第16話 子種子袋

 三菱、川崎の潜水艦ドックが見渡せる、神戸は海岸沿いのメリケンパーク。水平線上を滑る客船へ手を振って見送る。肉体の自然治癒を終えたのち(トカゲのようで気色悪かった)、港までワシらを運ばせたのだ。


「いやぁ楽しかった」

 組きっての武闘派を一夜にして殲滅、醜態を白日の下に晒した。なお、死者の一人も出していない。今後の交渉をより有利にすすめるためだ。


『やんまはこんなにも強い。戦争の折にはご贔屓ください』


 先の戦闘は殴り込みであり、売り込みというわけ。

 甲斐あって、日本ではまず手に入らない多くの武装を(強制的に)頂けた。

 咬犬くんのショットガンはもちろん、ワシのモシンナガンも。


 被災地内は今、司法世界の脱落地ギャップになっている。ゆえ、武力が必要になる有事も想定できるうる。

 

【視聴者のみんな、さすがにドン引きしていたよ……。『タスマニアでビビる』君なんて十歳だったんだよ】

「なんと……」


 会話もほどほどに、今夜は配信を終えるべきだと通話を切る。あとの対応はヨロズにまかせるとして。


 ふと見上げる。

 神戸の夜は深い。電力を失い、市民のほとんども避難を終えると、万物を呑む闇だけが降りた。

 ただ闇は、月と星雲の輝きをより際立たせていた。


 満点の星空。


 俗世のしがらみ、ワシという個、なんだかちっぽけに思えてくる。

 金、宝石、財宝もだ。

 実は必要がない。

 

 だってほら、ソラにすべてがあるじゃない。

 気づけない奴らが偽りの星屑に価値を見いだし。代替品のための戦争を起こす。


 貧者は真の輝きを知っているというのに。


「感動している?」

 野営のため、火の番をする咬犬君。彼は夜空に夢中になるワシを、不思議そうに見つめていた。


「それ、僕にはわからないな」

 表情かおは虚ろだ、夜色と同じく。

「なぜです?」


 彼は指で作った拳銃を額にあてる。

「脳の中枢には、扁桃体と呼ばれるアーモンド型の器官があるんだ」

 がぶり。

「生まれる課程で、悪魔に囓られてしまった」


 扁桃体、感情を司る神経細胞の集合、欠損すると人は恐怖や緊張を抱けなくなるという。


「僕は感情が希薄だ。怒れることも、愛することもない。生まれてから一度も、感動したことがない」


『痛みに鈍感』、いつだったか彼は言った。脳の障害のせいだったのか。


「痛みを恐れない心に、痛みへの忌避感なんてない。痛みを恐れない魂に、他者を痛めつける罪悪感なんてない。思いやる共感もだ」


 愛を知らない怪物に、他者を愛する機能は備わっていない。


「だれのことも愛さない。だれのことも特別視しない。僕にとって他人とは、いてもいなくても同価値の、情報の羅列だ」

「ただ人は、他人なしには生きられない生物です」


「ならどうして僕は存在していられる。なぜ息を吸えている。この鼓動はいったいなんだ? 誰かに生かされているというのなら、教えてくれよ。欠陥品では見つけてやれないんだ」

 

 心? 愛? 思いやり?

 生まれついた時から惑星規模の疑問符を抱き続ける人生。


『??????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????』


 想像を絶する。


「だれかの特別になりたいと思った。怒り、憎しみ、哀れみでもいい。確証が欲しい。ことでしか、僕の脳はソレを確かめる術がない」


 探している。自分を特別だとする何者かを。

 期待している。ワシが狡犬直一の特別であれと。

 

「そんなことないです。たとえば親が子にむける感情は、底なしに無条件の愛だ」

「なら愛は、僕を犯し、殺そうとする代物だ」


 本来なら気を遣うのが老人、あるいは人間としてのあるべき姿。

 ただ彼には気遣うべき心がなく。そしてワシは鬼である。


 知りたいと思った。彼の歴史を。 

 知りたいと祈った。咬犬直一のすべてを。


「「知りたい」」


 互いの言葉が重なる。

 一歩先んじたのは、若人わこうどの好奇だった。

「じいさん、あなたの人生には、どんな『特別』があったの?」


 ワシの人生なんて。鬼の生涯なんて。心底つまらない自供です。

 普段なら決して話はしない。ヨロズにだって伝えたことはない。

 

