第19話 幕間 第三勢力の事情
米海軍横須賀基地から大型輸送ヘリがたった。百名近くが箱詰めにされ、なんと全員が百歳に迫る高齢者であった。
ヘリがあの世への急行便だと言われても疑う余地はない。
同じのが三機。計四百の老爺たちは、愛知県は災害区域への突入をまもなくとしていた。
なぜ斥候を任じられたのが現役世代でなく、大戦時兵役していた引退兵ばかりなのか。
『神が災害を起こした』なんて眉唾な情報、軍部の全員が鵜呑みにするはずもなく。兵の投入に難色を示したのだ。
そこで選ばれたのが、年老いてなお祖国への忠誠を誓う引退兵たちだ。
彼らであれば、軍は無駄なコストを支払わずに済み、かつ『若返り現象』の真偽を確かめる都合の良い判断材料にもなる。
むろん一同『志願兵』であり、強制的に連れてこられたものは一人もいない。
ならばたったひと月で四百もの兵を揃えられた米国の人海術は凄まじいし。
一役買った男の存在も明記せねばいけないだろう。
老体に鞭打つ強行軍、体調を崩す者も多くいるなか、鋭い眼光をギラつかせるのは──。
『スミス』
スミスは太平洋戦争を生還。以来司令官としてベトナム戦争と湾岸戦争を指揮。『General』の敬称で親しまれていた。
風雲児的な性格に惚れ込む者も多く、彼の誘いがあってこそ招集は叶ったと言える。さらに実子が現米国大統領であることも、絶大な信頼へと繋がる一助になっていた。
スミス大統領。陸軍将官を父に持つ、アメリカ初の女性大統領。
『父君を若返らせたい』
彼女の作為に、誰が文句を言えようか。
思惑とは裏腹に、スミスは実に私的な理由で動いていた。
『八尾やんまとケリをつける』
やんまは知らない。彼の歩んだ戦情の軌跡に、スミスという男があったことを。
クリストファー・ミョルニル・スミス。
ガダルカナル島の戦い、サイパン島の戦い、ペリリュ島の戦い、硫黄島の戦い、そして沖縄。
勝ち戦のすべてを全線で戦い、これに死に損なった。
スミスはやんまと幾度となく邂逅、交戦し、死闘を演じた。圧勝し、辛勝し、ときに大敗した。
いまもやんまから受けた傷が身体中に多く残っている。背の手榴弾跡は特に酷いものだ。
やんまの欠落した脳溝は、敵兵を個として記憶していない。スミスの存在は朧気に霞んでいたが。スミスにとって、やんまとの日々は忘れじの青春なのだ。
肉へめり込むやんまの拳が。五臓六腑を貫くやんまの猛りが。死後幾億年後、骨髄がオパールへと果ててなお、残響する呪いなのだ。
彼も戦場に自己を見出した、『鬼』の一人。
同じ鬼ゆえ、スミスは惹かれずにいられない。あと少し、ほんのもう少しだけ。
恋を熱せと。
ピカリ。
光がスミスの大脳皮質を照らす。若返り現象の典型的特徴だ。
ヘリはついに被災地内へと突入した。
躰が蠢き、ドロドロとした蛋白が全盛を再構築していく。
核分裂並みの熱量を持って、細胞増殖が行われていく。
光が明けると、瑞々しく闘魂が唸った。
揺らめく金色の長髪、煌めく碧眼の眼差し。その恵体を拝めば、ミケランジェロは創作意欲を沸かすだろう。
老たる馬は道を忘れず。鬼はつつがなく修羅を取り戻した。
「tomorrow is another day.」
(さて、今日はどんな風が吹くのだろう)
老人たちは著しく若返り、息つく暇なく作戦を決行していった。B29より爆弾を投下するみたいに、皆ヘリから飛び降り始めたのだ。
突き動かすは喜び。
歩かずには。走らずには。スカイダイブせずにはいられない奇跡だから。
歓声は連続する。
スミスも続いた。落下傘が開くまで、愛する妻よりも強く激しく、大気を抱擁する。ひとえにやんまを想う気持ちだ。
(あぁジュリエット。我が愛しのアン王女。君のために日本語を覚えたんだ。早く私の言葉で伝えたいんだ)
「私、おしり蹴ります!」
かくして物語に。
ジェネラル・スミスの参戦が決定する。
*
大阪府、八尾市高安山にて。
御年五百七十を迎える怪僧、八尾
木々を粉砕し、山肌を石砕し、連峰を撃砕していた。
若返った彼は慣らしも兼ねて、素手で生駒山地を削いでいたのだ。
大木へガチンコ、幹本からへし折る。岩石を正拳突き、砂塵に帰す。
所業はまさしく天災のソレであり、八岐大蛇の癇癪にもよく似ていた。
武傑揃いの八尾家にあって、ならば最強と言えば何者か。ズバリ野翁だ。
武芸に優れた一騎当千の武曽、八百比丘尼においてもこれは同じ。
ゆえに比丘尼は、不老長寿の権能を自己が有するよりも、怪物へ譲渡した方が得策だと考え。一族に与えることで、長き生涯にひとつ区切りをつけた。
おかげで八尾家は寿命が常人の倍を超すこともしばしば。対して五百をゆうに跨ぐ野翁は傑出している。
野翁は三百年分、自力で延命してみせたのだ。
戦国の世から生き続ける武人。いや、武士という肩書きすら彼には窮屈。
