PKDSが受け取ったプレスリリースからの抜粋(翻訳記事) 

 これも問題なさそうです。


PKDSが受け取ったプレスリリースからの抜粋       


 り(PN)訳


『ヴァリス』はライヴ・パフォーマンス、コンピューターが産み出し変換するサウンド、高度に洗練されたヴィデオ・ディスプレイ・システムを利用したエキサイティングなニュー・メディアのオペラで、現在、パリのセンター・ジョージ・ポンピドウで一九八七年十二月に行われる初演のための準備が進められています。十周年記念式典のためにポンピドウ・センターから依頼されたこのプロジェクトは、現代音楽、演劇、ヴィデオ分野の三人の指導的芸術家の国際協力といえるでしょう。『トッド・マコーヴァー』は、マサチューセッツ工科大学の新メディア研究所を拠点とする作曲家で、肉声(ライヴ)とコンピューターが産み出す音楽を統合した、その革新的な作品で知られています。『ビル・レイモンド』は、広く喝采を受けるニューヨークの実験演劇グループ、メイボウ・マイネスの俳優、演出家、創設メンバーであり、『キャサリン・アイカム』は、フランスのヴィジュアル芸術家で、特にその作品の大規模装置がミキシングするヴィデオ、コンピューター・グラフィックス、レーザーで著名です。

 オペラの台本(リブレット)は、サイエンス・フィクションを人間存在と現実の根源的な疑問を探るスプリングボードとして用いる有名なカリフォルニアの作家、フィリップ・K・ディック(『ブレードランナー』)の同名の本に基づいています。中心となるキャラクター、ホースラヴァー・ファットは、捉えにくい真実を探索する今日のパルジファルになぞらえられ、ライヴ・コンピューターによって会話から音楽までを同時変換される声を持つ俳優によって演じられます。パリの初公演では、この役は『サイモン・アイネ』、フランス演劇の高名な俳優であり、コメディ・フラーンセの終身メンバーによって演じられます。彼はまた同じシステムによって同時変換される声を持つ五人の非常に洗練されたシンガーに結びつけられています。その五人とは、有名なイギリスのヴォーカル・グループ、エレクトリック・フェニックスのメンバー四人と、初期の音楽のスペシャリストであるボストン・カマレータのメンバー、アン・アゼマです。

 二人の音楽家がオペラの上演されるあいだキーボードとパーカッションを演奏します。ライヴと予め録音されたコンピューター産出変換サウンドは蒼然たる配列(アレイ)となることでしょう。ステージはコンピューター回路に似せて組み上げられ、オペラのストーリィ・ラインの進展とエモーショナルな衝撃を中心イメージとして映す、壮大な数のヴィデオ・モニターとプロジェクション・ユニットで取り囲まれます。サウンドとイメージとドラマティックな内容が全部ひとつに統一(オーケストレイテッド)されるのです。

 パリでは、このオペラは、建物の観客入口広場(ホール)に広大な凹所(リセスド.エリア)を持つセンター・ジョージ・ポンピドウのフォーラムで公開されます。一九八八年の晩春か初夏に合衆国とカナダをまわるオペラのツアーが現在公式に再検討されています。生公演(ライヴ・ショウ)の他に、このオペラは二つの違った形態を見せるはずです。生公演に関連した三十分ループのサウンドとヴィデオ・イメージをフューチャーした膨大な量の公演設備が二ケ月間ポンピドウ・センターに公開され、その後、ツアーに用いられます。また、ヴィデオ・ディスクとテレビ局用のヴァージョンが公開されるはずです。

『ヴァリス』は、フランスでは、センター・ジョージ・ポンピドウ(近代芸術博物館&視聴覚サーヴィス(IRCAM)が統一する初めてのプロジェクト)、小都会(ラ・ヴィレト)、秋祭(ザ・フェスティバル・ドトン)、マサチューセッツ工科大学の協賛のもとに行われます(後者によって、芸術と人間性に基づく新たなる創作計画(ジ・アーツ・アンド・ヒューマニティー・ニュー・ワーク・プロジェクト)に関するマサチューセッツ会議からの基金(カウンサル)が贈られました)。


[上演(ステージング)]

『ヴァリス』を作品化するその初めの段階から、このプロジェクトは音楽的、映像的、劇的要素を新しい方法で組合せる独特な統合芸術形態として理解されてきました。同時に、このオペラの重要な主題は、私たちの文化のテクノロジーが合わせ持つ統合者、操作者、破壊者という錯綜した意味にあります。それゆえ、『ヴァリス』では進歩した音像、映像、舞台技術が使われて、それがオペラの中心テーマに深く関わるのです。

