クリーク復讐譚

渡貫とゐち

意気投合クリーク

 息子がいじめられていると聞かされた時、驚きや悲しさよりも怒りがあった。

 私自身に。


 どうして気づいてあげられなかったのだろう……、

 平気な顔をしていた息子の違和感に、どうして気づくことができなかったのか――


 私は、息子のどこを見ていたのかと……。


 救難信号は絶対にあったはずなのに、私は気づいてあげられなかった。


 いじめられて、学校にいきたくないと部屋に閉じこもってしまった息子になにができるのだろう。優しく声をかけること? それとも手を取って、引っ張り出してあげること?

 よしよしと頭を撫でて慰めてあげること? ……でも、母の声はきっと届かない。

 もう届かない深さまで、息子は隠れてしまったのだから。


 あの子を引っ張り出せるのは、きっと、同じ境遇の子だけなのだろう……。



 ある日、息子が学校にいくと言い出した。


「え? ……それは、嬉しいけど、大丈夫なの?」

「うん。待ち合わせってだけだから」


 すぐに帰ってくるよ、とも言っていた。

 夜遅くまでスマホをいじっている息子は、どうやら遠いところに友達ができたらしかった。

 チャット越しの友達だけど、いじめられていた息子にとっては唯一の友達なのだろう。


 答えてくれないことを承知で聞いてみると、


「チャットの相手? 同じ中学だよ……、クラスも学年も違うけど」


 と、答えてくれた。

 掲示板サイト、みたいなもの? 私は利用したことがないけど、そういうところから繋がる友人の輪もあるのね……。

 今ではマッチングアプリだって普通だし、掲示板で出会うのがおかしなことでもないのか。


 同じ中学校なら安心かな。

 これが知らない大人だったりしたら会わせたくないけど。


「……ちょっとは前向きになってくれたのなら、良かったけど……」


 学校にいかなくなった直後のことを思い出すと、今の息子は前を見ることができている。

 実際の顔の向きも含めて、ちょっと前までは俯きがちだったから……。


 それが今では、身長差がある私の目を見てくれるようになった。

 息子と目が合うことが、こんなにも嬉しいことだなんて……――なくなってから気づく大事なものである。



「ただいまー」


『お邪魔しまーす』


「あ、おかえ……え?」


 お昼ご飯を作って待っていたら、息子が友達を連れて帰ってきた。

 しかも五人……、お昼ご飯の用意はないんだけど……?


 男の子も女の子もいるし、年齢もバラバラ(……中学生の幅なので、差が露骨に見えるわけではない)……だけど息子と同じ部分もある。

 目だ。闘志がみなぎっている感じの目だった……。

 前向きになってくれたのはいいことだけど、理由も分からず闘志を燃やされると、こっちは不安になるんだけど……。


「い、いらっしゃい……、お昼、みんなの分はないんだけど……」

「あ、お構いなく」

「食べてきているので大丈夫です」

「お母さん、ありがとうございます」


 礼儀正しい子達だった。

 彼(彼女)たちは、二階の息子の部屋へ向かっていった。


「お母さん、飲み物とかお菓子とかいらないからね。そっとしておいてほしい」

「お昼は……」

「あとで食べるから……置いておいて」


 せっかく作ったのに……。


「じゃあ、冷蔵庫に入れておくから」

「ありがと」


 言って、息子が階段を上がっていく。

 上の方から「なに人の部屋を勝手に漁ってんだ!」と怒声が聞こえたが、喧嘩になっているわけではないようだ。

 ……息子の部屋に女の子……、大丈夫だよね?

 さすがに変なことはしないよね? 私が下の階にいる内は……。


 ……買い物に出かけた方がいいのかしら?



 静かだった。

 テレビを消すと、しん、と静まり返っている。

 お隣の奥さんの水やりの音が聞こえてくるくらいだ。外の配達のトラックがバックしている音もやけにはっきりと聞こえ……、時計の針の音が、いつもよりもうるさく聞こえてくる。


