作家と編集者――ディックとテッド・ホワイトの場合(翻訳エッセイ)

 別の用事で色々と探し物をしていたら過去の翻訳文に混じって出てきたものです。ご興味ある方もいらっしゃると思い、UPしました。


作家と編集者――ディックとテッド・ホワイトの場合


 文と構成 り(PN)


「あなたを合成します」については七七年夏にD・スコット・アペルとケヴィン・L・ブリッグスの二人が、ソノマのPKD宅で行った三回にわたるインタビューに詳しい(八時間分のテープができ、話は「フィネガン通夜祭」から例の『クランク理論』、ベートーヴェンからキキ・ディーにまで及んだそうだ)。


A ……「あなたを合成します」とディズニーランドのことについて話しましょう。ぼくは何年ものあいだ不思議に思ってたんです。つまり、あなたがどのくらいあしげく、かの地のリンカーン記念館に通い、どういう風にしてあれを書いたのだろうかって。


D うん、きみは――たぶん、このことを知らないと思うが――あの本はディズニーがリンカーン・ロボットを造ろうと計画する遥かに以前に書かれたものなんだよ。五〇年代に書かれているんだ。

A あの本はすごいですね。あなたの全著作の中で、あれは、ぼくの一等のお気に入りなんです。キャラクターに妙味と、びっくりするような深みがあるでしょう。それにユーモアも絶大ですしね。

D ぼくはディズニーがリンカーン・シミュラクラムを造ろうと考えるより前に、あの小説を書いたんだ。何年も売ることができなかったけれどね――ぼくは、あれをsfと主流小説を融合する試みのうちに書いたんだ。つまり、あれは完全なサイエンス・フィクションではない。言葉の通常の意味ではね。でも最後にはテッド・ホワイトが――彼はその原稿があることを知っていたのだけれど――買ってくれて、それで雑誌に発表できたんだよ。テッドは、あれに最終章をつけ加えた。なぜかといえば――誰もが知っているように――作家というものは、自分自身の本を書く能力が欠如しているからなんだ。(爆発的な笑い。フィルは完璧な誠実さで、終始無表情を極めている)もしも君に、最良の友人であり、別の章をつけたり、とっかえひっかえしたり、裏返したり、登場人物の名前をみんな変えたりして、君を窮地から救ってくれる情け深い編集者がいなかったら、君は決して上手くことを始めることはできないだろう。もちろん、ぼくはテッド・ホワイトにとても世話になっていた。でも、ぼくは彼に知らしめることにしたのさ。ぼくのとった方法は、ウォルハイムがその本を出版する前に、彼に最終章を除けてくれよ、と頼むことだった。で、ある日、テッド・ホワイトがぼくのところにやって来て、こういったんだ。「ぼくらの本に何が起こったか知ってるかい?」ぼくは答えた。「『ぼくら』の本に何が起こったかは、隅々までよく知っているよ。彼らは『ぼくら』の本から『ぼくら』を除いたんだ」


 ここから話はディックがリンカーン・シミュラクラムを見たときのことに及ぶが、さて、当のテッド・ホワイトは何と答えているか?


 テッド・ホワイト(フォールズ・チャーチ、VA)


 アペルとブリッグスが行ったフィル・ディックとのインタビューが、この会報に物議をかもしだしてからこの方、ぼくは不思議に思っている。一九七九年か八〇年に原稿の形で、ぼくはこのインタビューを読んでいる。そのとき「リンカーン・シミュラクラム」と題してアメージング誌に発表された「あなたを合成します」の出版に関するまったく誤った記述について、とても不愉快な思いをした。この場を借りて、ぼくはその記述を誤りのないものに書き改める努力をしてみる。もっともフィルに感じたぼくの失望は、彼が他界してから先、すっかり消えてなくなっているのだが。

 小説の原題は「家族の一代目」THE FIRST IN YOUR FAMILYといい、フィルが主流小説にのめり込んでいった後に書き上げた初めてのsf小説だと確信している。たしか、一九五八年か六〇年のことで――ひと言でいえば、フィルが六〇年から六四年にかけて奔流のごとく産み出した『モダンな』ディックsfの第一作といえるだろう。あれは唯一の一人称小説で、ひとつどころではなく、多くの問題を抱えていた。そのひとつは、ぼくが買うまで十年も売れ残っていたということだ。それに、あの話には結末がなかった。未解決だったんだよ。

 フィルは自作の結末に、いつも問題を抱えていた。六〇年代の初めに彼が書いたほんの一握りの小説だけが、彼が書いたオリジナルの結末のままで出版された。たとえば「高い城の男」は、あれが出版されたときの形のように、すんなりと終わってはいなかった。一般的にいってフィルは結末を『通り過ぎてどこまでも書いてしまうという『傾向があった』。『そうで』なければ、いつまで経ってもそこに辿り着かないかのどちらかだった。「家族の一代目」の場合も、彼はいくつかの結末の手前で立ち往生していたんだ。

