「テレポートされざる者」の紛失個所(翻訳)
もう一文、出てきました。完全版が出版される前に個人的に訳してみたもの。実は他にもいくつかPKD関連の資料が見つかりましたが、色々と問題がありそうなので、今はここまでにします。興味ある肩はメッセージを下さい。
「テレポートされざる者」の紛失個所
フィリップ・K・ディック/り(PN)訳
[遺品管理と私の著書「オンリー・アパレントリー・リアル」(外見上の事実のみ)のため、フラートンのディック宅で彼の遺品原稿を調査していたときのことだ。私は「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の原稿の収納された箱を開き、深い考えもなく、それを整理していた。突然、私は、いま自分が驚きを持って目にしているものが「テレポートされざる者」の死後出版版の空白部にあたる紛失原稿であることに気がついた(「テレポートされざる者」はアメリカではバークリー社から、イギリスでは「ライズ(嘘)・インク」(ライズ有限会社)の書名でゴランツ社から出版されている。ゴランツ版にはディックによるいくらかの加筆修正があり、空白部のひとつが埋められ、また残り二つの空白部は、ジョン・スラディックが推測補筆している)。という次第で「テレポートされざる者」異本にまつわる汲めども尽きぬ物語は、ついに語り尽くされたのある。本書の第二部――六十年代にエース社が出版を拒否した部分――にある三箇所、四頁分の原稿が、いま初めて公開される。
……[ポール・ウィリアムズ]
空白部一
「テレポートされざる者」一六五頁 (バークリー版)
「ライズ・インク」一四三頁二行目から(ゴランツ版)
「テレポートされざる者」二六三頁 (サンリオ版)
THL職員にいった。「これは何なの。神の御名において――」
「そこに載っているのか」二人の職員のうち、背の低い方が同僚に尋ねた。彼は不機嫌そうに見えた。手を伸ばし、唐突に本を取り上げると、彼女の目から隠れる位置にそれを仕舞った。「この女にこいつを見せたのは間違いだったな」彼は同僚にいった。「いまじゃ、この女は多くを知り過ぎてる」
「たいしたことは知っちゃいないさ」と同僚。 フレイアがいった。「教えてくれない。『目を食べるもの』って、いったい何なの。教えてくれたっていいでしょう」吐き出した息が喉につかえた。ぜいぜいと、なんとか呼吸を続けたが、それはとても困難だった。
「キノコ状のものだ」と、THL職員の背の高い方が手短にいった。「ここに土着している種属さ」彼は、それ以上何もいわなかった。「ラクマエルは生きてるの」彼女は尋ねた。少なくとも、彼女は、ひとつのことは知っていた。ラクマエルはここ『鯨の口』にいて、しかも、この瞬間まで、自分がそれに気がつかなかったということだ。
背の低い職員は正しかった。彼女は多くを知りすぎたのだ。少なくとも、彼らの目的に関しては。だが、彼女自身については、ほとんど何も知らない。
「そのとおりだ」と背の高い方の職員がしぶしぶと認めた。「彼はあんたを捜しに来たよ」「で、そいつを見つけたってわけだ」もうひとりがいった。
しばらくのあいだ、辺りに沈黙が立ちこめた。フラップルが降下し始めた――どこに着くかは、神のみぞ知るだ。
「どこに連れて行く気か話してくれないんだったら」彼女は二人に等しくいった。「私は自破するわよ」彼女の指は、すでに腰の引き金に触れていた。構えの姿勢をとり、大型のフラップルに同乗している男たちに目を据えた。数秒が過ぎた。「UNは」彼女はいった。「私に装置を取付けたわ。これは――」
「『その女を取り押さえろ』」背の高いTHL職員がしわがれ声で叫んだ。あっという間に、彼と同僚が跳びかかり、彼女を組み伏せた。
空白部二
一九二頁(バークレイ版)
一六八頁二七行目から一六九頁(ゴランツ版)
三〇二頁(サンリオ版)
(本文の「その」を取る)すぐさま辛辣なしかめっ面を浮かべ――レーザー銃の操作ボタンをぎゅっと絞った。
失敗したわ、とフレイアは悟った。フラップルが私を欺いたのだ。あれは故意に私をここに誘った。THLのフラップル。あいつは私が何物で、何をしようとしているのか、すべて知っていたんだわ。私の敵――でも、こんな状態なるまで、私はそれを見抜けなかった。もう手遅れよ。あんまり遅すぎる。
レーザー光線が再び彼女めがけて迫ってきた。強烈な細状の輝線は、すんでのところで彼女を逸れ、背後の壁に光束と同じ大きさの穴を開けた。
「私はラクマエル個人に非常に関心があるんだ」とフェリーが彼女にいった。「もし、君がラクマエルの居場所を思いだしたというのなら――」
「もう、話したわ」張り詰めた声で彼女は答えた。ほとんど聞き取れないくらいの囁き声だった。
諦めの表情を浮かべると、フェリーは再度職員に顎をしゃくった。レーザー光線が唸り、フレイアめがけて発射された。
彼女はいま一度祈りを捧げた。だが、今度のそれは、テオドリック・フェリーに向けたものではなかった。
目を食べるものは上機嫌でいった。「ベン・アップルボーム君、私のなかに手を伸ばせば、ブラッド博士の著書のいくらか違った版が見つけられるよ。第二十版だ。少し前にそいつを摂取したんだが、……私の判断では、まだ胃液に消化されてはいないだろう」その考えは、目を食べるものにとって、面白いようだった。というのは、その顔の下半分が、堪えることのできない哄笑の渦に引き裂かれたからだ。
