第17話 愛情に沈んで

『愛は僕らを殺そうとする代物だ』

 彼の言葉は今も前立腺に響き、ワシの心を掴んで離さない。

 深く聞き入ろう。溺死してもいいから。


「まずはじめに姉が死んだ。双子の姉だ。顔がソックリだったと記憶している。恐怖しない僕が、無感動に車道へ飛び出して、ドン。トラックが走っていたんだ。気づいたときには、ねじ切れていた。姉は身を挺して庇ってくれたんだ」


 淡々と事実を述べる口調からは、後悔や懺悔の念は感じ取れず。咬犬君が怪物であることを如実に表していた。


「父は言った。お前が姉を殺したんだと。母は言った。姉は愛ゆえに死んだのだと」


 咬犬君初めての殺人。


「とても感受性に富んだ姉だった。元気はつらつで、天真爛漫で。かかわる人間すべてが彼女のことを好きになる。そんな人だった」


 両親の失意を思うとやるせない。

『咬犬君が死んでいれば』、そう思うのはワシの性格が悪いからだが、人は案外くそったれも多い。彼の両親はどうだろう。


「『僕のせいで』、歴然とした共通認識をよそに、家族はなお僕を愛そうとしてくれた」


 ならばまことの人格者だと思う。結果、愛の形がとしても、仕方が無いことなのかも知れない……。


「荼毘にふされた妹の遺骨を前に。どうにか三者は食卓を囲う」


 空席をみつめ。日々の崩落を聞きつつ。

 なおも『家族』であろうとした。


「薄暗くかび臭い、空気の澱んだ和室。脱するための出口はない。閉ざされた雨戸は城壁よりも強固な壁なんだ。あくる日、圧倒的な力で畳の上に押し付けられ、父に陵辱された。皮切りに毎晩、僕はからだを求められた」


 家族の形。


「父はひどく僕に乱暴した。事が終わると母はぶちまかれた精をかきあつめ、胎中に姉を呼ぼうとしていた」


 家族の形。


「なぜそんなことをするのか、僕なりに考えてみた。両親は息子を愛したかったんだと思う。ただ、僕への憎しみが肥大化するのも止められない。自己矛盾はやがて地球規模に膨れ上がり」


 形は壊れて。

「決壊する」

 氾濫する。


「歪んだ愛だけが残った。『僕が姉になればいい』。僕が姉として生きたなら、僕という巨悪も愛せよう。だってみんな、姉のことが大好きだから。そのために父は娘として僕を犯したし。母は僕で自慰をした。僕の役目は、双子として姉の面影を両親に提示し続けること」


 直一であってはならない。姉でなければ愛してやれない。 


「すげ替えようと働く流動思念が、僕にとって正真の愛だった。そういう意味では、僕は愛を一身に受けていたのかも?」


 ぽた。ぽた。


「はじめは雨だと思った。室内なのにどうして? 頬に滴る雫、どこから流れてきている? 目をこらすと、首を吊り、宙ぶらりんの母がいた。から伸びた、の羊水だと分かった。弟も母と同じくへその緒で首を吊って。干物でも作るのだと漠然と思った」


 ざく。ざく。


「父は僕の陰茎を切り落とした。『なぜ泣きもしない』。つぶやいて、自分の首を裂いた」


 咬犬直一は自らの手を汚すことなく、一家殺害を完遂した。


「なぜ両親は自殺した? 皆目見当もつかない。ただ、その愛には答えてあげたくなった」


 ひとおもいに直一を殺せていたなら、どれほど楽だっただろう。それを許さない高潔さが、両親に自死を選ばせた。


「僕の脳は愛を記憶する機能がないので、記録を残そうと思った。僕が両親を殺したように偽装し、証言することで、事件は連日報道された。歴史になった」


 子は親に似るという。その選択は、両親の所業すりかえによく似ていた。

 

「つまるところ僕への愛は条件付き。僕は特別じゃない。姉が二人の特別なんだ。娘の姿を追い求めるあまり、直一は身堕見落とされた。僕はね、じいさん。あんたの特別になりたいよ」


 君はとっくに、ワシの特別だよ。


「どうして? どうしてワシなんだ?」


「頭ん中がずっとおかしいんだ。じいさんと出会ったときからずっと。そこで仮説をたてた。年寄りは災害を経て若返ったみたいだけれど。なら、若返りが不要な子供は何を得た?」


 災害光線、ことわりを作り替えるほどの超エネルギ。受けて、なんてありえるか?


「僕の頭はおかしくなったのかも知れない。いや、これは正常化だ。じいさん、僕はね、ずっとドキドキしている。こんなこと、うぅ、生まれて初めて……。僕はどうしようもなく、今! あんたに殺されたいよ」


 たとえばそう、が、あるべき姿に変態していたとしても──。


「心臓が、ビリビリするんだ」


「どうして!」

 どうしてワシみたいな……。


「僕の話を聞いて、どう思った?」

「……、心底、面白いと思った」


 とんだ悲劇で、どんな喜劇だ。


「ね。あんただって同じ怪物なんだよ」

 彼は拳銃をワシへ差し出す。


「好きです。犯してください。愛しています。殺してください」


 約束を交わした。

 咬犬君がワシの特別になったとき──。


「ええ、喜んで」

 咬犬直一を殺す。


 受け取り、引き金を絞ると、彼は死ぬ。

 余裕だろ? 八尾やんま。いままで何人を殺してきた。

 お前は鬼だ。お前は怪物だ。いつも通りそれを示せ。簡単に人殺せ。


「ごめん、無理です」

「……なぜ?」


「君が好きだ、失いたくない」

 湧いた。

 死体に群がるウジのような。

 腐れた情。


「……。これが、悲しみ」

 虚ろな表情に、初めての色彩が宿る。その藍はどこまでも深く、罪深く。


「……。これが、喜び」

 伸ばしたワシの手を彼はひきよせ。

「いっ」

 人指しを咬みちぎった──。


「嬉しいなぁ、じいさんに好きって言ってもらえて。嬉しいなぁ、じいさんの特別になれて。今なら理解できる。ねぇやんま。あんたがトリガを引かないなら、この殺人、僕がもらってく」


 ごっくんと。飲みほした。


 彼はおそらく、産まれて初めて笑った。てらいなく、暗い水底の深部から。

「やんま、笑えよ。ほら、ピース!」 

 突拍子のないサインに、思わずつられた。


 人さし指が欠けたワシのピース平和は、彼の人生のように、攻撃的だった。


「バッ」


 咬犬くんの頭がはじけ飛ぶ。 

 ショットガンをぶっ放し、壮絶な人生に自らケリをつけた。


 誰かの特別になりたかった少年は最後に。

『自分自身が一番特別』だというあたりまえに、ようやく気付けたんだ。


 自殺じゃない。

 自らを愛しただけ。


 人は他者に愛されていると自覚して初めて、自尊心を獲得する。


 

 脳や頭蓋、血液なんかしがらみをとっぱらって。水面を飛びこえて。

 アーモンド型の美しい偏桃体が。

 舞う。

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