 ただ直一。君ほどの男が乞うのなら、語らざるをえないだろう。

 君のを知りたいというのに、ワシが供述しないのはアンフェアだ。


 君がね。

 銃弾を放ったとき。トラックで獅子を跳ねたとき。ヤクザ相手に脅しをかけたとき。君の、君の、君の。君の狂気アプローチがね、ワシの鬼気を踊らせたんだ。


 狂乱には礼節を。告発には返礼を。


「ワシは八尾やんまというのだけれど、八尾の血筋ではありません。八尾よろずという女の婿に入った後付けです。本名はもう忘れてしまったな」


 ひ孫のヨロズは、妻を襲名したかたちなのだ。


「君にはまず『八尾』を説明しなければいけない」


 八尾。法の通用しない異常者共。

 彼らは全国津々浦々に散らばり、日本の裏社会を牛耳っている。全容は誰も知らず、末端のワシが持つ情報だって、氷山の一角にすぎない。


「八尾、正しくは八尾ノ物部氏やおのもののべうじ。嘘かまことか、飛鳥時代から脈々と続く豪族の派生で。武力に富んだ物部は、『モノノフ』の語源にもなったそうです」

「それ、実話?」


「残念ながら。八尾は千年以上朝廷に仕えてきた氏族ですが。ワシは本家の人間から、『八尾は神を守る一族』だと説明受けました。何のことかさっぱりですが、権力は本物。警察庁長官に、官房長官、自衛隊の陸将官に財閥の長までもが八尾の人間です。ほかにも様々な業界の重鎮たちに一族の息がかかっている。これ、ホントのお話」


 血を何よりも重要視する八尾家は、飛鳥時代から血脈を絶やすことなく存続させてきた。それだけでもすさまじいのだが、無秩序に精をばらまくこともなく、選別に選別をかさね、ついには現代まで個の優を極める方針を貫いてきた。


 血統第一主義。


 競走馬のサラブレットを思い浮かべればわかりやすいだろう。

 より高機能な競争能力を求め、優れた血族同士を交配させる。出来上がった優駿をさらに種馬にし、恵まれた牝馬へあてがう。


 脈々と、飽くことなく、八尾はブラッドゲームにいそしんできた。

 できあがったのが、血統書付きの天才鬼才はびこる大魔の窟、蟲毒の壺だ。


「孤児だった十四のワシは、『闘争本能』を八尾にかわれ、妻と婚姻させられました。……嫌な言い方になってしまいましたが、夫婦に愛情はなかったのです。三十路をすぎ受胎しずらかった妻は、実の妹をワシの床へ送ってきたほど。そんな毎日に嫌気がさして、八尾の特権を返上、太平洋戦争へと逃避しました」


 現実逃避先としてはもってこいの激戦地。やがて鬼は戦情に目覚めるに至る。


「終戦後ワシは死亡したことになっていました。なので文句もありませんが、妻は新たな種をむかえ、別の優良を孕んでいました」


 まだよくある話で済ませられる範疇だ。

 八尾の狂気はここから。


「お役御免となったワシは放免、捨て去られると思っていた。むしろ望んでいた。認識が甘かったのです。八尾はワシがしていたことをいいことに、政府の管轄が行き届かない透明人間として拉致、地下牢へ幽閉しました」


 そこからはまぁ、特筆すべきことのない地獄があった。

 徹底的に品質管理され、種馬は馬車馬のように働かされた。


「監禁生活が何十年か続いたころ、転機が訪れました。ワシが不能となったのです。薬の一切も利かなくなって、ようやくワシはシャバへ解放されました。のちに知りましたが、殺されなかったのは妻の嘆願があったからだそう。妻なりの元夫へ向けた慈悲だったのか、興味もありませんが」

 

