EP.荒井 No.1

1-1 Break-G No.1

 夕暮れの教室。

 茜(あかね)色の陽射しを――紙皿の上の金蠅が反射する。

 その煌めきを放つ姿は、一種の宝石のようだった。


「よぉし、荒井クン」

 セーラー服を着た女が、箸でその蠅を掴んだ。


「これ、食べようか」

 女の声に呼応するように、周りの別な女から笑いが響く。


 三、四人いる女たちは携帯や箸、そして掴んだ虫を私に向けていた。

 中には私に屈辱を与える為か、鏡を向けている奴もいる。


 虫を見るのも何だか癪なので、鏡に視線を移す。


 鏡の中の――私。

 長い黒髪。

 三白眼。

 セーラーに包まれた身体。


 両手を後ろに縛られ、椅子に拘束されている。

 まさに女子高生が拘束されている図だ。


「ほぉら、アーン」

 箸の蠅が私の口に向かって、運ばれる。

 そんなの食いたくない。


 口を閉じて、首を横に振った。

 しかしながら、無理矢理、箸を口に押し込められてしまう。


「う、う……」

 口内で蠅が醸し出す独特の味が広がる。


 うぉおえぇぇ。

 と思わず吐き出してしまった。


 * * *


 昇降口から出た時にはもう――辺り一面、真っ暗だった。

 ただ帰路の電灯の光だけが、ピカピカと光を放っている。

 その光に照らされ、闇の中から徐々に自分の姿が浮き上がってくる。


「おい、見ろよあいつ」

 声の方向には二人の男子高校生がいた。

 制服からして、別な学校だが。


「男のくせに、セーラー服着ているぜ」

「変態じゃん、気持ち悪い」


 無視して、通り過ぎる。

 聞き慣れた言葉だ、いちいち気にしていても仕方ない。


 私は荒井――

 首都の高校生に通う女子高生。


 まぁ、女子高生なのはなのだが。


 私は男として、この世に生をけた。


 この高い身長……太い首……広い肩幅……そしてスカートの中。

 明らかにこの肉体は男、そのもの。


 しかし、私は自分が女のような気がしてならなかった。

 自分が女じゃあなきゃ、心が納得しなかった。


 だから、髪も伸ばしたし、制服もセーラーを着た。


 けれども――そんな私を、ほとんどの人間が受け入れてくれなかった。

 学校ではオカマといじめられ、家では空気みたいな扱われ……。


「はぁ……」どうしてこうなったのやら。

 そう嘆息していると、誰かが私の背をポンッと叩いた。


 振り返ると、同年代の少女が立っていた。


 瑠璃色の長髪をなびかせて、笑顔をこちらへ向けている。

 体に纏っているのは、有名なお嬢様学校のブレザー。


「お久しぶりですね、荒井さん」

「……久しぶり、レンちゃん」


 何の屈託もなさそうに言う少女に、そう返した。


 彼女は英沢えいざわセイレン。通称、レンちゃん。

 私の幼馴染で、中学まで同じ学校だった。

 かの有名な英沢財閥の令嬢で、礼儀作法がしっかりしている。

 そして、私のことを認めてくれている唯一の――友人。


「今日はどうしたの、お迎えの車は?」

「今日は歩いて帰ろうと思いまして。コンビニにもいきたかったですし」

 そう言ってレンちゃんは私の隣にきた。


「家の方向一緒ですよね。久しぶりに一緒に帰りませんか?」

「うん、もちろん」

 私は肯定する。むしろ、否定する理由はなかった。


 それから、二人で談笑しながら薄暗い街を通っていった。

「駅前のパンケーキ屋さん美味しいんですよ。今度、一緒にいきませんか?」

「おぉ、いいね。流石、レンちゃんセンスがいい!」


「楽しみなことが、また増えちゃいました。あっそうだ。今度、わたくしの学校で……」

 そこで急にレンちゃんが口を閉ざす。


「どうしたの?」私は首を傾げて、訊いた。

「荒井さん、学校でイジメられたりしていませんか……?」


「それはその……」

 イジメられている。

 けれども、そのことをレンちゃんに言うのは気が引けたので……。


「うんうん、大丈夫」と嘘をついた。

「そうですか……」

 レンちゃんが二、三歩前へ出た。

 瑠璃色の髪が電灯に反射して、輝く。


「もし何かあったら、いつでも私に言ってください」

 ――絶対、力になりますから……。


「うん、わかった」

 私の言葉に反応して、レンちゃんが振り向く。

 その顔は満面の笑みだった。


「じゃあ、約束ですよ」


 この時点で、私は重要なことに気がついていなかった――

 私たちの背に禍々しい影が迫っていることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る