第12話 男やんま空を飛ぶ

 死にたくなんてない、本当に。

 百歳になった今でも、死に祈ることはない。

 

 人生は楽しいし、大切な人もいる。

 やりたいこと盛りだくさん。

 ワシは多分、幸福な男なんだ。


 でもごくたまに、『あぁ、いま終わってもいいや』って瞬間がやってくる。


 たとえば傍で榴弾が炸裂したとき。たとえば戦車の砲門と目が合ったとき。たとえば一斉掃射のなか特攻を仕掛けたとき。


 生と死の境界線があやふやになって、しとねを交わした女の体温のように、自分と死体相手の区別もつかなくなって。興奮に酩酊しているうちにふと。


 こんなに楽しいことは二度とない。

 ここで死ねたらキモチイイだろうなって。


「きたきたきた」


 ほとばしる1億℃の無敵感。


「今なら君にも勝てる気がする」


 首筋に向かって噛みついてきた獅子、背負い投げで回避。すかさず額部に跳び膝、鼻先に肘鉄をかちこむ。


「グルガァ!!」


 いちにと、剛腕を振るわれた。

 エチケットがなっていない、口が臭い。キツい獣臭にまじった、なじみ人の血の香りにむせる。


「何人喰ったのです?」

「グルル」


 獅子は威嚇し、必殺の機会をじっと窺っている。

 般若の如く相貌には、べとりと赤い脂が付着していた。

 

 ワシを襲うことに躊躇がなかった。

 彼は動物園の眠れる飼い猫にあらず。

 正真正銘、野生の王だ。


 雄々しい立て髪はザッと逆立ち、鋭い牙、よくしたたる。


「垂涎の的ってか、嬉しいねぇ……」

 

 だが双眼は冷酷無批。およそ感情と呼べる一切を排除した瞳には、獲物エサしか写っていない。


 いっい、前言撤回。ワシでは向こう百年勝てないや。でも、ワシだって男の子。見せてあげたくなるのよ、そのつぶらにサバンナの大地を。在りし日の闘争ってやつを。


 レストランでウェイタを呼ぶように、拍手高々と。


「咬犬くん! 契約は守ってくれよ!」


 酔いしれる。なんて甘美なんだろう。


 頭ン中でこんな素敵物質を、せっせこ製造している人間だから。


 お味に。

「お熱」な。

 君なんだ。


 どうせなら、もっとずっとドロドロに!


「こい!」

 

 夢とうつし世のはざまに沈もう。溺れてしまおう。月明りのさす水面を一緒に眺めて?


「ガァアア」


 抱いてくれるように襲ってくれる。

 背に爪が突き立てられ、神経がジャリジャリとひきちぎられる。


「!!」


 噛みつかんアギトの下に潜り、首を絞める。二度と放してやらない、お前はワシのもんだ。そんな気概を込めて。強く。


 ドン、ドン。鈍い殴打の音。皮膚がいびつにひしゃげ、骨が飴細工みたいに砕けた。


 肉裂く、肉裂く、苦肉の策にうってでる。

「うら!!」

 たてがみを握り、獅子の巨体を持ち上げた。

 

「気高き者よ」


 その重量力量でもって、獅子の尊厳を。

 絞めろ、落とせ、絞めろ、落とせ、絞めろ──。


 貶めろ。


「人の意地汚さを見よ」

 

 ド。


 光、轟音、衝撃。

 次の瞬間、血の雨でも虹は架かると知った。


 天地が入れ替わり、獅子と鬼ヤンマは空を飛んだ。


 に。


 狡犬くんとの契約──、ワシら以外の人間に危害を加えてはならない。

『獅子』は人でなく。かつ、この契約に『八尾やんま』本人への条文は明記されていない。


 当然だ。


 ワシはいつだって、殺し殺される関係性を望んでいる。

 だってそれがいちばん、恋するシチュエーションなんだもん。


 彼は道路に放置されたトラックでもって。

 獅子とワシに翼を授けた。


 それでいい、狡犬直一。


 彼は異常者なりに、ワシに好かれようと努力してくれたんだ。

『戦争は手段を選ばない。つきましては、勝者だけが正解です』


 花丸あげる。


 あぁ。

 死ぬかもね。

 でももし続きがあったら、君の願いを──。


 だってほら、今このつかの間も君のことを考えている。

 走馬灯どころか、焼夷弾のテルミット反応バリに、キラキラと。

 ワシは存外、惚れっぽい。


 もう、君のことしか考えられない。

 必ずこの手で、殺してあげるからね。


 ドゴ。

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