第5話 みんな大好きヨロヨロ

 中央区民全員の脱出劇は、字面にくらべて楽にすむと考えられた。幸いにも神戸は港町、に面していたから。


 にぎやかな森も渚までは生存圏を伸ばせず。道中は過酷だろうとも、数日あれば全員が海岸線までたどり着く計画なんだと。


 とくに神戸はポートアイランド連なる、世界最大規模のを有していたことが大きい。

 海に六甲の土砂を敷き詰め完成されたウォーターフロントは、いわば人がためのだ。


 広大な災害範囲にあって数少ない足の踏み場に、植物が生い茂るようなことは

なく、いまだ航路は生きていた。直接で脱出できるわけだ。


 ヨロズがいうには、長く見積もっても数週以内に避難は完了され。その後人工島は政府の活動拠点として本格的に利用されていくだろうとのこと。

 

 ワシには関係のない話です。国にはもう頼らないと決めたので。


「心配しなくとも大丈夫。ワシ、終戦したことを悟れず、数か月間屋久島で引きこもっていたことがあるもんで。草でも虫でもなんでもはむぜ。おもしろい映像を約束するよ」


【ひいじいが映えを意識している!?】


 談笑できる程度に高架の線路上は快適だった。

 落ち葉こそひどいものの、放置された電車内で夜を過ごした人たちは多くいたみたい。


 道すがら、水の入ったペットボトルを家族連れに分けてもらえた。病衣姿は同情をかうのだろう、国の助けがあると知って安心したのもある。被災者の表情にはようやく笑顔が見られた。


 三宮駅を降りると、ワシらはそのままセンタ街へ向かった。


 目抜き通りのていをなすアーケードはいまでこそ閑散としているものの、繁忙期ともなれば群衆でごった返すような名所だ。

 飲食店や家電量販店、書籍衣類その他雑貨など、多種の品がひととおり揃えられている、装備集めにはもってこいの場所。奥行五百メートルはあるだろう、商店街の美しかった景観はただ、瓦礫やガラス片が散乱した廃墟に変わり果てていた。


 アーチ状の屋根をつらぬかんばかりに樹木は伸び、根は隆起し地割れ、足の踏み場もない。埃とすす焦げた不快さえ鼻孔に刺さる。


 なので来た。


 被害が軽微である大型ショッピングモールなどは、必需品の確保もしやすく。ゆえに民衆のライフラインとして機能しているわけで。無頼が荒らすの、はばかられた。火事場泥棒まがいのやつがらは、荒れ地こそふさわしいのだ。


 みろ、流れの根無し草らが、扉やシャッタを破壊し、品物を簒奪しているぞ。

「いっい」クソどもの考えはみな同じということだ。ワシも含めて。 

 

【ある程度守られていた秩序も、避難命令を受けてはじけたんだ。どうせ捨てられる物品なら、もらっとけの精神かな】


 災害時であっても商品を盗むことはもちろん禁止されている。とはいえ極限下だ。金銭や法が腹を満たしてくれるはずもなく、彼らの行動は一概に責められたものでない。


 ただ忘れてはいけないのが、多くの日本人は善良かつ、助け合い精神を持っているということ。

 海外のように被災地での略奪が横行することはない。わざわざ盗まなくたって、たくさんの人たちが物品をわけてくれるだろうから。頼る気概さえあればどうにでもなる国なのだ。


 盗みはダメだという良識と、盗む必要がないという現状にあって。それでもなお行動をおこすワシらには、なんら正当性とよべるものはないのである。


 喜劇的なさまを撮影していると、白髪の男性に声をかけられた。


「俺たちは全部の地獄を目の当たりにしてきた世代や。自分のことは自分で面倒みなあかんって、ようわかっとんのとちゃうか」


 面構えでさとる。この人はだと。

 神戸は三度死んだ。神戸空襲、阪神淡路大震災、そしてこたび。無法地帯の歩き方を心得ている奴もあたりまえにいる。


「避難命令が出たからって、俺らはこの町から離れとーない。だって故郷やねんやから」


 裏を返せば、厄災のすべてに見舞われてなお、この町を選び続けた人でもある。


「そんなやつらのために、政府が救援物資をくれるとも思えん。今後のための資材確保は必然の帰結や。なぁ兄弟、あんま怒ったらんといてな」

 男性はワシの肩をたたくと、ハンマ片手に施錠されたドアを破壊し始めた。


「ヨロズ、どう思う?」

 商品を盗みたいのだけれど、どう思う? と尋ねる。


 男性の意見にはおおむね賛同だ。

 持ち合わせはない。金銭も、道徳も。ワシはためらわない。良心の呵責はない。

 

 ただヨロズが嫌がるなら、その正義に従いたいとも思う。

 曾祖父として、なけなしの矜持だ。


【私の裁量では測れない問題ですね。ひいじいが悪いことをするのは直感的に嫌だけれど。かといって聖者たれと言えるほど善人でもない。そんでもって私は学徒の端くれ。提出された議題にたいしては、理路整然な式を経て解決へ導きたくなる性分なのさ】


 ヨロズはワシらと違った視点で、物事を捉えられる。


【Q、は元来、解決すべき事柄を指す語であって、フェルマーの最終定理すら解いたのが学者であれば──】


 A、プルプル、プルプル。


【『~~電化』さまでしょうか。はい、ええ。実は親族が先の災害に巻き込まれてしまって。はい、はい、そうなんですよ。スマホのバッテリはないし、ラジオも、あと懐中電灯とかも。非常に困っています。場所は三宮支店です。え? お金はいらないと? いえいえそんなわけには。はい、ありがとうございます! とても助かります!】


 だれかと電話をしているの?


【『~~ドラッグストア』さん、あのですね……】

【『~~衣服』さん、じつは……】

【『~~工務店』さん、単刀直入に申し上げるのですが……】


 気づく。ひ孫はなんて聡明なんだろう。


 店員さんがいないから諦めるんじゃない。無人だから盗むんじゃない。

 管理会社へ直接お伺いをたて。正式な手順をもって、商品を合法的に譲ってもらおうとしているのだ。


【ひいじい。全部は無理だったけれど、交渉してみた。同情もあるんだろう、多くのお店がどうせ廃棄物になるからって、持ち帰ることを許可してくれたぜ。お金も電子で支払うから心配しないで】


「神か! ワシは心の底からおまえのことを誇りに思う!」

【ぶい】


 視聴者から送っていただけた、たくさんの賞賛。中から『北緯三十八度線反復横跳び』のコメントより一部抜粋。


『ある者が「神」と呼ぶものを、賢者は「物理法則」と呼んだ。

 賢者が「物理法則」と呼ぶものを、私たちは「推し」と呼んだ。

 私たちの推しはヨロヨロ。つまりヨロヨロは神だと、ここに証明された』

 

 リスナがヨロヨロのことを大好きなことも。


 問題解決。



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