『ヴァリス』は非典型的な演劇空間を念頭において作られています。初公演は観客入口広場に広大な凹所を持つセンター・ジョージ・ポンピドウのフォーラムのために企画されてきました。上演中、階段上の有料客席は三百五十人の観客に提供され、一方、無料の観客は彫刻で飾られたステージを見下ろす迫り上がった外縁部から演技を覗き見ることになります。これは、この作品が違った角度から体験されることを意味します。オペラの上演時間は約一時間半で、幕あいはありません。

 この多重の視点は『ヴァリス』の舞台設備を強調することでしょう。一九八七年十二月、オペラの最初の公演が終わったあと、音像及び映像設備は二ヶ月間ポンピドウ・センターに据え置かれます。その期間に、人々は録画前の状態のオペラの主要な芸術コンテを、客席または迫り上がった外縁部のいくつかの視点から追体験することができます。このヴァージョンの上映時間は約三十分で、繰り返して上映されます。

 ステージにはコンピューター集積回路の巨大(マンモス)な抽象模型があり、『ヴァリス』の核である情報の循環を象徴します。金属的な半透明の表皮で覆われる曲がりくねった中心部は配電盤の核を表わし、俳優と五人のシンガーは主にその場で演技を行います。舞台の至る所に撒き散らされるのは約二百台のヴィデオ・モニターで、床に上向き、すなわち緩い角度で観客に向けて置かれます。もっとも観衆の近くにあるモニターは、遠くの壁に向かう、より対称的なパターンを明らかにするため、どちらかといえば無秩序に配置されます。自動支援システムが(スタジオかライヴのどちらかを)決定し、それらのモニターにイメージを送ります。数多くのモニターをひとつに統合するのは床に嵌め込まれた光ファイバーで、それを通して接続光の点滅、急速または連続放射を産むレーザーが送られます。一枚の巨大な映画スクリーンが観衆に向けてうしろの壁に置かれます。その巨大な半透明の投影面は紐で吊るされます。金を惜しまずに揃えられた劇場照明と特殊効果(煙と蒸気、昇り舞台と階段など)が、舞台に柔軟性と豊かさをつけ加えるはずです。

 ヴィデオと投影イメージの使用は、オペラに二つのことをもたらします。すなわち常に変転する舞台背景と、途切れることなく進行する演技です。(たとえば、ファットの宇宙の起源に関する内面の理論化や美しい女性との追憶のような)演技のある要素はヴィデオの中にだけ存在し、一方、それ以外の要素(二人のロックシンガー、少女/天使/ホログラムのソフィア)は現実と非現実の境界に両意的に踏み込んでいきます。加えて、個々のモニターに多くの断片として映されたイメージから数台のモニターに分配されたイメージへ、さらには巨大スクリーン上の巨大イメージへと移る映像の進展は、深遠な混乱から(あたかも幻影であるかのような!)真実と調和へ向かうオペラのドラマティックな進展を強調するのに用いられます。

 この作品はオペラであるため、音楽が作品の推移と変化の感覚をもっとも強力に伝えます。これはテクノロジカルな意味によるものと同じく、音楽の言葉と題材それ自身によって成し遂げられます。ドラマの前半分と後半分の音楽的な処理は非常に異なっています。前半では、ほとんどの音像は肉声からとられます。すべりだしにあるピンクの光線の説明は、完全なる平和を表現するすばやく中断され(ファーストカット)、塗り重ねられた(オーヴァーレイド)短い引用を含むものです。話言葉は徐々に推移し、そしてついには歌唱に変わります。前半の断片化された音像模様(テクスチャー)は、中盤のランプトンの映画によって始まる混じりけのない音楽に融合されます。オペラの全体的な流れの中に重ねられ、相反するように仕向けられた異なる音楽的傾向のすべてが、『ヴァリス』の真実を明かすソフィアの音楽の中に統合されます。

 テクノロジーが、その変化を強調します。俳優と五人のシンガー全員がアンプに繋がれています。ひとりがキーボード、ひとりがパーカッション・プレイヤーの二人の演奏家は、はじめアンプに繋がれた自然音の楽器で演奏しますが、その後、楽器は徐々にライヴ・コンピューターの変換を受け、最後には特別に設計されたコンピューター制御の楽器で演奏することになります。MITで設計されている新機材と同じ性能を持つIRCAMの4Xディジタル・シンセサイザーが、オペラが上演されるあいだ、声と楽器を繊細に生音(ライヴ)に変換します。MIDI制御のシンセサイザーとサンプリング用楽器のセット(ヤマハ、カーズウィル、エミュレーター)が自己を表現する(ジェスチァラル)高潔な電子の演奏に、先例のない豊かさを提供します。新しいディジタル・システムが、繊細に調整された何十分もの音像断片を、上演中、意のままに挿入するのを可能にします。洗練された音像システムが高品位な増幅と再生を保証する目的で観客を取り囲み、それが正確な空間イメージングをかなえるのです。

