の才を知らない。
母は障害児が希に見せる、瞬間記憶能力や高速演算といった、『特定分野において傑出した才覚』を有する、俗にいうギフテッドであった。
父は数々の受賞履歴をもつプロフェッサ、生物学会の権威でもある。
二人の嫡子であるヨロズも当たり前に秀才で。
『敷地から一歩も外へでたことがないのに、一流大学院まで進学。博士課程修了を間近にしている』という肩書は、才覚を如実に表している。
だがあくまで繁殖要因。八尾は秘匿の深部を彼女に晒していない。
にもかかわらず災害の原因が、『超常的なナニカ』であることを突き止め。かつ、『八百比丘尼』の存在にまで、思考を届かせるに至った。
ロジックは以下の通り。
(ずっと考えていたんだ。滅んだはずの種はなぜ蘇えった? 若返り現象は生者にのみ有効で。鱗木をはじめとする絶滅種は効果適応外のはずじゃないのか?)
ヨロズはそれを『地球が若返ったから』とまとめたが、暴論であることは自身が一番わかっていた。
(若返りと、生き返りは違う)
絶滅種の復活には死体が必要になる。でなければ無から突如現れたことになり。それを『あり得る』とするための、手持ちの根拠は乏しかった。
(植物の生き返りは場所、時代区分を完全に逸脱し、規則性もなかった。化石からの復活はどうだろう、木々の背丈が高くても、地下数十メートル深くから芽を出すことは不可能なはずだ。海底の化石が復活していないことにも説明がつかない)
(前提がそもそも間違っている説を検討しよう。若返り現象は生者にのみ有効という認識は正しく。そもそも絶滅種復活現象は発生していないとか)
(生き返ったように見えるだけで、実際は若返りの範疇でおきた可能性。見せかけの蘇生論)
(未成熟の若者が被災後肉体機能の一部を進化させたように。現存する植物が古代種に似た姿へ進化した、みたいな?)
普遍的なシダ植物が若返りエネルギをあび、鱗木へと収斂進化した。だがこれをすぐに否定する。
(ありえない。鱗木は古生代だから繁栄した植生だ。近代の地質や気候には適していない、すぐに滅んでしまう。進化は環境へ適応してこそじゃん)
(……なら。絶滅していたと思われた植物は、はなから死んでいなかった?)
鱗木も、ムカシブナも、じつはずっと生きていた。眉唾だがそう仮説立てたときにのみ、すべての辻褄があう。
(種でも、胞子でも、なんでもいい。生きた細胞の一つでも現存していたなら、理論上復活は叶う)
ヨロズはある論文を思い出していた。
『ロシアの永久凍土が地球温暖化によって溶けだし、四万年前に冷凍保存されていた線虫が活動を再開した』
(ありえるはなし。琥珀や永久凍土に閉じ込められていた不活性細胞が、災害をきっかけに蘇る。創作物ならありがちな設定だよね)
ただこれも化石と同じ問題にぶち当たる。地表近くになければ芽は出ない。自然下においてはまずありえない状況だ。
(故意なら?)
例えば仮想神アラハバキ。神が恣意的に保存していた種を、災害後に蒔いたとしたなら。
(飛躍しすぎ? でも、一考の余地はあるよね。キーワードは『種の保存方法』)
コールドスリープなどを例にした、いわばタイムスリップ。
(種の保存、ようするに老化の阻止だ。若返り現象との関連性は? ベニクラゲやヒドラなんかがもつ不死性も気になるし、数万年生きるガラス海綿類にヒントがあるのかも。それこそ寿命を超越した……)
「あ」
ようやく結論である。
(不老長寿の代名詞的伝説、八百比丘尼。彼女は最期、故郷である若狭国にて即身仏となった。件の場所こそ私が囚われているここ、福井県小浜市だ。なぜ八尾家はそんな場所に本拠地を置いた? 災害のせいだと思っていたけれど、近頃本家連中の動きも活発だ。……怖い。災害と八百比丘尼の類似性。八尾家との関連性。偶然で片付けていい問題なのか?)
ヨロズは知らない、八尾が隠す秘密の地下道の存在を。地下道は八百比丘尼が入定した洞窟と繋がっている。八尾と比丘尼は、繋がっているのだ。
(そもそも不死なんだよね。どうして死ねたの?)
八百比丘尼は即身仏となった。ようはミイラ化である。
(ひょっとして、まだ死んでいない?)
