ヴァリス・ジ・オペラ(翻訳記事)

 これが境界線かもしれません。とりあえず打ち止め。


 ヴァリス・ジ・オペラ


 キース・ボーデンによるパリからのレポート/り(PN)訳


 初めて「ヴァリス」を読んだとき、私はそれを理解できなかった。私の友人は、彼らには何の問題もなく、私がそれをあいまいに理解したのだろう、といった。いまでは私にも、彼らが自分よりいくらか気違いじみていただけだとわかる。本を再読して、私は一読したときに理解が難しかったのは、文字通り充分にそれを捉えていなかったからだと悟った。

「ヴァリス」は自叙伝である。ディックはその人生のほとんどの期間精神分裂病だった。少なくとも、ディック作品を博士論文に取り上げたキム・スタンリー・ロビンスンによれば、そうなる。ヴァレリーと私は偶然、ロンドンのシティ・リットで開かれたコリン・グリーンランドのSFワークショップにKSR(キム・スタンリー・ロビンスン)の講演を聞きに行ったことがある。その前の晩、私たちはパリのポンピドウ劇場(センター)に「ヴァリス」のオペラを見に飛んでいた(私はロビンソンのいったすべてには賛同しない。特に、ディックの写実小説の質に関する彼の意見には。私は「メアリー・アンド・ザ・ジャイアント」MARY AND THE GIANTが、ディックのもっとも素晴らしい小説のひとつだと思っている。ディックの書いたすべての中には、読むに堪えないものもあれば、才気縦横なものもある)。「ヴァリス」はフィル・ディックの精神分裂病の小説化された弁明である。フィルの第一の友人はホースラヴァー・ファットだが、現実には、彼はフィルのもうひとつのエゴにすぎない。このことを考えるにつけ、私は不思議な気分にとらわれる。ある宵、「ヴァリス」のいくらかは文字通り真実だった。ドゴンの人々(訳註 西部アフリカ内陸のマリ共和国に住む原住民。文庫八十七頁他に記載あり)と、シリウスからの三つ眼の両性生物(訳註アルベマスの三つ眼人を指す。文庫一四五、一四六頁他に記載あり。アルベマスの名は二七五頁にある。また、一四六頁ではドゴン族との関係について(釈義五〇)、二七七頁では、その神話とヴァリスの関係について触れられている。以上蛇足)……? 私には、このレヴューを書く役目があるが、まだワードプロセッサーのスイッチを入れるには至っていない。

 お茶を入れようと台所にいき、ティーバッグの新しい箱を開けて驚いた。その中に色つきのカードがあったからだ。〈PG・チップス〉は、私の憶えているかぎり、(合衆国の風船ガムのカードのように)お茶に大抵ついている。その二枚のカードは『解明されない不思議』シリーズ全四十枚中の十一枚目と十二枚目だった。十一枚目は『生きている海の怪物』、十二枚目は『シリウスの不思議』だった。後者の全文を引用する。


 「西部アフリカ、マリのドゴン族は、夜空に一際明るく輝く星、シリウスを取り入れた古い神話体系をもっている。望遠鏡の助けを借りることなく、ドゴンの人々は、シリウスが二つの目に見えない連星を連れていると信じていた。ほぼ円形の軌道をもつ明るい星。その星は『地球の全質量よりも重く』、五十年周期でシリウスのまわりをまわっている。

「一八六二年、白色矮星のシリウスBが、肉眼でシリウスの軌道に発見された。この星は密度の高い物質からできており、五十年の軌道周期をもっていた。ドゴンの人々は正しかった――だが、何故? 遥かな昔、シリウスから神に似た生き物がこの惑星を訪れ、自分たちにその事実を語ったのだ、と彼らは主張している」


 さて君は、それがお茶のカードに書かれたものではないとして、フィル・ディックからいかなる形式でメッセージを受け取るのを期待するかね?

