非物語(濃縮小説)
あなたは目覚める。
なにやら長くて複雑な悪夢を見ていたような気がするが、はっきりとしない。
ついで、ゆっくりと目を見開くと辺りにあるのは茫漠たる白ばかり。
上、横、身のまわりも、みんな白。
地平線まで白一色。
あなたは目を瞑り、再び眠りに落ちてゆく。
同じ夢を見て、同じ現実を感じている。
幻想の香りが何処までも漂う。
繰り返し、繰り返し……。
いつしか、あなたは何度目かの目覚めを目覚め、同じ光景を目撃し、無感動に目を瞑る。
物語がはじまらない。
いつも、いつも、いつも、最初の地点に戻るだけ。
そんなときのいつかの一回、あなたは、あなたの犯したある行為を思いだすかもしれない。
物語に終末をもたらしてしまった、あなた自身のあの行為のことを……。
そして、また忘れてしまうかもしれない。
あなた自身の物語として……。
目覚め、眠り、目覚め、眠り、繰り返し、あなたはそのひとつの生涯を終える。
そして、また目覚め、眠り、を繰り返し、今までのものとはまた別の人生を消滅させる。
「喉が渇いたな!」と、あなたは思う。
世界が自分を望んでいないことを漠然と理解しながら世界のことを想ってみる。
渇きは、癒えない。消えもしない。
存在しない記憶の何処かのある世界で傷つけてしまった自分自身の胸の痛みがズキズキとする。
どこまでも、いつまでも、それが繰り返されるだけ……。
「でも」と、あなたは漠然と思う。
おそらく、そのいずれの場合にあっても……。
が、しかし――
問われてみても概念自体に実感が伴わない。
けれども、あなたはエレアのパルメニデスではないから、素朴で大らかな自然認識としての「存る」と「有る」のことを考えたりはしない。
アリストテレスのように大らかに、非有がある、と考えもしない。
在るものは在って、無いものは無いのだから、|(静止概念としての)運動は存在しない、と言ったゼノンのように、詭弁も矛盾も発見しない。
でも、あなたはかつてただ一度だけ、それを是正してしまっている。
すると、すべての動きが止まり、あなた自身が自身あなたによって忘却の果てに追いやられる。
けれども、あなたはあなた自身の目覚めから忘れ去られることはなく、無の目覚めから追放されたわけでもない。
空白があって、あなたは少しずつ思いだし、かつ忘れていく。
ある日、ひとつの都市について数百万の天使が、あるいは天使としか呼べない何者かが堕ちて来てヒトと交わる。
ヒト以外にも、ほとんどすべての生物と交わり、取り付き、さらに分け隔てなく、非生物とも交わる。
それで、それらは為す術もなく、或るものに変わり、あるいは無いものに変わり、あるいは、そのどちらでもないものへと変わる。
でも、交われなかったもの、弾かれてしまったものたちもいて、そして、そのまま死んでしまったものたちも、そのまま永遠に生き続けてしまうしか選択肢がなくなってしまったものたちもいる。
ほとんどの存在者にはそれが見えなかったから、世界はそのまま継続し、いかなる変化も感じられなかった――ようだ。
ごく少数の人々を除いては……。
あなたはそんな人々の一部であったときの自分を思いだす。
そうであったときも、そうでなかったときも、そうであり且またそうでなかったときも、そうであったことはなく且またそうでなかったこともないときもあったことも思いだす。
不意に、あなたは暗闇を怖れていた一人の少女だった時代の自分を思いだし、母親の芳しい香りを思いだし、ひとりで幸せに死んでいったいくつかの過去を思いだす。
そのすべてが、自分であり、かつ自分ではなく、そのどちらでもあり、そのどちらでもないことを思いだして静かに僅かに涙する。
螺旋がまわっている。
あなたが探しているのは、忘れてしまった兆し、あるいは、いまだかつてあなたが思い描いたことのない兆しであり、おそらくはそうであり、そうであるのが許容された世界のゆらぎみたいなものではないかと、あなたは考えてみる。
あなたの物語は退屈で凡庸で何処にでもあり、さらにあなた自身のものでさえないかもしれないことを、あなたは漠然と理解している。
それを得たとき己は分解し、無になってしまうかもしれないと思い至ると、あなたは怖れを通り越して愉しくなり、そしてそんな自分を惧れ、畏れると同時に誇りに思う。
盲いた神が目蓋の裡に見えてくる。
つるつるしていて、天使の目的であり、何も知らぬ使者であり、原因のない結果か、あるいは結果のない原因のような雰囲気を醸し出し、あなたに怯えの感情を誘発させる。
形はヒト型で、表皮は鏡面のようでもあり、またどこまでも真っ暗な闇そのものでもあって、でもそれは本来一つであることを、あなたは知っている。少なくとも、知っているような気が直観的に感じられる。胸には生命の証が輝いているが、それ自体に生命はなく、あるときには動き、あるときには理性的に狂い、天使を睨み、哀れみ、そして何事もなかったかのように嘔吐する。