干からび、乾き、だが朽ちてはいない。
(生物の中には自ら肉体を無代謝状態へ追い込み。仮死することで厳しい環境下を生き延びる、『乾眠』を行う種がいる。八百比丘尼、あなたがいまだ生きていたのなら、若返りエネルギを浴びることで──)
災害発生からひと月。拡大する被災範囲はついにこの日、小浜市に現着した。
ピカリ──。
爆発。
「うわ!?」
衝撃。
地下から何者かが飛び出してきた。
ヨロズの眼前には、「あ、あなたは!?」復活を遂げた、神の姿があった。
ヨロズ自身も若返っているというのに、そのことすら忘却の彼方へおしやる衝撃に目を見開く。
「はっ。けたたましいその心音、小娘、ワの子孫じゃな!」
白無垢の長髪、天衣無縫の羽衣。天照大御神を模した能面をくいと持ち上げれば、絶世の美貌がそこにはあった。
細く切れ上がったまなこ、高貴な御身を示す平安貴族の殿上眉。固く結んだ口元には紅をさし。髪色に勝る白肌が痛く神々しい。
特筆すべきは、神がまたがる怪物である。
怪物は巨躯だ。
八尾の屋敷を吹き飛ばし、天井に大穴をあけた張本人。注がれた陽光が異形の全貌を明らかに。両翼を広げると、全長は十メートルをこえた。
ヨロズは自らを呪った。一目で怪物がナニであるかを理解してしまえる知識を悔やんだ。よって驚天動地、立つべき科学の地盤が崩落する錯覚を覚える。常識は崩れ去ったのだ。
ただ恐怖はない、皮肉にも学者としての知欲が先に衝いた。
逃げ出すことを好奇心が許さない、ヨロズは茫然自失と立ち尽くすしかなかった。もし怪物に害意があれば、彼女はここで死んでいただろう。
白亜紀後期に存在していたとされる、史上最大級の翼竜。
「ガッガッガッ」
雄たけびをあげた爬虫の王の、洗練された外皮がわななく。
存在を誇示するよう羽を唸らせる。
大恐竜時代に君臨した空の覇者。アステカ神の名を頂くかの翼竜こそ──。
「ケツァルコアトルス・ノルトロピ!!??」
中生代、生息地は北アメリカ大陸。翼は骨により形成され、翼開長は計り知れず。陸上立位時であってもキリン並みの巨体を誇り、アランボウルギアニアの発見まで、ケツァルコアトルスが地球史上最大の飛翔動物だと信じられてきた。
(飛べるのか? こいつが? この巨体で?)
「なんとでも呼べ。のう子孫、ワの比翼はいずこじゃ?」
ケツァルコアトルスを従える神の声音は、小さな背丈にしてはめっぽう低くかすれ。おどろおどろしい威厳は心を震わす。
(ケツァルコアトルスも、比丘尼も、鱗木も。何らかの方法でずっと生きていたんだ。私の予想は正しかった。間違っていたのは固定概念とスケール観のほう)
(比翼。比翼の鳥。ツガイでなければ空を飛べない架空の鳥)
「そやつは厄災の中心にいる。いずこじゃ?」
厄災の中心。被災地の原点。災害は今も広がり続け、航空上から観察すれば、概ね円形であることがわかる。円ということは、当然センタがある。
(拡大起点である円の中心にナニカがいる。そのナニカこそが、災害の原因であり、ことの真相を示すアラハバキとでもいうのか。うぅ、知りたい──)
ヨロズはやはり恐れない。どこまでいっても知欲の徒。知りたいと思う好奇に、抗う術など持ち合わせてはいないのだ。
「そこには何があるの?」
「踊る躍る
心の音。心臓の鼓音。つまり脈動である。
ヨロズの脳内に、まばゆく電撃が轟いた。
(災害範囲は日におよそ一kmのペースで拡大している。一kmは十万cmで。十万とは、人間が一日に行う平均鼓動回数と近似だ)
血は沸き立ち加速するニューロンへ酸素を無尽蔵に伝達すれば、ケツァルコアトルスのように考察が高く飛翔する。
「災害は、中心にいる何者かの心拍数に比例し拡大している?」
「ご名答」
(一心拍につき一cm、一日に鼓動約十万回とすれば、拡大距離は一kmだ。かつ地球の円周は四万kmであり。災害が地球全域に及ぶまで、およそ二万日。距離に概算すると二十億cm)
「災害を引き起こした原因」
仮称アラハバキの真名は──。
「名を
国産みの神イザナギ、イザナミ。二柱の長子にして、出来損ないの赤子、ヒルコ。
ヨロズの動機はおさまらず、過呼吸に陥る。
(二十億。英訳するとTwo billion。ビリオン、ビリオン)
オーバーヒートした脳回路が紡ぐふざけた考案。
(二十億回の鼓動。ビリオン、ビリオンの拍動が文明を殺す)
電撃する心臓。ときめきの喝采。
「ビリビリビート」
「それ、よいな」
白の神が採決を下す──。
「いこう、音の鳴るほうへ。子孫、あんないしろ」
ヨロズが外界へ踏み出すことは禁忌とされた。
(八百比丘尼。あなたはこうも易々と)
連れ出す。それはやんまでさえできなかったことだ。
(ケツァルコアトルスは人二人をのせて飛翔することが可能なのか? 助走や高所からの滑空動作は必要にならないのか?)
「ガッガッガッガッ」
ヨロズの疑問符は、パッと開けた視界が打ち消した。
ケツァルコアトルスがひとたび羽ばたけば。彼女の閉ざされた世界が自乗倍。いや、ビリビリ倍に広がった。
海。
井の中の蛙は、一望千里の蒼穹と、果てなき群青の水平線を見た。
この日初めて、外を。『青』を知った。
(なら、なら、なら!!)
「条件がある」
「なんじゃ? 言ってみろ」
(もしも人権が許されるのなら。使命を、勅命を。命よりも大切なひいじいの寵愛を、いっそ、断ち切ってしまいたい)
「八尾やんまを殺してほしい」
ヨロズの存在価値は、やんまのためだけにある。
ならば──。
(鬼の心臓をぶちまけたあとに残る、私の意味だとかいう血だまりが、『赤』が。どうしようもなく見てみたくなった)
「私そしたら、どうにかなっちゃう。自由はどんな色をしているの。知りたいと思う気持ち、もうとめらんないんだ」
ヨロズは好奇心に溺れている。
「あいわかった」
ケツァルコアトルスは天高く翔けた。目指すは厄災のセンタ。ヒルコの鼓動。
(そこにかならずひいじいはいる。鬼ヤンマはいつだって、戦場における中心人物であり。自己中心の鬼だから)
かくして物語に。
ヨロズと八百比丘尼の参戦が決定する。
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