二メートル近い巨体。隆々に盛り上がった筋繊維。振り下ろされる一撃は、鋼ですら屑にする。
ならば野翁に
異常性を表すに顕著なのが外見だ。
元来十代後半が人の全盛であるのにも関わらず、災害光を浴びた野翁は逞しい髭をこさえた老人であった。
なぜか。彼の肉体的ピークが老人だからだ。
野翁はおよそ二百になるまで成長を止めることがなかった。五百という一生を思えばなんら不思議ではないが、まさに王者のフィジカルである。
物部一族大長老。私兵一個大隊を総べる蛮王。
だからだろう、彼にはひとつ大きな欠点があった。
大きくて、とびきりの、逸物の欠点があった。
八尾市上空を飛来する米軍ヘリ。
鉄塊見上げて──。
「
隆起していた。
英雄色を好む。彼は強そうなものであれば、なににでも興奮できる変態なのだ。
ちなみにやんまは、彼の性的対象である。
かくして物語に。
蛮王野翁の参戦が決定する。
*
ジャズの巨人、ジョンコルトレーンが送る『My Favorite Things』。
ソプラノサックスの美しいしらべが特徴的な名曲。今宵はとりわけ独自のアレンジが主張していた。
轟音、轟音、内臓をひっくり返す轟音。
揺れるホール、震えるガラス。
心地よいメロディラインはがなり、スウィングしていた。
奏者はただ一人、深紅の長髪を揺らす麗しき少女。齢は未だ十二を越えず、演奏技法は稚拙だ。だがプロ顔負けの音圧を放っていた。
金色に輝くサックスベルが叫ぶ。紡がれる音の濁流は、大粒の悲鳴にも、爆誕に喝采する産声にも聞こえた。
観客はただ一人、ヒモロギ組組長、神籬ダイ。彼は瞳を閉じ、魂のリズムに身を委ね、少女の演奏に深く聞き入っていた。
一オクターブ上がる。泣き声は絶叫へ、産声は絶唱へ。
メロディがスタンダードを外れ、アドリブに転じる。
息苦しい、息苦しい、息苦しい。
少女の表情は苦悶に歪み、鬱血していた。
足りないのだ。少女が目指す理想の音には。
まだ全然足りていない。
生まれついての赤毛が総立ち、ぼうぼうと燃えていた。
少女には不似合いなサックスを、軽々く振り回す。悪魔に取り憑かれ、発狂しているようにも見える。
名はランツ・クネヒト・ループレヒト。
ダイの
ダイは満州をルーツとする中国人の父、純日本人母の間に生まれた混血である。
鬼籍に入ったダイの妻は英国の令嬢であり、一人娘はケニアのマサイ族と駆け落ちした。
孫はドイツの諜報員に誑かされ、ひ孫は今もアイスランドの漁師とタラを捕っていた。
さすがダイの子孫である、ランツの両親も自由を何より尊重し。ランツが五歳を迎えた折に、アイスランドから数千里離れた日本へ独り旅立たせた。
今はもっぱら、ダイの趣味であるジャズにお熱なのだ。
ワンフレーズが終わる、刹那のブレス、肺いっぱいに世界を吸い込む。
一拍分の溜め。
『バッ』と音波を放つ。大気を割って、いよいよエンディングである。
(だがランツ、お前の理想にはまだ足らんのやろ)
「上げろ」
人体にはもはや不愉快な爆音。
「上げろ」
破綻する音楽性を、暴力へ昇華させる。
「上げろ」
少女の息吹はとまらないとめどない。
(こんなもんじゃないやろ。たかぶれ。もっと!)
「弾けろ!」
「────」
比喩ではない。サックスが爆発した。金管に亀裂が走った。
「イエァ!!」
ダイの鼓膜は潰えた。
余韻ですら、ビリビリと心臓を殴りつけていた。
プロですらあり得ない現象を可能とさせたのは、ランツの並外れた心肺機能ゆえだ。
被災した少女の肉体には変化が起こっていた。ランツの身体能力はなんと、成人男性の数乗倍に達していた。
年寄りたちは現象のエネルギを若返りにあてたが。
いまだ発展途上の若者たちは恩恵にあずからず、代わりに肉体の進化が促された。
死亡したやんまの連れ合い、咬犬直一の扁桃体がそうであったように。
ランツの躰は今、急速にメタモルフォーゼ、転調していた。
だがそんなこと、ランツにとってはこれぽちの些事だ。
なによりも優先されるのは、刹那の悦だから。
少女ランツは自由を愛し。
「きもっちいいー!!」
気持ちがいいことをこよなく愛していた。
底なしの欲求に際限はない。空はいつだって青天井。何せランツは少女だから。
少女とは、世界で一番自由であり、強欲な存在のことを言う。
ランツは思う。次はどんな『気持ちよさ』を探そうか。
「おじいちゃんをいじめる人がおんねん。とっても強ーて、怖いんよ」
「!」
例えば、ヒモロギ組をコケにした八尾やんま。奴をコテンパンにのしたなら、さぞ気持ちがいいんだろうなと。
かくして物語に。
ランツ・クネヒト・ループレヒトの参戦が決定する。
魑魅魍魎たちの大戦はまもなく。
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