『ヴァリス』の二つのヴァージョンは、一九八八年春に始まる合衆国公演でお目せすることができるでしょう。第一のヴァージョンはポンピドウ・センターで企画されたものとほぼ同じで、(たとえば、ニューヨークのジェイヴィッツ・コンヴェンション・センターやMITの新実験媒体施設(イクスペリメンタル・メディア・ファシラティ)のような)彫刻で飾られたステージ、ヴィデオ・モニター、巨大スクリーンを設営できる大きく開放された公共の空間を必要とします。さらに第二のヴァージョンは、いくらか少ないモニター、単一の巨大スクリーン、オリジナルな「コンピューター回路」ステージからのいくつかの要素が設営可能な、もっと典型的な劇場で公演することができるでしょう。それらの二つのヴァージョンには、ひとりの俳優、五人のシンガー、ひとりのキーボード・プレイヤー、ひとりのパーカッショニスト、そして控えめに配列された電子音像とヴィデオ技術が用いられます。


[摘要(シノプシス)]

『ヴァリス』は、フィリップ・K・ディックによって書かれた最後の本の一冊です。一九八二年に死去したこのカリフォルニアの著者は、主にサイエンス・フィクション作家として知られています。しかし、その経歴のはじめから、彼は極めて根源的な人間の問題に強く惹かれ、しばしばサイエンス・フィクションの分野と緩やかにだけ関係しました。その作品を繋ぐひとつのテーマは、私たちが自分のまわりに見る世界が、必ずしも、ただひとつだけ存在する世界なのではなく、おそらく「真の」世界でさえない、という事実です。宇宙旅行、進歩したテクノロジー、心の反対側を覗くドラッグ、あるいはメタフィジカルな宗教というどちらの暗比を用いたにせよ、彼のテクストは錯綜した迷宮を与えるので、読者は、どこでひとつの世界が終わって別のそれが始まるのか、あるいは、そういった様々な世界がいかに共存しているのか、まったく確信が持てないのです。「ヴァリス」(巨大にして能動的な生ける情報システム)とは、現実とは何か、というディックのもっとも力強い洞察なのです。

『ヴァリス』は、ホースラヴァー・ファットと名づけられた登場人物の話で幕が開きます。少しのちにわかるように、彼は二人目のディック自身なのです。生のトラウマによって、ディックの人格はファットを分離していました。ファットは断固として陽気な、あたかも気違いじみた形而上学的真相の探求者――おそらくサイエンス・フィクション作家――であり、フィルは理性的な、この世の人間存在のいささかうんざりした記録者です。さまざまな方法で、ドラマ全体はその二つの人格の統合の道を探ります。

 オペラは実際に作品が語られる前のあるとき、ファットを襲った異様な体験の表現から始まります。彼はピンク色の光線によって侵入または貫通を受けていたのです。その光線は、ある日、彼の頭脳に入り込み、その世界に対する知覚を変えさせました。すなわち時間が止まり、古代ローマから遠い未来の世界までの多くの歴史的瞬間が二重露光、または相互に溶明溶暗(クロスフェイド)されているのというのです。彼は以前には知らなかったギリシャ語や、自分の息子が末期症状を回避するには、すぐさま医者に見せなければならないといった、多くの知識に気づくようになります。彼はものすごいスピードで自分に送られ、いまだすべてを理解できない、二十世紀のもっとも映像的な芸術を幻視します。すべてのものの背後に隠れる「ヴァリス」という世界・力を意味するイデアを授けられます。

 ファットはその体験にひどく揺さぶられながらも日常の生活に戻ります。オペラの第一部は、異なったレベルでの彼の人生を表現します。ガールフレンドを救おうという人生の一大事が、緊張と精神疲労作用で、彼に異様なピンク色の光線を体験させたということがわかります。おぼろげな永久記憶として、そのほとんどがヴィデオ・モニターの中に見られる演技のひとつの切り口(レヴェル)は、ファットが見込なく救いだそうとするこの女性、グロリアがいる情景(シーン)の回想的瞬間場面(フラッシュ)を伴います。