 気づけば私の耳は上の階へ向いていて……――なにを話しているのだろうか、と気になる。

 みんなでゲームをしている、なら、もっと騒がしいはずなのに。

 静か過ぎるのは勉強をしているから? なんの勉強? 保健体育とかじゃないよね? と思考がおかしな方向へ。


 部屋が静かなせいだ。


 テレビを点けて興味を誤魔化そう――




 番組の音で日常が戻ってきた気がした。


 内容は頭に入ってこないけど。芸能人が町の隠れ家的な飲食店を紹介しているけど、一切、なんの情報も入ってこない。意識はやっぱり上へ向いたままだ。


『飲み物とかお菓子はいらないからね』と、息子に釘を刺されたが、バカで忘れたフリをして突撃してみようかしら……。

 でも、それで本当にいかがわしいことでもしていたら――、もちろん親として教育はしないといけないけど、せっかく前向きになった息子に水を差すのはなあ……と、足が動かない。


 気づけば午後三時だった。

 長い。長過ぎる。

 お昼ご飯、あとで食べると言っていたけど、このままじゃ夜ご飯になっちゃうけど……。

 そうだ、それを理由に一度、部屋を訪ねてみるのがいいかもしれない。


 ゆっくりと階段を上がる。おそるおそる、階段の板の軋みを意識しながら……。

 これじゃあ私が怪しい。こっちがいかがわしいことでもしているみたいだ。


 できるだけ音は立てず、でも慎重になり過ぎないように息子の部屋の前へ。


 こんこん、とノックする前に、扉に耳をくっつけて、会話を盗み聞く。


 本当に取り込み中だったりしたら悪いので、一応、気を遣うべきだよね……、盗み聞きは失礼だけど。


 これはお母さん特権として乱用してしまおう。


「……から、さきちゃんが――あいつらの靴を隠してさ」


「校舎裏に呼び出して全員でボコボコにすれば勝てると思うよ。

 向こうもやり返してくるかもしれないけど、こっちはもう、失うものはなにもないんだから、思い切ってやっちゃえばいいんだよ」


 聞き取りづらかった声が、段々と聞こえてくるようになる。

 ――え、待って、なにか不穏な言葉が聞こえてきた気がするんだけど……、校舎裏?

 ボコボコ? いじめっ子のお話?


「全員の、これまでやられたことがあるいじめの内容をリスト化できた。あとはこれを順番にお返ししていくだけだ。ここにいる六人なら、不可能なことはない。

 僕たちだって、そろそろ引きこもってばかりもいられない。でも、前を向くにはやっぱり、心残りはなくしておきたいんだ――、もう引き返さない。

 考えてみればおかしな話でもないじゃないか。これまでにやられたことを、やってきたいじめっ子に、お返しするだけなんだから。

 やられて文句を言う相手じゃない。誰が言ってんだって話だし……だろう?」


 息子が先導しているようだった。


 自分の部屋を提供しているあたり、息子がリーダーなのかもしれない……。

 それにしても、仕返し? じゃあここに集まった子たちは、いじめられていた子たち……?


 息子と同じ中学で、いじめられていた子たちが徒党を組んで、いじめっ子に復讐を企んでいる……――だとすれば、全員の目に闘志が宿っていることに納得できる。


 前向きなことにも。


 ……仕返しをするために、塞ぎ込んでいた毎日から脱却できていたのだとすれば、やめなさい、とも強くは言えないけど……でも、やられたからやり返す、本当にそれでいいの……?

 連鎖するだけな気もする。

 また息子が、仕返しされて、前よりももっと過激にいじめられたとすれば……、今度は引きこもるだけで終わらない気が、



「きっと大丈夫。ここにいるみんながいれば、助け合える」



 だけど、以前とは違うところがある。

 息子には友達がいることだ。


 同志、仲間――、息子だけでなく、相手側もそう思ってくれているだろう。

 お互いに、絶望していた『ひとりぼっち』から、今はなんでも打ち明けられる仲間を持つことができた。大切な仲間を裏切るような子は、この中にはいないだろう。


「……仕返しするための長い会議だったってこと……? だったら、そっか……裏切ったらどうなるのか、散々『いじめっ子というターゲット』を例にして聞かされてきたんだから、裏切ることもできないわよね……、でも、その繋がりはどうなの?」


 根深い信頼関係に見えて、いじめっ子を協力して苦しませるということに心血を注いだメンバーだ……、信頼よりも信用で……、闇が深い。


 だけど、塞ぎ込んでいた子供たちがこれで前向きになって、人生をもう一度歩いてみようと思えるなら、止めない方が、いい……?



『あいつら全員、地獄へ突き落としてやる』


「うん、やり過ぎ、止めた方がいいわね」



 せめて加減はしましょう。


 全否定はしないけど、

 人としての最後の首の皮一枚は、繋げておいてほしいものだ。



 ―― 完 ――

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