1-6 Marshall Ann No.2

 頑丈な金属製の扉を一枚、二枚と通り抜けて辿り着いた先は――


 無機質な部屋だった。

 壁一面が機械で埋め尽くされ、部屋の中央のベッドに繋がっている。


 そのベッドの上にレンちゃんが寝ていた。

「レンちゃん!」私は駆け寄る。


 レンちゃんは全身をベッドに拘束され、身動きができない状態だった。

 意識が無いのか、その瞳は完全に閉じられている。


「安心して、英沢ちゃんは生きているよ。今は昏睡しているだけ」

 アンさんは私を慰めるように言った。


「よかった……」

 それは心からの言葉だった。

 一回、殺されかけた身だが、レンちゃんには何かが有って欲しくない。

 だって、大切な友達だもん。


「英沢財閥は駆除師本局の最大のパトロンだからね。英沢ちゃんは局全体で保護されているんだよ」

 アンさんもレンちゃんに近づいて、その頭を優しく撫でた。


「で、荒井ちゃん」

 アンさんが私の名前を呼んだ。

 私の名前は移動中、アンさんに教えたのだった。


「これから言うことは、絶対に人には言わないでね。勿論、英沢ちゃんにも」

 そう圧の籠った声で、前置きを言うアンさん。


 その瞳を見て、私は戦慄する。


 ハイライト一つない暗い瞳――そこにはただ殺意しかなかった。

 私は微動だに頭を振ると、アンさんは頷いて笑顔になった。


「『混沌の蠅人間』って知ってるかな?」


『混沌の蠅人間』……

 そりゃあ、知らないはずがない。

 蠅人間の『帝王』と呼ばれる蠅人間だ。


 今から十四年前、突然、この国に現れた。

 強大な力で国土を半壊させると世界各国に移動し、破壊の限りを尽くした。

 その後の消息は不明。


 被害は甚大で――死者は百万人以上にのぼった。

 今でも復興の兆しさえない地域もある。


 後に『混沌の蠅人間』によって引き起こされたこの災害は『カオス・インパクト』と呼ばれ、今でも多くの人間たちの忌まわしき記憶となっている。


「その『混沌の蠅人間』がどうかしたんですか?」

 そう訊くと、アンさんは目をレンちゃんに向けた。


「実はね。英沢ちゃんは『混沌の蠅人間』に呪われているの」


「呪われている……って?」いきなり、突拍子のないことを言われて困惑する。


「その言葉の通りだよ――『カオス・インパクト』の時に呪いをかけられたんだけどさ、その内容が英沢ちゃんが『一番生きててよかったと思った時に死ぬ』っていうものなの」

「なんですか、それ……」

「きっと、英沢ちゃんは人よりも幸せに生きるんだろうね。それを見越して『混沌の蠅人間』は呪いをかけたんでしょう」

 困惑する私の周りを アンさんは歩いてまわる。


「昨日、英沢ちゃんが化け物になったでしょう? あれも呪いのせい。『一番生きててよかったと思った時』以外に致命傷とか強い負荷ストレスとかが、かかっちゃうと英沢ちゃんを守る為に呪いが変に発動しちゃうんだよね」


 アンさんの言葉が心の中に入っていく。

 レンちゃんはずっとそんなものを抱えて生きていたなんて。

 私は寝ているレンちゃんに目を向けた。


「その呪いって、なんとかならないんですか……?」


 私の質問に、アンさんは「うん、多分」と濁しながら肯定する。

「実はね。それを、キミにお願いしたかったんだ」


「私に……?」


 アンさんが私の顔に急接近した――もう一息でキスになってしまいそうだ。

「キミに『混沌の蠅人間』を殺して欲しい」


 私は二つの意味でアンさんから顔を離した。

 一つ目はアンさんの吐息が私にかかって、心臓がドキドキいっているからで。

 二つ目はお願いの内容が物凄く突拍子もないものだったからだ。


「『混沌の蠅人間』を殺すって……」そんなことできるのか……?


 この国を半壊させた蠅人間だぞ……。

 この世界を恐怖に陥れた蠅人間だぞ……。


「本体を殺せば呪いは解けるって、あたしは睨んでいるんだけどね」

 そうアンさんは言うが……。


「なんで私に……頼むんですか? 私はただの人間ですよ……」

『混沌の蠅人間』を殺せる訳が……。


「けど、蠅人間でしょ」アンさんはさらに顔を近づけてくる。

「あたし、実は昨日の戦い見てたんだ」


 昨日の戦い……私とあの『薔薇の蠅人間』の戦いのことか……。


「荒井ちゃん、英沢ちゃんの為に全力で戦ったじゃん」


 あれは……正直、半分はレンちゃんの為だったけど……半分は自分の為だった……。

 そのことを、とてもじゃあないが口から出せない。


「そのことから、キミは英沢ちゃんの為なら何でもやってくれると思ってね」

「そうですか……」

 私は再びアンさんから顔を離した。


「それに、今、対『混沌の蠅人間』の為に人材が欲しかったところだったからね。自我のある蠅人間なら大歓迎だよ」

「は……はぁ」


「で、荒井ちゃん。やってくれるかな?」


「それは」――答えは決まり切っていた。


「やらせてください」私は大きく頭を下げる。

「随分と即答だねぇ」アンさんの表情には若干の驚きが混じっていた。


「レンちゃん……英沢さんは私の唯一の友達なんです。彼女を救うことができるなら……なんだってやります……」


 正直、『混沌の蠅人間』を殺せるかどうかは分からない。

 むしろ、自分が死ぬかもしれない。


 けれどもレンちゃんが生命の危機に陥っているのなら、何か行動をしたかった。

 レンちゃんの為に何かしたかった。


「なら、決まりだね……」

 アンさんは私から顔を離すと、クルっと右に回転すると、出口に向かった。


「とりあえず、一応、キミは蠅人間だからさ。今日から駆除師本局に住んでもらうね。後、通っている学校も転校してもらうよ」

「はい……」


 そうして、私はアンさんの後に続いてこの部屋から離れることにした。

 部屋から出る際、レンちゃんを見た。

 ゆったりと寝息をたてる、その姿に安心に似た何かを感じる。


「また、一緒に帰ろうね」

 そう言い残して、私は部屋から出た。

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