 彼のいうように、その小説については、ぼくも聞き及んでいた。スコット・メレディスの誰かからだ――たぶん、ぼくがあそこで働いていたとき(一九六三年)か、その少しあとのことだと思う。でも、もう思い出せない――アメージング誌の編集になった際に、ぼくはあれを買った。スコットは、あれを放り出せるというんで大喜びしていたよ。なんてったって、それまで十年ものあいだ売れなかったわけだからね。おそらく、フィルのsfものとして唯一売れ残っていたのだろう。ぼくはあれを読んで、問題がどこにあったのかを悟った。それで二つのことをフィルに要求したんだ。題名を変えること(ぼくの発案で「リンカーン・シミュラクラム」に)と、結末を書き加えることだった。

 さて、ことを当時の状況に照らして、以下のことを指摘しなければならないだろう。ぼくは一九六四年にフィルと彼の自宅で会い、彼に「易経」を読まされた(ぞっとするような体験、いまではそういうのが妥当だろう)。ぼくはフィルによって、彼の仕事を知り、もっとも深い理解を示す人物として公に紹介されている。一九六五年か六六年のことだ。彼は「怒りの日」の出だしの五十頁とエサイ共観福音書をぼくに送って寄こし、自分のために、それを仕上げてくれと頼んだ。言い換えれば、そこにいたのは、称賛を惜しまずぼくを敬愛し、かつ、自作の合作者を求めている人間だった(どういう冗談だったか、彼はペンギンブックスにぼくの写真を送り、それをそのまま出版したよ。イギリス版「高い城の男」の裏表紙に『著者の写真』としてね)。

 少しして、ぼくはフィルに電話をかけた。彼はぼくの題名を変えろという提案に何の異存もなく、また、ぼくがあの小説の結末を書けばいいと示唆してきた。ぼくはこんな提案を返した。ぼくが初稿を書いて送るから、リライトしたらいいとね。彼は賛成した。そこでぼくは要点のみをついた形で、最終章の見取図みたいなものを書いたんだ。ぼくはフィルがそれを持て余して拒絶するか、リライトするか、一新することを期待した。でも、彼はそのどれも行わなかった。三語を直して、ぼくに送り返してきたよ。その簡潔性を称賛してね。

 ぼくの知るかぎり、ぼくが「リンカーン・シミュラクラム」を雑誌に載せたとき、あれはフィルにとって満足のいく形だったと思う。ぼくは自分をフィルの友人のひとりとみなしていたので、彼のために、もっと何かをしてやろうとした。ぼくは、あの小説がそれを見た多くの買い手から拒絶されてきたのを知っていた。その中には、間違いなくエーブックス(彼のもともとの出版社)も含まれていた。けれども十年が経ち、いまでは結末もあるので、ぼくはテリー・カーにそのコピーを渡してみた。当時、彼がエース・スペシャルの編集者だったからだ。彼は気に入らず、ドン・ウォルハイムに原稿を渡した――オリジナルを拒絶したのは彼だ――彼はまたそれを断わったよ。だが、ドーブックスに移ったあとで、彼は考えを変えたようだね。というのは、ドーブックスのために彼はあれを買い、三番目の題名「あなたを合成します」――ぼくの結末のないもの――で出版したからだ。

 あの本を見たとき、ぼくはフィルに感謝をした――自分に献上された本を見るのは、いつだって、わくわくするような体験だからね――けれども、ぼくの結末が削除されているのに気づいたとき、彼に感じた感謝の気持は消え失せた。そのわずかあと、七二年の世界sf大会で、ぼくはフィルとばったり出会った――おそらく、あれが、ぼくたちが顔を突き合わせた最後の会合だったと思う――世間話でもするように、ぼくは彼のドーブックス版を突ついてみた。結局、フィルはそれをあのインタビューの形で報告したというわけだ。ぼくは決してあれを『ぼく』らの本とはいわなかった――当時、そんなことは、まったく『考えても』いなかったんだ――結末のことを尋ねたとき、彼は、あのインタビューで語っているようなあけすけな答えを、ぼくに返しはしなかったよ。

 そのかわりに、彼はもごもごと口を動かし、ぼくの書いた結末の削除を決めたのはドン・ウォルハイムだと答えた。「ぼくはただ、彼に協力しただけなんだよ、テッド」と首を振り、穏やかな同情心をぼくに示して、彼はいった。「ぼくらの本に何が起こったかは、隅々までよく知っているよ。彼らは『ぼくらの』本から『ぼくら』を除いたんだ」

 それが起こってから三週間後、ぼくはアイオワで開かれていた第二次宇宙会議で、ドン・ウォルハイムと出会した。談笑しながら、ぼくはどうして君はあの本から結末を除いたのかと尋ねてみた(つまり、この時点では、ぼくは彼がそうしたと思っていたんだ)。ドンはいったよ、フィルがそう決めたのだってね。