 観客がステージ上に見る演技の多くは、ファットの毎日の生活と関わります。彼は自分のピンク色の光線の体験を説明したいという救いのないもうひとつの熱望(ラヴ・アフェア)の中に置かれ、精神病院の短期集中入院を切り上げようと、かなり取り乱すようになります。

 ファットの日常生活の悪化に注目するとき観客は、彼がその夜のすべてを自分の「釈義(イクサジーシス)」を書くことに費やしているという事実に気づかされます。それはピンク色の光線の体験を理論的に理解しようという企てであり、彼が根源的現実と考え抜いたすべてものの記述なのです。その記述では、神話、ハイ・テクノロジー、まったくの偏執病が奇妙に組み合わされます。それは、自分が掴んだものの背後にある体験を「統合し(ユニファイ)」て理解しようという、彼の死物狂いの企てなのです。

 オペラの前半を上演中、ファットの生存のこういったあり方が、その他のものから次第に切り離されていきます。彼の愛すべき生活が切れ切れとなり、その日誌がますます放埒で幻想的となり、ついには全面的精神崩壊の瀬戸際にまで達します。フィルもそのひとりですが、彼をその問題から遠ざけようとする友人たちが、新しいサイエンス・フィション映画「ヴァリス」を見に行こうと彼を誘います。この映画はオペラ中盤の見せ場であり、対称的な前半分と後半分の分割線です。ところが「ヴァリス」とは、害のないサイエンス・フィクション物語などではなく、ファットが体験したピンク色の光線とさまざまな幻視の万華鏡的、超現実的描像であることがわかります。はじめて物語形式の中で明らかにされ、客体化されたそれは、ファットがその体験から現実と信じるものを強化して、彼が、そう思われていたように狂っていたのではないという事実を友人たちに気づかせます! オペラの後半は映画「ヴァリス」を作った人たちを探し、見つけ、何故それを作ったのか、そのメッセージに託された真実とはなにか、について語られます。

「ヴァリス」は北カリフォルニアに住む二人のロック・ミュージシャン、エリック&リンダ・ランプトンによって作られたということが判明します。ファットとその友人たちは彼らと会う手筈を整え、どちらかといえば奇妙な人物と相対することになります。彼らは正気であると同時に策略家(トリックスター)らしく(そして自身わずかに狂っているように)思われました。しかし、彼らは映画の背後に隠れたイデア、すなわち人々が接触することによって力を統合する人間を越えた存在を示す、すべての説明を始めます。

 けれども、あまりにも多くの詳細に立ち入るに至り、ランプトン夫妻は「ヴァリス」から直接知識を授けられたのは自分たちではないことを認めます。それを体験したのは、「同時強調性(シンクロニシティー)の音楽(シンクロ音楽)」と彼自身が呼ぶ音楽の専門家、小人の作曲家のミニだったのです。ミニが発明した巨大で錯綜したシステムから産み出される音楽は、音像を通じて直接知識を伝達できるというものでした。事実、それはミニが映画「ヴァリス」のために書いた音楽で、映画にあるすべての潜在的なメッセージを伝達するため、そのサウンドトラックを利用したのだと思われました。「ヴァリス」のイデアとは何なのかを説明するために、ミニはこのシステムで錯綜した力強い演奏を行います。

 その音楽を聞いたあと、ファットと友人たちは、「ヴァリス」の背後に隠れた本当の真実には、さらにもう一段階先があることを知らされます。ランプトン夫妻には二歳になる娘、ソフィアがあり、彼女は「ヴァリス」によって地球(アース)に送られ、宇宙のすべての真実を所有しているというのです。彼らは一部が現実、一部がホログラムと思しきその少女に紹介されます。彼女は穏やかで慰めを与える説法(スピーチ)をして探索者たちを勇気づけ、また、そのメッセージは極めて人間的、現実的(ダウン・トゥ・アース)なものでした。この出会いは演技のクライマックスとなる中心です。すべてが解明されたように思われ、はじめてホースラヴァー・ファットが消失します。引き裂かれたフィルの精神が癒されて、その人格が統合されたのです。

 そして、演技は最後の展開を迎えます。ソフィアがその真実を表明しているとき、観客は、ミニがそのコンピューター化されたミキシング・コンソールの背後にいまだ陣取り、ソフィアを操っているという事実に気づかされます。すなわち、彼女はある判然としない方法で、この工学者の研究室で合成された架空の産物だったのです。ミニはソフィアの演技(パフォーマンス)の質を一層高めようと、バランスのとれた穏やかな初期状態から遥かにそれをずらし、ついにはシステムに過負荷をかけて、ソフィアの爆発を引き起こします。それはピンク色に染まった観客の眼差しが、皮肉に痛々しくも演技の全過程をまわり、はじめの情景に戻る前に起こります。