 二週間前の十二月二日(訳註 一九八七年)私たちは「ヴァリス・ジ・オペラ」の世界初公演(ワールド・プレミア)に出席するため、パリに飛んだ。舞台と管弦楽曲の作曲はセンター・ポンピドウの協力のもと、IRCAMのトッド・マコーヴァーとキャサリン・アイカムが担当した――このエレクトロニック・ミュージック・センターは、ピエール・ブーレやフランク・ザッパのような人々がしばしば利用している――イヴェントはセンター・ポンピドウの一階(レドショーセ)で行われ、約三百の客席は満席となった。

 六かける六でずらりと並べられた三十六台のカラー・ヴィデオ・モニターがステージの下手に堤を作り、加えてステージの両側に二つ、六台の垂直な堤が築かれている。床には迷宮の模様が描かれ、モニターの巨大な堤の前にはベッドがある。積み重ねられたモニター・スクリーンの上に、長方形に切り取られた顔のそれぞれの部分が、全体としてひとつになるように映っている。が、すぐに、それは断片にまで破壊される。それはホースラヴァー・ファットの顔である。宙を舞う断片の向こうに古代クレタ島の像(イメージ)が見える。

 ファット(オリヴィエ・アンジーレ)が幼児の格好で迷宮の中央に横たわっている。フィル/ファットのピンク色の光線の体験は、うつ伏せの彼の身体に(むしろ赤色の)レーザー光線が愛撫するかのように当たり、色がぼやけていくことで表現される。フィリップ・K・ディックの声(アンジーレ)がグロリア・ナドスンの物語を語る。彼女はファットに電話をかけ、もしいくらかのネンブタールを分けてくれたら自殺ができるのに、という。彼女が自殺するには十錠以上が必要だった。ファットは「十錠あるよ(ジ・アン・エ・ディス)」と答える。これはフィルによってまさしくフランス語で語られる。彼はピンク色の光線が、息子がヘルニアに罹っているとフィルに警告した経緯を詳しく話す。きらびやかな赤い着物を身に纏ったファットが話し続ける。ファットはグロリアを失い、神を見出した。ファットの釈義からの半分が歌、半分が語りの引用が、ヴィデオの無秩序なイメージを背景に続けられる。古代ローマに関する語りがある。

 ナレーターの声が女性オペラ・シンガー、スクリーンが海に変わり、グロリアが部屋に入ってくる。ファットは、自分と一緒に生きようと彼女を説得する。古代エジプトのイメージ、海と浜辺のイメージが、バラバラの顔のイメージに再び置き換えられる。「いったい、いくつの世界が?(ハウ・メニー)」という質問がフランス語と英語で何度も何度も、次第に大きくなりながら繰り返される。突然、白い布が彼の上に落ちる。これは、グロリアの死と自身の自殺の企ての後、ファットが自らを施設に収容させたことを表している。医者の不条理でとりとめのない話は理解が難しい。というのは、そのほとんどがフランス語でオペラ風に歌われたからだ。彼はとても低く太い声を持ち、足許まで届く白いコートを纏っている。スクリーンは仮面、汚れたガラス窓、歪んだ象形文字、音楽、M・C・エッシャーのイメージを見せる。そのとき、ファットとグロリアは二人してそのイメージとともに歌っている。ファットはパルジファルとその聖盃探索の歴史を語っている。彼はストーン博士が自分のもうひとつのエゴを容認することによって自分を直すのだと思っている。「きみが権威だよ」。

 本の内容は徹底的に切り詰められている。シェリーはオペラのどこにも登場しない。ケヴィンも出てこない。物語は必要最低限の骨格にまで還元されているが、辛うじて本の雰囲気は保っている。登場するその他のキャラクターはストーン博士、エリック&リンダ・ランプトン、ミニ(トッド・マコーヴァー)、ソフィアだけである。「ヴァリス」を映画館に見に行くシーンは、ロック・コンサートに置き換えられている。