 それで、いいかい、たしかにあれは素晴らしい結末ではなかった。小説の残りの文体に適合してさえいなかった。ぼくは決して自分の書いたあれが使われるのを望んではいたわけではない(ぼくはあれを自分自身がさらにリライトすることなんて考えずに使ったんだ。簡単に説明すれば、フィルがあれをぼくに返して寄こしたとき、ぼくは植字の締切に直面していたということだ)。それで、残念ながら、ぼくはあれにゴーサインを出した。ぼくは、おそらくあれが、ぼくたち二人の気まり悪さとして残ることになるんじゃなかろうかと思っていた。ぼくはあれに少し、いや、まったくぼくのエゴを付与しなかった。つまり公には、あれは決してぼくのものではないということだ。

 だが、ぼくはいくらか腹が立った。七二年にフィルがあれに関して正直じゃなかったということに対してだ。そのせいで、ことによると、彼が関連するすべてのことを嫌悪しているんじゃなかろうかと訝り始めた。そして、もしそうだとしたら、どうして彼はひと言も文句をいわなかったのだろうか、とね。アペルとブリッグスが彼と行ったインタビューから、その堪ぐりが事実であったことが良くわかる――そして、つけ加えるなら、状況が、彼のぼくに対する態度に変化を呼び起こした。

 あのインタビューで、ぼくに触れる彼の言葉は、当て擦りにまで下落している。そして、インタビュアーたちは、明白に、彼が提供したぼくのイメージ造りに一役買っている(「爆発的な笑い、云々」)。知っているかぎり、ぼくは彼らに会ったことはないし、プロなのか、そうでないのかといった些細なことさえ知らない。私見では、あのインタビューは、彼の狭量と編集者に対する偏執的なまでの無能さを暴いているにすぎない。

 いま、ぼくにははっきりとわかる。フィルとぼくの友人関係は全面的な変化に出会ったのだと――そのときには気づかなかったが――ぼくが『彼の編集者』になった途端に、それが起こったのだ。ぼくはこれが以前――テリー・カーや、そのまわりの何人か――に起こるのを見ていた。が、いくつかの理由で(無意識的な横柄さだと推測するが)、そいつがぼくに起こることはないと思っていたんだ。ぼくは、フィルと自分が二人してそのことを理解し合っていると信じていた(あと知恵は、ぼくにこう示唆をする。つまりフィルは――活字になった――ぼくに関するおべっかの多くを、決して本気でいったのではない、とね。振り返ると、実際、ぼくはフィルの畏れの対象であったことがわかる。おそらくそのために、彼はあんなに媚びへつらったのだろう)。とにかく、一度ぼくがフィルの編集者になれば、ぼくは、彼との敵対関係に踏み込むことになる。フィルにとって、『すべて』の編集者は敵なのだ。これは、彼の「最良の友人であり、情け深い編集者が、云々」という表現に、はっきりと表われている。フィルは、ぼくたちの多くが作家でもあり、作家の問題に心底同情的であるということに、一度だって気づいてはいないだろう。

 フィルは、ぼくが彼を英雄崇拝視していたときに気づいたよりも、なお一層からいばりをしたし、麻薬と密かな楽しみ双方にともなう不愉快な現場を避ける、どこか臆病な人間だった。ぼくがつけたあの本の結末が気にいらないとさえいえないほどの臆病者だったんだ――特に、ぼくが彼が望むことを何でもしてやろうと、彼に知らせてからは、だ。彼はドーブックス版について、ぼくに真相を話せないくらい臆病者だった。からいばりの方は、あのインタビューに現われている。実際の出来事から五年が経ち、彼は出来事を再話し、押しの強い編集者を、冷ややかな素晴らしい応酬でやり込めたというわけさ。

 だがフィルは、ぼくにひとつの借りがある。もしぼくがスコット・メレディスのファイルからあの小説を引っ張り出し、アメージング誌に載せ、テリー・カーに見せ、彼がドン・ウォルハイムにあれを思い出させなかったとしたら、『いかなる』体裁にせよ、ぼくはあの小説が出版されたとは思えない。そう確信している。敵対者に対するフィルの皮肉にも関わらず、ぼくは彼を良い方向に導いたんだ。

 もしこういっていいのなら、ぼくは、自分の後半生について、あのインタビューでフィルが語ったどんな部分も、それが確認されるまでは疑ってかかった方が良いと考えている、とつけ加えておこう。ぼくはフィルが自分の思ったように、またはおそらく、よりよい話を人に与えるために、事実を再話する傾向があったと思っている。ぼくは自分の体験が特に珍しいものであったとは思わない。


(PKDS会報第五、六号より構成しました)


 こういう文章を読むと、日本人であるわたしはやはり大宰治を思い浮かべてしまう。彼のような人物は、つねに、ある人々にとっては慈悲深く、またある人々にとっては、好い加減で取るに足らない(けれども、才能があるのはやぶさかではない)見掛け上の二面性を持っているのだ。(了)

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