 最終章は、ホースラヴァー・ファットが再びフィル・ディックに結びつくところを示します。統合の夢は敗れ去ったのです。オペラは疑問符とともに終わります。けれども、その希望は薄められず、ホースラヴァー・ファットは再び真実の探索に乗り出します。そしてフィル・ディックは家に留まり、テレビを眺めながら、メッセージが届くのを待ち続けるのです。決して諦めることなく。


[経歴]

 トッド・マコーヴァーはコンピューター音楽の権威(ステート・オブ・ジ・アーツ)であるばかりでなく、すべての形式のインストゥルメンタル音楽の分野で活躍してきました。一九八五年から、マコーヴァー氏はマサチューセッツ工科大学の新メディア研究所の学部教官を努めています。このセンターは、最新のテクノロジーを結びつけたさまざまな芸術(音楽、映画、ヴィデオ、コンピューター・グラフィックス、ホログラフィーなど)の研究創造に捧げられたものです。一九八六年の秋、マコーヴァー氏は研究所の芸術活動に焦点を当てた多目的上演劇場である実験メディア施設長の名前を授けられました。また、一九七八年から一九八四年にかけて、マコーヴァー氏は、IRCAM(パリ)に勤務し、一九八〇年から一九八四年には、その音楽部長を勤めました。

 マコーヴァー氏はまた、数多くの賞の受賞者でもあります。その中には、ナショナル・インスティテュート・オヴ・アーツ・アンド

・レター(一九七六)、ザ・マーサ・ベイルド・ロックフェラー財団(一九七九)、ザ・カロウステ・グルベンキアン財団(一九八〇)、ザ・ナショナル・インダウメント・フォー・ジ・アーツ(一九八一、一九八二、一九八三)、ザ・サージ・コウセヴィッツスキー財団(一九八三)、ザ・フレンチ・ダイレクション・ダ・ラ・ミュジク(一九八四)、ザ・マサチューセッツ・カウンサル・フォー・ジ・アーツ・アンド・ヒューマニティーズ・ニュー・ワークス・プログラム(一九八五-一九八七)があります。彼の音楽は合衆国とヨーロッパの至る所で広く演奏され、メッツ、リール、ワルシャワ秋祭、ベネチア・バイエンニアル、ザ・ロサンジェルス・オリンピックス芸術祭、タングルウッド、ニュー・ニュージック・アメリカといった多くの国際音楽祭の呼びものとなっています。


[このプレスには、オペラの中で演奏される音楽連作のひとつを例にあげて、「実時間(リアルタイム)システム」の技術的詳細を記載した五頁にわたる資料も含まれていた。それはファットとランプトンが出会うシーンで、ヴィデオテープ、シンセサイザー・プログラム、ランプトンのパートを歌う肉声のヴォーカリスト、ときによってコンピューター制御の音楽や特殊効果(エフェクト)と直接やり取りをする(インタラクション)二人の生演奏ミュージシャン――キーボードとパーカッション――を伴っている。この実時間システムはマッキントシュ社のコンピューター、『コーラル・リスプ言語に操られた(コーデッド)MACⅡで申し分なく』作動するらしい。

[この資料の五頁にわたる記載から例を拾えば、『(この章(セクション)にある)キーボードのパートは、二つの異なる形式に分割されています。右手は、多かれ少なかれソプラノ歌唱の影、に隠れる通奏低音の数字(フィギア)を演奏し、一方、左手は一音階(オクターヴ)を移動するベース・ラインを演奏します。……(パーカッション)シリコン・マリットがランプトンのヴォーカル・ラインを鏡(ミラーズ)に映す瞬間に、時間を変数とする(タイム・ヴァリアント)不協和音が発生されなければなりません。これはおそらく、それぞれの槌(マリット)のピッチでわずかに違ったものとなり、フット・ペダルとおそらく速度によってコントロールが可能でしょう――ひとつの問題は、単一の対象(オブジェクト)/イヴェントの中に融け合うというより、むしろ重なりあった二、三の音像を、どうやって別個に、必要充分なだけコントロールするかということなのです』

[PKDSは上記資料を提供してくれたトッド・マコーヴァーに謝意を表する。われわれは完成された作品を見、そして聞くことを心待ちにしている]

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