第8話 ファンタジへの挑戦
春の長雨と呼ぶのも不躾な大雨が、三日目を迎えた深夜。ワシら二人はとあるオフィスに陣取っていた。ふところ深い社長椅子に腰掛ける。
ポト、ポトポト。
雨漏れの不規則なステップ、リズムがへんに小気味よい。
バチッ。
焚火が空気を弾いた。暖色は暗がりに差し、影をいっそう濃くおだてている。
かむかむ。
ビーフジャーキを噛みしだく、味がほどよく濃くて。
ゴク。
流し込んだ発泡酒の炭酸で喉を雑にかく。頭んなかが軽ろやかになると、このまま羽ばたいてしまえ、なんて思ったり。
あぁ──。暇だ。
「なぁんか面白いことないかなぁ」
ぼやきは缶ビールの泡沫みたいに霧散した。
【雑談配信四十時間目、世間は被災地の話題でもちきりなのに、私たち、なにしてんだろ】
ヨロヨロチャンネルは災害系配信者として脚光を浴び、一躍有名に──、とはいかず。
災害実況。底辺配信者でも至る発想だ、もちろん他の奴らも思いつく。
キャンプ系、冒険系、インタビュ系。
科学というニッチな層にしかウケないヨロズよりも、エンタメに富んだ動画配信者を大衆はえり好んだ。
もとより知名度のあったインフルエンサがパイをわけるから、底辺に残されたうま味も少ない。
前提として、避難することなく動画の撮影に勤しむ配信者たちは、一律に過激とみなされ。常識人たちの多くが敬遠した。
二十人ほどだった固定視聴者は、それでも五十人くらいにまで伸びたが、ヨロズにいわせればまだまだ途上。象牙の塔をバベルにでも改修するつもりだろうか? 野望のお強いこと。
ヨロズも、ワシも、爆発をじっと待っていた。
【植物の増加による局所的な酸素濃度の上昇。山林に暮らしていた生物群は災害森林に定着。動物園から脱走した猛獣の目撃情報も上がっている。大雨の影響で避難作業は遅れ、恩恵として長く続いていた火事は鎮火された。あとなに話したっけ】
災害から五日、情勢はうつろい。こんにち話題なのはもっぱら──。
「災害範囲の拡大。これ、ヤバいよね」
昨日未明、日本政府からとんでもない本営発表がなされた。
京阪神間、細かくいえば上は京都の舞浜から下は大阪を過ぎた和歌山まで。横は奈良の西端から岡山の東端まで。距離にして直線百六十キロメートル。
被災地は半径約八十キロメートルの円形型であるとされ、莫大な災害範囲は面積に換算すると二万平方キロメートルを超えた。
あえてわかりにくい例えをするなら、スロベニアがすっぽりはいっちゃうくらい。
ただでさえ驚天動地な被災地はなんと、今もなお拡大し続けていた。
つまるところ──。
五日前の3.11は、始まりに過ぎなかったのだ。
【とどまることなく一日一キロのペースで。観測初期は
避難区域へ新たに足を踏み入れた人間はどうなるのか。
例外なく若返る。
すまほには、恐ろしスピードで木々が伸びていく動画と、若返る瞬間のベテランアナウンサが映し出されていた。
仮にこのペースで被害が拡大し続けたとして、日本の終わりは簡単な計算式で求められた。
【一月で琵琶湖を飲みほし、一年で東京が食われる。三年あれば日本陥落だね】
地球一周は約四万キロ。災害は全方位にむかって伸びているから──。
【地球全土に波及するまで、タイムリミットはおよそ二万日。半世紀。その短さは、百歳ならよくわかるよね】
そんなこと、どうでもいいんだ。
「ヨロズ、お前のいる小浜までは──」
【二十日間】
「逃げるの?」
【んー、どうだろう。でもまぁ安心して。小浜も海に近いし、それに私は八尾家だぜ?】
「だからよけいに心配なんだ……」
ワシは八尾家から破門された身、とやかく言うつもりもないが。一言で八尾をあらわすなら、国のルールが通用しない、治外法権みたいな奴らなんだ。
【人の心配をする段階はとうにすぎてんだぜ。真面目な話をします】
缶をぐっと握り潰し、ちり箱にほうる。カコンと姿勢を正す。
【便宜上一連の騒動を『災害』と称してきた私たち。でもそれはあくまで、人の視点で事を捉えた場合だ。動植物、地球目線に立ち返ったとき、超常をひいじいはどう出力する?】
森の脈動、土壌の復興、はては生命の若返り。
「祝福、あるいは
【つまりは非科学的なファンタジ。もしも本屋さんでこんな設定のお話があったなら、ジャンルは間違いなく空想小説になる。でもさー、私の灰色な脳細胞は──】
科学の徒であるヨロズは、稚拙な粗筋を却下する。したくなる。
【ファンタジへ挑戦したくなっちゃった】
ヨロズはそらんじる。此度の現象は、科学的に説明可能であると。
空想夢想の類でなく、せめてSFたれと。
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