第2話 あぽかり!
【令和八年、三月十一日、午前八時十分ゼロ八秒。関西圏広域、京阪神間にかけて、災害は突如にして発生。特異なことに、地震でも、津波でも、ましてや噴火ですらなかった】
重力を憎まずに歩けるのはいついらい。
かすかな、それでいて確かな感動が渦を巻く。
一歩。一歩。噛みしめるように歩を進める。
【被災者は世界が一瞬光ったと証言している。光を観測した機器類の一切は無く、現象を裏付ける物証も何一つなかったが、みなが一様の説明をした。光は、社会の理を根底から書き換えるに至った】
山と海の香る穏やかな瀬戸内海気候は春の訪れをしらせ。雲が青空をなぞる、トンビは気ままに泳ぐ、よい風が吹いている。
【ずばり──、全生命の若返り。百歳だろうが、還暦だろうが、成人だろうが一律に。被災者は全盛期の時分へ若返ってしまったのだ。当時のテレビ中継より抜粋。──『ご覧ください! 公園に若者が溢れかえっています! ここは先まで、ご高齢のかたがゲートボールに興じていた場所です!』】
生物たちのあわて声が森中にひびいた。木洩れ日まばら、森のはな歌。ぽつ、ぽつ。苔むす湿ったい空気に肺が濡れる。
【被災地内に成熟した人間はどこにもおらず。三人に一人は高齢者という日本において、まずありえない光景が広がっていた。歴史上類をみない珍事の害は、人間だけにとどまらなかった】
それもただの森じゃない。一目で分かる。ジャングルか、はたまた原生林に近い。戦時中、屋久島で潜伏していたときのことをふと思い出した。この森は、人の手の一切が介入していない、太古の森だ。
【動物も昆虫も、なんと植物も。若返りの対象は地球。地球が若返るとどう? 巨樹が街中に乱立、羽虫は飛び交い、動物たちの奇妙な鳴き声がこだまする。日本随一の都市圏はいまや、樹海と呼んでも差し支えない様相を呈していた。ファンタジ小説における終末都市のよう。文明は、大自然に淘汰されてしまったのだ】
異様なのは、ワシの位置情報が兵庫県は『神戸中央区』にあったこと。
大阪に次ぐ関西の主要都市、瀬戸内海と六甲山に囲まれた港町は今や、緑の群集と化していた。
険しい森を抜け目的地へ。港町ハーバーランドの象徴である、高さ百メートル強のポートタワから、神戸を見下ろしてみたかったから。
災害から二日。街はとうとう電力を失ったのか、エレベータのスイッチは返事をしない。非常階段をのぼり無人の展望台へ。
「おぞましい」
想像していた通りではあった。だとも筆舌に尽くしがたい──。
「うつくしい」
絶景におののいた。
街と六甲山の境界は消失。兵庫でもっとも栄えていた
脈動していた──。
弊害は大きい。人の営みをことごとく配慮していない。
着火剤は森だくさん、不審火は街ふてぶてしく焼き、空をからくれないに化粧していた。
だともこの大火を、あえて絶景と呼ぶ。
絶景かな絶景かな。
偽れないよね、美しいと思ってしまった心を。焼夷弾に焦がれていたかつてを……。
──ビリビリ、予感高鳴る。
そうか、そうか! 悠久の平和が終わろうとしている。
日常よ、裏返れ。
【御年百歳であった老兵は、青年へと若返り。かつての活力を取り戻そうとしていた。『鬼ヤンマ』と呼ばれた男の次章がいま、幕を上げる】
「さっきからヨロズはなにを言っているんだい?」
【ちょっと、しゃべんないでよひいじい。モノローグ撮ってんだから】
時代は本当に進歩したもんだ。暗号電報を打っていたころはすでに昔。
『すまほなる板(家族が連絡用にもたせてくれていた)』が宇宙の怪電波を受信し、世界中の誰とでも。例えば、福井県のヨロズとも、こうして話すことができてしまえる。
ひいじいちゃん、ね……。
ワシは若返った。戦時中の全盛を取り戻すと、感慨よりも先に戸惑いが湧いた。
なぜ? なにが起こった? ワシは何に成った?