 ファットが自分を映画カメラでヴィデオに映し、そのイメージが同時にヴィデオの堤に投影されるという奇妙な場面が次に続く。これによって、ファットとフィルが同一人物であることが暴かれる。ファットが去り、フィルが彼を見失う。「君に会いたいよ、友よ(マン)」。突然、ランプトンのロック・グループが、この世のものとは思えない馬鹿でかい(ア・ウォール・オブ)音で演奏を始める。ヴィデオ上にはロナルド・レーガン(フェリス・フレマウント)のイメーージ。場面が急速に切り変わる。カットとパン。溶暗。遠景。エリックとリンダが紐のてっぺんから降りてくる。二人のシンガーはファットにヴァリスについて語る。彼らはシンクロ音楽の創始者であるミニに会いに行く(ヴィデオに配電盤がプリントされる)。ランプトンは彼らに、この世界を造ったシリウス(アルベマス)の三つ眼の存在について明かす。彼らは自分たちの娘、ソフィアをファットに紹介する。

 ファットがステージの中央に立ち、ピンクの光線が全身を包んでいる。ミニがステージの上手に立ち、プラズマの球を打っている。(ファットがキリストの具現だと信じている)聖ソフィアが、歌いながらモニターの頂上に現われる。彼女の頭がヴィデオの向こう側に覗く。ソフィアがヴィデオの上から消え、スクリーンの中にこちら向きで再登場する。私が見た中でもっとも効果的だった電子の手品が、その後に続く。モニター上には三次元のコンピューター迷宮ゲームがある。そこでは自分が迷宮の中にいるとして、人は自分の前に見られるはずの迷宮の一部しか見ることができない。迷宮のそれぞれの面にはソフィアの顔があるのだが、それは静止画ではなくヴィデオである。観客はソフィアが見つめる回廊の壁紙のイメージを抜け、ますます速く迷宮をくぐり抜ける。

「われわれはここで迷宮の中にいる」ミニが言った。「われわれが造り、落ちこみ、そして出ることのできない迷宮。本質において、VALISは迷宮から脱けだしたり、脱けでる道を見つけだしたりするのに役立つ情報を、選択的にわれわれに伝えるのだ――神話は迷宮の所在をクレタにしている――われわれは偉大な建築家だったが、ある日、遊びをすることにした。自発的にやったのだ。脱出口があるものの、迷宮――この世界――が生きているため、迷宮が絶えず変化しつづけるので、実際にはわれわれにとって脱出口のない、そんな迷宮をつくれるほど、われわれは完全な建築家だろうかと思ったのだ(訳註 大瀧啓裕訳より一部省略して記載)」

 みんなとミニが入ってくる。ファットとソフィアがデュエットで歌い、仲間に加わって一息入れる。音楽が強まり、声がまた聞こえてくる。ベルの音が聞こえる。ファットが英語でグロリアの死を語る。スクリーン上では、ファットとフィルが、ミニと、ヴァリスとは何であるかについて話している。フィルがファットに真実を告げ、ファットが存在しないことがわかる。彼はもう二度と自分の親友に会えないのだろうか? ランプトンとソフィアがそれぞれの腕を持ち、ファットを別々の方向に引いていく。ピンクの光線がいま一度現われ、ソフィアが消える(落ちる)。われわれは彼女をもう一度スクリーン上に見る。ファットがステージでベッドに横たわっているところで幕が降りる。ソフィアの死が、ファットを狂気に呼び戻したのだ。

 これ以外に、私に何がいえるというのか? 音楽は魅惑的だったが、いまの私にはそれを詳細に記すことはできない。大勢の人々が上演の半ばで退席した。入場料には美しく装丁された十六頁の光沢色のプログラムが含まれていた。コンサートの後、私はヴィデオが接続されるコンピューターを見て、なんと洗練された制御言語なのかと魅惑された。その夜、ヴァレリーと私は、それぞれ七ポンド五十の大枚をはたいてホテル・デ・アーツに泊まった。校正刷りには著者のノートがつけ加わる。曰く、これを仕上げてほんの少し後、私のワードプロセッサーが消え、代わりに「ワードプロセッサー」と書かれた一枚の紙が置かれていた、と。


The Philip K.Dick Society Newsletter, #15

“VALIS - THE OPERA (excerpts from a pressrelease received)"

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