第27話 あの時、僕は線路を超えていたかもね

 高校時代の話

私の本質として、1人での行動が好きであった

自転車に乗り、ちょっと遠出して知らない街へ行ったりしていた

ある時、東海道線の線路の程近い所で、現代から解き放たれたぼろい家並みを見つけた

ゴミゴミとして細くて複雑で、雑多な道

年季の入った木造平屋のつらなり

玄関先には、盆栽になり得なかった鉢植と、よくわからない陶器が重ねられてあった


 まぁ言っちゃ悪いけど、貧乏な人達が住んでるとこだなぁ

決して人のことを言えない借家住まいだった私だったが、そう感じていた

よくわからない感情ではあるが、これはひどいという印象を受けた

 

何をするでもなく、私は踏切を戻り、知っている道へ出て、家に帰った


 私は柔道部に所属していたが、他校の文芸部にも関係があった

 何に突き動かされてか、ぼろい家並みを見たという話を文芸部の部長に話した

 そうしたところで、どうしようということもなかった


意外にも部長は興味を示した

後日そこへ2人で行くということになった


キョロキョロ探したが、どうにも見つからない

この辺だったよなぁと思っても、何かちょっと違う

どこ行ってしまったんだろう


どこか通りを1つ間違えたか

おかしいなぁ


文芸部部長は、この出来事から発想を得て、「そして僕らは線路を越えた」といタイトルの短い読み物を書いた。そして、県の高校生文芸部員が対象のコンクールに応募した。(このタイトルは私のおぼろげなげな記憶)

 内容としては、貧乏な家があったと言う事とは関係なく、バンドに精を出している高校生の青春群像小説のようなものだったと記憶している


そして、その作品は県で入賞した

トップの賞なのかどうなのかはよく覚えていない

 部長は鼻高々だ

甲子園へ行く野球部員と何が違うんだと、半分冗談ではあったが、あっさりとした学校内の反応に憤っていた

「我を敬え」ということであろうか

日ごろの鬱憤の噴出口ができたようなものだった


確かに、競技によって扱いの違いは甚だしい

そういう理不尽は、永遠に残るのだと思う


そして、時は流れた


 昨今、ある事件の死刑囚に対して無罪が確定したニュースが流れた

稀に見るひどい冤罪事件

1966年に起きた味噌製造会社の専務ら4人が殺されたという事件だ


よくよく考えると、あのぼろい木造の家はちょうどこの事件現場の辺りだった


時代が何十年もズレていて、そんな建物が残ったわけもないし、そもそもこの事件では建物が放火されて燃えている


 怪談を作る人は、このぐらいのことからでも作り上げるのかな・・・

でも、それをやったら不謹慎だなと思う。やめておこう


しかし、真犯人はどこにいるんだ?

おそらく80歳代以上


今となっては、ただただ、被害者に合掌

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