0-4 Walking On The Moon No.2

 蠅人間はほとんどの場合、人間としての自我を失う。

『ほとんど』ということは、自我を保っている蠅人間もいるということ。


 ――それが私だ。


 強い意志を持った人間は、蠅人間になっても自我を失わない。

 意志の力で、ベルゼブブに与えられた力を制御できるからだ。


 ベルゼブブはそんな蠅人間を好み、直々に『洗礼名』という名を授ける。

 私の場合は――『マーチヘア』だった。


 * * *


「さてと」

 蠅人間に変化したこの私――『マーチヘア』は目の前の敵に飛びかかった。

 敵――蠅人間は体を透明化させようとするが……遅いッ!


 ――『月の刃クレセント・ブレード


 一瞬で、私の両手が三日月状の金色の刃に変形し――蠅人間の胴を叩き斬る。

 ビシャッと鮮血が飛び散った。


 その様子は、砂浜で割られ、砕け散る西瓜(スイカ)のようだった。

 蠅人間は透明化したものの、血に塗れたせいでその輪郭が浮かぶ。


「コ、コノォ……」

「とどめの時間だ」――私は蠅人間に手をかざす。


 ――『後ろ髪を引く月ウォーキング・オン・ザ・ムーン


 すると、蠅人間が――


 ――なにかに引き寄せられるように

 ――はたまた、なにかに吸い込まれるように


 こっちに飛んできた。


 無論、私が引き寄せたのだ。

 私の『月の力』は、私が指定したものを引き寄せるもの。

 引力を発生させると説明すれば、わかりやすいだろうか。


「消えな」振るわれた手の刃が蠅人間の首に食い込む。

 食い込んで、さらに食い込んで、綺麗に切断した。


「ガガガァ!」と叫びを上げる蠅人間の頭がボトッと地面に落ち、転がっていく。

 残った体もその後を追うように、落ちていった。


 戦いは終わった。

 蠅人間からはもう生気も何も感じられない。

 私は自身の体を蠅人間のものから、人間のものへと戻した。


「おい、おまえ、大丈夫か?」


 私は少女を向く。

 少女は恐怖を顔に浮かべ、さっきからその姿勢を崩していない。


「あぁ、すまん。怖がらせたな」

「いや、その……それ……」


 少女が死んだ蠅人間を指さす。


 死んだ蠅人間の蠅の部分やカメレオンの部分が、溶けるように変化していた。

 変化後の姿は正に人間のソレだった。


 蠅人間は死んだら、人間に戻る。

 この蠅人間も例外ではなく、元の姿に帰化しているのだ。


 そのことを少女に説明したが、少女は首を横に振った。

「違うんです……、その顔……私のお父さん……なんです」

「へっ?」


 蠅人間の顔を見てみる。

 それは中年の男の顔だった。

 言われてみると、輪郭が少女と似ている気がする。


「待て。おまえの親父は一週間前殺された、蠅人間の最初の被害者なんだろ? なんで犯人の蠅人間がおまえの親父なんだ……」

「そんなの、わかる訳……ないじゃあないですか……」


 よくよく考えたら、そうだ。

 少女が何かを知っているはずはない……。


 じゃあ、こうするか。

 私はしゃがんで、元蠅人間の男の頭に手をつけた。


『月の力』は、この世にある物以外の存在――所謂、『概念』も引き寄せることができる――例えばとか。

 という訳で、を引き寄せることにした。


「ふむ……なるほど」

 脳に流れ込んできた記憶は、ことの真相そのものだった。

 そういうことだったのか。


 私は腰を上げ、少女に近づく。


「おい、おまえ」

「うっ……うぅぅぅ……」

「おまえ」


 少女は泣き顔を私に見せた。

「なん、ですか」

「ここで泣いている暇はない」

「だっ、だって……私のお父さんが……」


「おまえの親父の敵討ちにいくぞ」


 少女がポカンと泣くのをやめる。

「それって、どういうこと……」

「ついてこい、話はそこからだ」

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