幕間

第18話 幕間 内閣府の事情

 103代内閣総理大臣、浦見壮吾。人呼んで『大言壮吾』は苦悩していた。


 口ばかりが達者な大言壮語をメディアは揶揄った。彼のハッタリはしかし、災害後全てをせし権限に変わっていた。


『国家間干渉を未然に防ぐため鎖国せよ』

『被災地内の人間を退避させ、立ち入り禁止区域とせよ』

『地方、および個人の所有地を国へ帰納せよ』

『北海道を災害に適した新たな首都にせよ』

『人工島の建造を推し進めよ』

『海外にいるものはパスポートの効力が持つうちに帰国せよ』

『難民指定者以外の外国籍の者も自国へ帰国せよ』

『成人者は被災後も個人の証明ができるように、できるだけ多く若齢の写真を用意せよ』

『災害に巻き込まれる前に、財産のすべてを公人に預けよ』

『日本国内にいる者は、許可なく被災地へ侵入することを禁ずる』


 これら方針は総理官邸から発表され。およそ五分後には閣議決定、一時間後には全世界へ報じられた。


 壮吾の発した命令は、あらゆる制約をすっ飛ばし、とみなされるのだ。

 民主主義からは大きく乖離し、国連の追求も激しさを増すなか、内閣はこの治世を大胆にも強行した。


 それら重圧が壮吾の胃を刻み、昨今においては珍しくも心労による老化を加速させた。ならばなぜ暴挙はまかり通るのか。


 戦後GHQ主導のもと編まれた日本国憲法は、災害後、歴史上初めて改訂された。


 災害直下の超法規的処置という大前提はあれ、国家存亡の危機に迅速な対処を可能とした新憲法こそ。


『国民の代表者として、主権が内閣政党へ臨時的に存することを宣言し、この憲法を確定する』


 つまり──。


「私が被災地内に『核を落とせ』なんぞ言ったら、可能になってしまうのか」


「なるほど! 現象自体を消し飛ばそうということですね。南極昭和基地地下にて隠匿している、新型H爆雷を使用しますか?」

 と文部科学大臣。


「総理! あんた今の状況わかってんのか! 冗談でもそんなことを言わんでください、バカが本気にしてしまいます。ここの会話オフレコだよねぇ!?」

 と内務大臣。


 壮吾の悪癖に罵詈雑言が飛ぶ。

「悪かった、冗談はよそう。文部科学大臣、あなた三日は寝てないでしょ。少しは休んでください」


 国務大臣らとその補佐数十名は、現日本国の最高権力者としていち早く指示が出せるよう、総理官邸に集っていた。

 というのは名目で、実態は『幽閉』に近い。


 災害直後、パニックに陥る国政を八尾官房長官率いるがジャックした。


 官房長官は衆参議院議長、最高裁判所長官をも壮吾と同じように隔離し。三権を独自的に統一した。

 しまいには皇居へ乗り込み、今上天皇を筆頭に据え、実質的な長として日本国に君臨。


 いわば現代版である。


 だがその詳細は国民に伏せられている。あくまで代表は総理大臣であるとの認識だ。


 主権の長として祭り上げられた総理の存在は、暴挙に対する非難の受け皿、ある種スケープゴートとして利用されたのだ。


「三権分立は? 国民主権は? 天皇の国事行為の如何は? あぁ、国政の破綻だ。出鱈目でたらめが過ぎる……」

 天を仰ぐ総務大臣。


「そもそも被災地内は今どうなっている! こうも缶詰にされてしまっては、情報の真偽も問えんだろ!」

 しびれを切らし机を叩く財務大臣。


「八尾官房長官は機に乗じ本国を征服したのだよ。この国はもうおしまーい」

 悲観に暮れる法務大臣。


 みな愕然とした不安感に襲われ、いきり立っている。小田原会議の程をなす有様に、国民代表としての示しがつかんと壮吾は声を大にした。


「何度でもいうが、こたびの対応はでありだ。ほとんどの者は知らなかっただろう、混乱する気持ちもわかる。私だって同じ気持ちだよ。だとしても、とり決められていた『高次の法』に従ったまでなのだ」