 怒りはなかった。監禁されていなかったとしても、日本は変わらず平和で、結局は地獄だった。

 むしろそんな現実に蓋をし、ワシに泡沫の夢を見させてくれた八尾には感謝するべきだ。


「その後はまぁだらだらと、分家で余生を過ごしていました。活力もわかず、飲んだくれて。今でいうニートですね」


 ただワシが、暇を粛々と受け入れられるはずもなく。

 ようは戦争に代わる生きがいを求めていた。そんな時分に、は産まれた。


「彼女は繰り返し行われていた近親姦、その影響で生まれた障害児でした。相続としてはワシの孫にあたり、重度の知的障害のせいで介護が必須だった。名乗りを上げたのがワシでした」


 誰かを殺すことでしか悦びを見出せなかったワシは。

 誰かを生かすことに残りの生涯をささげようと決めた。

 償いとかではない。自己満足でもない。

 退屈で死にたくなるようなことを、あえてしてみたくなった。

 死すら忘れてしまいそうで、怖かったから。


「八尾家からしても都合がよかったのでしょう。孫の介護は終日つきっきりで行わなければいけないレヴェル。すればワシという不祥事が世にでるリスクも減るというもの」


 ただこれが思いのほか刺さった。


「手のかかるけったいな孫を、愚かにも愛おしく思うようになりました。打算と悪意に満ちた人間たちとは違って、彼女はどこまでも純粋な生命だった。あの子はね、ワシという鬼に対してすら、無垢な笑顔を返してくれたんです。思わず心を打たれました」


 守るべき家族ができると、人は丸くなるという。

 例にもれず老兵が比較的真人間になれたのは、きっと孫のおかげだ。

 そんな孫と十数年過ごしたある日、発覚した。


「妊娠した。孫が妊娠したんです。重度の知的障害児であり、人とコミュニケーションがとれない孫なんだ。同意なき強姦であったことは明白だった」


 病院への定期健診のさいか、介護施設でショートステイを利用したさいか。あるいは……。


 どうでもよかった。


「憎悪に焦がれたワシは、不逞の輩を殺すことに心血を注ぎ、みつけた。男は優秀な大学教授であり、孫とはなんら接点を持たないはずの人間でした」


 ワシの殺意に耐え兼ね、失禁した彼の小鹿のような瞳に。無抵抗の女児を陵辱する度胸は見受けられなかった。悪人であれば、殺すことで留飲も下げられたというのに……。


「ワシの予感はいつだって当たるんだ。彼を脅すと簡単に口を割った。『金を積まれ、依頼された』のだと吐くんです。ワシはおかしくなりそうだった。罅の入った頭へ溶鉄を流し込み、無理やりに固めようと絶望がいそしむんです」

 

 人生で一番死を感じたのは戦場じゃない。あの日、あの瞬間ときだ。

 やんまはトリガを握る衝動を疑わない。銃があの場にあったなら、ワシはこの世にいなかっただろう。 


「依頼主は巧妙に証拠を隠していましたが、八尾の指示であることはあきらかでした。ワシの可愛い孫は、思惑の子袋にされたのです」


 狂ったワシは八尾に宣戦布告したが、個が一国にかなうはずもなく。

 ワシはそのまま敗戦、破門となった。


 命など顧みない捨て身の特攻だったが、八尾の軍隊は信じられないほど強く。死ぬことすら許されず、徹底的に打ち負かされた。


「孫は出産に耐え切れず命を落としました。幸運にもひ孫は五体満足に生まれ、本家はヨロズと名付けました」


 名付けて、手懐けて。ワシを好いてはいるが。彼女は正真正銘、八尾の洗脳が施された姫だ。ワシが八尾を名乗り続けているのも、そのつながりを断つのが怖いからかもしれない。


「あぁ、ヨロズがいなかったらと思うと。怨嗟と殺意にまみれ、諦念と空虚に蝕まれ。内臓を裏返したくなってきます」


 愛した孫の子、ヨロズは奇跡の子。

 彼女はすべてをささげるに足るなんです。


 無条件の愛、おこがましい表現です。

 これは決死だ。

 ワシのすべては、ヨロズのためにある。たとえ道中に戦情があろうとも、果てはヨロズにささげることが決まっている。


「それがじいさんの特別? なら、やっぱし愛は、僕たちを殺そうとしているんだね」


 つまらない話は終わった。さぁ、次は君の番だ。

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