分かっている。思いの丈はのちでいい。いまはただ現実を粛々と受け入れるフェーズだ。
窓ガラスを凝視する。反射するワシ、なつかしさすら覚えない。
頬をつねり、舌を出す。目を見開き、頭をノック。お前は何者だ? 強く睨みつけてみたり。
いくら弄くってみても情報は変わらず。ぼさぼさの髪、気だるい目。無愛想な人相と、病衣をまとう小さな背丈。寝起きの野良犬じみている。間違えようもない。
若かりし日の──、八尾やんまだ。
くせのつよい髪が、白であることを除いて──。
【髪や爪のような切り離された細胞は、生物から外れているのかも? 証拠に死者は復活していないみたい。ひいじいタッチの差じゃん! まじで危なかった】
まったくだ。三途の川を泳ぐ準備体操は済んでいた。
老人ホームで往生を待ったワシはおとといの朝、ヤゴからトンボへ舞うように、変態をとげた。介護士が無職になったところで、羽化うかしていられないと外へ出た。
するとどうだ、世界の色は一変し。日々はいちじるしく激変し。いまやサバイバルを強いられているではないか。「いっい」楽しくてしようがない。
この二日間、実に刺激的だった。パニック市民を眺めているだけで満たされたし、無法地帯とかした花隈では息が吸えた。
【にしても、よく私に電話かけてくれたよね~。ひいじい大好き!】
「奇遇だね。ワシもだよ」
だが若返ってもしょせん百歳、時代に取り残された老兵だ。
サイパン島と三宮市街がおなじ緑でも、カンヴァスと液晶画面くらい画材が違う。鑑賞の仕方も変わってくる。
頼ったのはひ孫のヨロズ。
聡明な子で、感受性に満ちていて、めんこくて。一族であぶくワシに懐いてくれた唯一の子。
孫は子よりも可愛いというが、ひ孫はどうだ?
崇拝対象だ。
「にしても、なんだその見てくれ」
しかしすまほなる板に映し出されたヨロズの御姿は、老いぼれた想像とずいぶん
漫画映画、あにめ? に類似した絵であることはワシにだってわかった。
ただ、その絵が動くわ、ヨロズのかわいらしい声を発するわで気味悪い。
【ヴァーチャル世界で受肉したんだよ。ネットにおけるヨロズの新た、もうひとつのペルソナ。ようはV配信者として絶賛活動中というわけなのです】
ダブルピース。
アンバランスな等身、媚びた輪郭、作った声音。
迷彩服の上に白衣をはおるセンス、実に奇怪。
艶やかな黒髪こそ結んでおめかししているが、本人と共通するのは度のキツいメガネくらいだ。軍服を着た博士を思い浮かべれば近いかも知れない。
ずいぶんとまぁ美化されて。
「ヨロズはもっとこう、出不精で、のばし放題のボサボサな──」
【ご法度でい! リアバレしないで!? あわわ、コメント荒れてるよ……。『知らない味の歯磨き粉がきらい』さん、銭チャありがとうございます。なにが『解釈一致』だぶち殺すぞ】
「すまない、ワシにもわかるよう説明してくれ」
【ヤマタケが女装して、みんなにチヤホヤされてんだわ】
「はぇー。面白い時代になったもんだね」
【これで理解してくれるの、ザ、戦前っ子って感じ。のでひいじい、視聴者皆様がたのため、スマホでせいぜい、いい
「ん? 撮る? どういうこと?」
【災害だかなんだかしらんけど。乗るしかないでしょ、この荒波。いつまでも底辺舐めてらんねぇの。だからおねがい! 私の仕事手伝って!】
「あいわかった」
【まったくひ孫に甘々だ! それでねひいじい、今あなたは、世界初の若返り系配信者として、ライブ中継を行っているわけですが】
「?」
【いっい、ビリビリするね】
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