 国民、および世界からもひた隠しにされてきた、六法全書に記載なき法。日本国で効力を発揮する、最古の法。


 憲法より優先されるソレは、『八百ヤオノ布告』と呼ばれ。

 飛鳥時代を端にした、今もなお強制力を持つ歴然ののりである。


「八尾防衛大臣。より詳細な説明を頼む」


 壮吾が指名した女は、この場においてただ一人冷静を保っていられた。

 痩身痩躯でありながら、無表情の醸し出す威圧感は相当なもので。なぶるような彼女の視線にさらされた者は、否が応にも固唾を飲んだ。


 六十ちかい妙齢でありながら、凛とした容姿。研ぎ澄まされた佇まいは歳を感じさせない。


 男性社会である政治家集団の中にあって、なお異彩を放つ一輪の薔薇。刺々しく毒々しく。


 八尾乙女おとめ防衛大臣。

 この女も渦中の、その一人であった。


「内容をさらいますと。『神物の超常により日本全土の安寧が阻されたとき。時代の全権を物部氏モノノベウジに委託し、対処を一任する』」


 つまるところ、が日本の全権代理者になる。


「皆さんが知らないのも当然です。八尾法はわが家のごく一部と、皇族にしか伝えられてこなかった秘蔵っ子。過去に発動した例も千年以上前の一度きりです」


 補佐官が配布した資料によると、確かに旨の記載がされた古文木書の添付があった。

 真偽の程を確かめるまでもなく、推古天皇から今上天皇まで続く血判が絶えず押されている。


 これに意を放ったのは外務大臣だ。資料を放り、鋭い指摘を飛ばす。

「仮に事実として、なぜ我々が従わなければいけない? 何者も実体を知らなかったいにしえの法に、執行権があるとはとても思えないな。たとえ陛下が承認していたとしてもだ」


 乙女は彼の発言を一蹴する。


「千年、我々は厄災を待ち続けた。息を殺し、爪を研ぎ。いつなんどき、国政を代理しても良いように。蓄えられたその力は、他者に圧政されるほどヤワな代物じゃありませんよ」


 災害後、八尾派のクーデターはわずか半日で済んだ。


「従わないという選択をとろうとも、状況は何も変わらないのです。皆さんがいなくたって、我々はつつがなくことを進めます。ただ、賢者の能は失くすに惜しい。まつりごと程度なら参加していただいても構いませんよ。あぁそれと、八尾家は私兵、一個大隊を支配下に置いています。ぜひ協力的姿勢を」


 周囲の緊張感がいやに増す。首脳陣を隔離できているのも、武力が行使されたからにほかならず。ようは脅しをかけているのだ。


 屈するものかと財務大臣が声を荒げた。

「こんなのは国家転覆だ! テロ行為だ! 貴様、ことが明るみになったらタダじゃ済まないぞ!」


「八尾の魂はもとより国家へ帰属しています。厄が平定されたなら、喜んでこの命捧げましょうよ」

 乙女防衛大臣は挑発的な笑みを浮かべた。


私達八尾ははなから、死ぬ覚悟でやってんだわ」

 はっせられた圧は怒髪天をつく。財務大臣の小牙を折り萎縮させた。


 ひりついた静寂を断ち切ったのは壮吾だった。

「国民が混乱している中、代表の我々が身内争いをしてどうする。この状況だって、何も八尾派が日本を害そうとしているわけじゃないんだ。むしろ逆、陛下も認めていらっしゃる正当な手続きさ。受け入れるほかないよ。それより話を前へ進めよう。蚊帳の外でも、何かできることがあるはずだ」


会議話し合いだよ』。

 壮吾の高説はいつにも増して声が通った。

 貶されることも多い壮吾だが、やはり日本国の総理であり、英傑揃いの内閣府が選抜した長の主張に皆、耳を傾ける。

 声が大きいというのは、存外馬鹿にできない武器である。


 議員最高齢である農林水産大臣が問う。


「そもそも八尾とはなんじゃ? 儂は半世紀近く為政者しとるが、いつの時代にも『八尾家』の人間は必ずいた。それに『神物』と乙女ちゃんは言ったが、まさか本当に災害は神の仕業だとでも?」