「本気でいってるのか」当惑を感じながら、ラクマエルは答えた。これまでのところ、目を食べるものは正しかった。もし、目を食べるものが本の最新版を持っているなら、彼にはじっくりとそれを調べる理由があった――それがどこにあろうと、たとえ、忌まわしき目を食べるものの内部に置かれていたとしてもだ。
「ごらんあれ」と目を食べるものは叫んだ。長い偽足の一本を保持し、
空白部三(二頁分の紛失原稿)
一九九頁(バークリー版)
(著者による改訂のため、ゴランツ版にはこの空白部はない)
三一四頁(サンリオ版)
『コンピューターの日』を回避したのだから。「人口冬眠装置の部品の受け渡しを始めよう」彼は静かにフレイアにいった。今回は、と彼は独りごちた。おれには準備ができている。
「メニューですか」ジュネが彼のまえに立っていた。彼女が手にしているのは、美しく飾られたメニューであった。彼は、ありがとうといってメニューを開き、フレイアのハンドバックを隠すと、それを読む振りをした。
そのメニューはメニューではなかった。食事の品目も、ワインも、値段の表も、彼は見ることができなかった。代わりに、彼はぞっとしながら、自分がいま読んでいるのが、ブラッド博士の著書の第何版かの一頁であることを悟った。瞬時のうちに、彼はそれを認識したのだ。
彼らに奪われてしまった。あの「皿洗い」は彼らの手先だったのだ。そして、それもまた、積み上げた皿と一緒に、あたり一面を覆う混乱のなかへ姿を消していた。意気阻喪して、彼は、むなしく目をこらした。そして最後に、ワインの小瓶から自分で二盃目をグラスに注ぎ、乾杯でもするかのように高く持ち上げた。彼の周囲に見えない網をはりめぐらして、一番たいせつな瞬間に介入してきて、彼が太陽系をあとにするために、どうしても必要としている巨大船オムファロスを奪い取ってしまったTHLに、承認の意をこめて、乾杯するつもりだった。
げんなりした気分で彼はいった。「やつらはどうしても、おれたちを阻止する気なんだな。くそっ」たとえ、おれが時間跳躍装置を持っていようが、おれがここに座り、これを試みるのが二回目であろうが、なかろうが、そのつもりなんだ。
「メニューを見せてくれる」といって、フレイアが手を伸ばした。彼は彼女にそれを渡した。しばらくのあいだ押し黙り、彼女はしげしげとそれを眺めていた。が、やがて、彼にメニューを返すと、黒い瞳を大きく見開いて、沈んだ調子で彼を真正面から見つめた。「リューポフのものね。間違いないわ。これは『洗脳用の文章(ウォッシュ・スタッフ)』なのよ。彼女は顔を激しい嫌悪で歪めながらメニューを指し示した。「これは私たちの識域下に直接作用して、刺激末端に『合図』を送るものだと思うわ。でも、リューポフは彼らの仲間なのかしら」今度は彼女は当惑しているように見えた。彼女が理解している裏に隠された意味が、どうやら手に負えないらしい。「信じられないわ。私は確か、マットは絶対に――」
「リューポフは人間なのかい」彼はすばやく彼女に切り返した。
フレイアは目をしばたたいた。「もちろんよ。でも、どうして」驚きで目が見開かれた。言葉に詰まりながら、彼女はいった。「彼が何か別のものだとでもいうの。どこか他にいるとでも。あなたがいいたいのは、彼がシムかってこと。私には、わから――」
「ぼくは」と彼は穏やかに彼女にいった。「ぼくたちはリューポフを信頼していいと思う。彼が人間でも、そうでなかろうとね」彼が読んだブラッドの著書第十七版に関わらず、彼はそう答えた。その本の二一〇頁に、膨大な量の宣告とともに書かれた一節は、「洗脳担当の精神分析医である、リューポフ博士という名の人間であったものが、いまは、完全に姿を変えて、彼女のまえにあった」というものだった。なんと明白にその文章を思いだせたことか。太陽系、あるいはフォーマルハウト系の誰ひとり、彼の記憶の溝からその行を削除することはできなかったのだ。だが――。
本には何種類もの版があった。そのすべてが正しいものでないことは、はっきりしている。パラワールドの連なりのように、この本もまた、相互に排除しあうのもなのだ。ひとつの版が他の版にとって代わり、より以前の版を完全に駆逐するのだ。ちょうど昔、偉大なソビエトの百科全書が次から次へと書き換えられ、破棄された章が、かつてこの国には『決して存在しなかった』ものとして葬り去られたように。
彼が読んだブラッド博士の著書のすべてが真実を語っているわけではない。とすれば、彼がこの、自分に有罪を宣告しているメニューのなかに見たものも、必ずしも真実である必要はないだろう。
重要な洞察だ、と彼はその考えに非常な衝撃を受けた。メニューの縁を指でもてあそびながら、彼はたったいま理解したことの意味を反芻していた。何が書かれていようが、彼、あるいは誰か他の人間でもいいが、その行為が強制されるわけではないのだ。人がそのいうままに行動したとき、初めてそれは有効性を顕すのだろう。選び取る行為、それはすべて彼の手のなかに――そして関連したすべての人間の手のなかに残されているのだ。たとえ、ことの成否が保証のかぎりではないとしても。
(フィリップ・K・ディック協会会報第八号(一九八五年九月号)より。訳出にあたり、気がつく限り、鈴木聡氏の訳文を参照させていただきました。訳者)
The Philip K. Dick Society, Newsletter, Issue #8
“THE MISSING PAGE OF THE UNTELEPORTED MAN"
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