「その説明をするには、まず八尾の成り立ちから話さなければなりません。学ある皆様がたなら、『物部氏』の存在はご存じで?」


 歴史の造詣に深い厚生労働大臣が説明をする。

「太古の豪族であり、古くはヤマトの時代にまで遡ります。現存する氏族の中でもとくに稀な、直系に神の名をいただく物部氏。彼らは長きにわたり朝廷を支えてきました。由緒のほどは皇族にも比肩しうるでしょう。子孫も多く、各地に分布していますが、『八尾』ですか。寡聞にして聞いたことがありませんね」


 首肯する乙女はさらに続ける。


「千四百年前。大化改新のおり、一族からとある少女が出自いたしました。少女は特異体質であり、何百年歳月が過ぎようとも、年を取ることがなかったといいます。八百をすぎた室町の時代にあっても、み姿は麗しく保たれていたと伝聞には」

 突拍子のない昔語りではあった。だが察しのいいものは気づく。少女の体質が、『被災者』の特徴と酷似していることに。そして中には、とある伝説を思い浮かべたものも。


「少女はこん日、とある名で知られています。『八百比丘尼ヤオビクニ』と」


「八百比丘尼。八尾……」

 何某かが呟く。事態は核心に迫っている。


 厚生労働大臣はまた語る。

「『人魚の肉を食した少女が、不老長寿を得る。のちに永き生を儚み出家、あまとなり。少女は八百まで生きたそう』。八百比丘尼伝説は、全国各地で広く知られていますが、実在したのですか?」


「八尾家の存在が、そのまま八百比丘尼の存在証明なのですよ。物部は元来、神を守護する役割を担ってきた氏族。ならば神代以降に生まれた稚児の神であっても、当然お迎えいたします。八百比丘尼は希な出自ゆえ、野盗、陰陽、妖狩りといった手合いに生涯狙われ。お守りするために、我々八尾ノ物部は本家から派生、組織されたのです」

 乙女は暗に笑む。今までひた隠しにしてきた生業を、こうも公然できる喜びたるやと。


「少女は朝廷に予言しました。『比類無き厄災が数千年後の未来に起きる』、的中しましたね。予言こそが、『八百ノ布告』発足につながり、我々八尾家の礎となったのです」

 にわかには信じがたい噺に皆が訝しむなか。乙女は時間の無駄だと言い放ち、決定的な証拠を提示した。


「八百比丘尼は晩年、災害を憂い、我々八尾家に特別な力を授けられました。結果彼女の寿命は尽き果て、入定されることに繋がるのです。与えられた力は不老の権能の一部にすぎませんが、人の身では持て余す超常であり。現代の、とくとご覧ください」


 ──ビリビリ。


 とてつもない轟音が首相官邸にこだまする。

 爆撃を受けたものと多くが錯覚した。

 真相は乙女の心拍音ビートである。


 次の瞬間、八尾防衛大臣の妖艶な姿が——。

「みなたん、これでちんじられまちたか?」

 舌足らずな三歳ほどの乙女姿に、変わり果てていた。


 その場にいた全員がひっくり返る。不眠不休の文部科学大臣は卒倒し。老齢の農林水産大臣は心臓発作、AEDが面目躍如した。壮吾はただ静かに頷いていた。


(おちたな)

 乙女の確信通り、彼女の言葉を疑うものはもう、ただの一人もいない。

 かくして八尾は日本国の全権を掌握するに至る。


 しかし心中は穏やかでなかった。大仰なパフォーマンスは、とある真実を覆い隠すためのブラフでもあったからだ。


(八尾家が崇める本来の神は、八百比丘尼じゃあないのです。比丘尼はたしかに実在しますが、彼女はあくまで不老の少女に過ぎず。私達八尾が仕える真なる神こそが、少女を不老化させたそのものであり。またの名を──)


 ヒルコノミコト


 国産みの神、イザナギとイザナミの長子にして、海に流された出来損ないの異形。

 神は本土に流れ着き、その姿からと呼ばれた。


 だとしても皇族に連なる日本国最高神、天照大神アマテラスオオミカミの列記とした姉妹であり。

 神に仕える物部氏が尊護する対象であることに、揺らぎはない。


 八百比丘尼伝説には続きがある。

 少女はもう一つの予言を後世に残した。


『ヒルコこそが、厄を引き起こす心臓であり。ヒルコが死ねば、終末も止まる』


 この事実を知られてしまったとき、おそらくヒルコは全世界から命を狙われることになる。もっとも最悪なのは、人間というに、利用されてしまうことだ。


 神に使える物部氏としては、なんとしても避けねばならないシナリオであり。

『災害を受け入れる』という無茶な方法でしか、ヒルコを守る手段がなかったのだ。日本転覆を許容するしか──。


 ここまで順調に計画を進めてきた八尾家。

 しかしアクシデントは運命の悪戯のように。よもや必然的に偶発する。


「そ、総理!」

 官邸に飛び込んできた外交官が、鬼気迫る怒声を上げた。


「スミス大統領から連絡がありました! そのまま読み上げます。『友好国日本の危機、某国のテロ攻撃の可能性アリ。我々合衆国は日米安全保障条約に従い、軍を緊急的に派遣する』と!」


「つ、つまりどういうことだ!」

 壮吾の疑問に外務大臣が答える。


「合衆国は我々の意向を無視し、被災地に米軍を直接送り込む算段だということです」

「それは大変なことじゃないのか」


「いえ、どうでしょう。被災者の支援や、被害範囲の把握など、我々の手が行き届いていない対応に、マンパワを回せるかもしれません。米国の後ろ盾ありと世界に示すことで、第三勢力の介入を強く抑止することもできるでしょう。非常に頼もしいではありませんか。この際、正式に要請してみては?」


 外務大臣の希望的観測に、財務大臣が異を唱える。

「かの国がそんな献身的なわけあるか! 裏があるに決まっている! 聞けば現象、国益につながる可能性もあるそうじゃない。ほら、乙女ちゃんみたいに、若返りで商売するとかさぁ。その辺りどうなの!?」


 環境大臣が答える。

「大いに可能性はある。災害がもたらした恩恵は計り知れない。枯渇した天然資源の回復、若返り現象、噂ではも。可能性は無限大だ……。だとしても少し性急すぎやしないか?」

 皆が思い思いの議論をるなか、乙女は一人思案の海に潜っていた。


(歴代将軍、全首相すら知らなかった真実だぞ。アメリカがヒルコ様の情報を得ている可能性は限りなく低い。米軍への対処は与党に一任するべきか? くそっ、八尾は国防にこそ優れるが、ここにきて海外派遣の少なさ、諜報力の欠如が裏目に出たな)


 乙女は知る由もなかった。

 米国がすでに、を獲得している事実に。


 なぜか。


 ヒルコを知るは八尾の極々一部を除けば、皇族しかいない。

 だが皇族は、米国に占拠された過去を持つ。


 八尾の徹底した統制能力を持ってすれば、たとえ千里眼を用いても知る由のなかった門外不出。一千年続くその秩序が、唯一乱れた時勢こそ──。


 GHQ占領下時代。


 皇居に乗り込んだ諜報機関は機に乗じ、ヒルコに関する情報を盗み出していた。


 もちろん当初は信じられていなかった。ただ今回起こった災害とヒルコを結びつけるまでに、そう長きは有さなかった。


 秘密裏に地球外生命体とUFOを鹵獲している米国にとって、いまさらUMAを疑う余地はないのだ。


 綻ぶはずのなかった秩序が狂乱する。

 その原因はいつだって、戦争である。


 米国は今、ヒルコ簒奪を目論み、秘密裏に公然と暗躍していた。

 

(妙な胸騒ぎがする、ここは一つ手を打つか)


「総理。きゅうえん支援には適ちていない、せんとー特化の自衛隊特ちゅ部隊を、米軍への対応に回ちませんか」


「私の決定に効力があるのかはしらないが、ダメだよ。万が一米軍と戦闘になった場合、どんな言いがかりをつけられるか分かったもんじゃない。ただでさえ味方が少ない現状、自ら敵を作るわけにはいかないの。おじさん困っちゃった。にしてもかわいいな!?」


 もっともだと乙女は思った。

(しかたがない、八尾の私軍を回すしかない──)


 かくして物語に。

 米軍、八尾軍の参戦が決定する。

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