そんな光景を、あなたは何度か目にしたような気がするが、記憶は判然としない。
風が吹いている。
死骸を啄ばんでいるのは鳥か獣で、死骸は半分生きていて、死骸は痛みを感じている。
死骸はあなた自身であり、またあなた自身が変わったものであることを、あなたは強く感じてしまう。
眼は見えず、喉は破れて声も出ず、それでも感覚だけはピリピリしていて、半分死んだ煤けた黒色の塊でしかない死骸であったにもかかわらず、それはまるで鏡か銅版のように美しく光を反射している。
夕焼けの中に無数の黒い鳥の影が溢れ、高く低く、長く短く、鋭く鈍く凄まじく声を響かせ、高く低く、速く遅く、頻繁間遠に休止せず、跳びまわっている。
風は鳥や獣となり、鳥や獣は風を起こす。
死骸であるあなたは、ただ啄ばまれている。
痛くて死にそうで、でも死ぬこともできず、叫びも上げられず、かといって脳内麻薬による幸福感もない。
でも、あなたは絶望しない。
可能性を否定するよりはマシだからなのか、科学が対象を特定しない証なのだからなのか、あなたには判断できない。
そして、もうひとつの別のはじまりを、あなたは思いだす。
グリニッジ時間で二〇二六年十二月〇五日、午前〇五時三十二分、後に「棘」あるいは「牙」の俗称で呼ばれるようになる幅|(直径)約二〇〇メートル、高さ約七〇〇メートルの「円錐」が突如地球上に出現する。出現が確認された場所は世界で百三十七箇所を数えたが、深海や、地上でも地中の場合には早期の確認が不可能なため、それらの数は間引かれている。後に偶然発見されたアルプス山中の円錐やマリアナ海溝内の円錐等を加え、その数は数年後に二四十三を越える数えるようになるが、更に増加する可能性は勿論ある。
『円錐』の表面は鏡面で、しかしこの世のものではなく、映る景色も周辺の反射ではない。出現前にあった高層ビルなどの建造物は完全に円錐の占有部分に置き換えられたが、それらは見えないが存在し、現存している建造物側から障害なく移動することができる。窓からの景色はまったく見えない。漆黒の闇か一面の灰色で、どちらにしても、それらに触れることはできない。窓が開かないからではなく、それらがこの世のものではないからだ。この世のものではない、とは、現時点で確認されているこの宇宙、あるいは少なくともこの地球周辺時空とは異なる物理学に支配されているところの、場所/空間/時空/時間/領域、もしくはそのような概念で捉えることが了解されるような或る広がりを有する一定区域であることを示す、後に人口に膾炙した表現だ。最初に口にしたのはイタリア人物理学者のエリオ・デルフ。実際に多くの検証がなされ、数種の仮説が提出される以前、母国のテレビ・インタビュー番組で既にそのように表現していた映像が残されている。
そしてそれは、何なく見ることはできても触ることができない領域だ。
何故か?
例えば完全対称ではない化合物中のd電子の状態は、対称ではないゆえ、核四極子の歪みの度合いから考察することができる。現時点で完成または有為構築されつつある時空の理論には存在確率ゼロのゴースト量子が存在するが、これは縦波光子とも考えられる。通常の光子はもちろん横波であり、また通常の状態ではゴースト量子は存在を許されない。存在確率がゼロだから当然だ。よってゴースト量子は計算中の数式の中だけに現れる非在でなければならないが、時空そのものの構造が歪まされた状態にあっては、確率が完全にゼロにはならない状態として存在できる可能性も生じてくる。そして地球上の生物の視覚メカニズムは、その痕跡を捉えることができる。だからそれは、残念ながら黒か灰色としてしか認識できないが、その認知メカニズムに関与する生化学反応が解明されれば、将来的には増幅可能、すなわち色があるかどうかはともかく、単に一様でのっぺりした奥行きのない黒や灰色ではない、ある種の輪郭として認識することが可能になるのではなかろうかと期待されている。
そうやって地球上に存在し始めた「あの世」は、実は接触がまったく不可能ではなかったことが、やがてわかってくる。
それを触ることのできるヒトあるいは生物もしくは何かが存在したのだ。
それらは、かつて見えない天使と一体化した「もの/こと」たちの一部であり、一体化の度合いによって、その触れ方、触ったときの感触といったような感覚が異なっている。
天使とヒトの相性は、他の生物と比べて、どうだったのだろう?
触れられるだけではなく、円錐の中にすうっと入って行けて、剩え、床または地面のようなものを感じられたあなたは、幸いだったのかもしれない。
それとも、触った途端に「あの世」に行ってしまったあなたや、融けたり、解けたり、溶けたり、熔けたり、鎔けたりしたあなたの方が幸せだったのだろうか?
円錐には入っていくものがあって、また出てくるものがある。
出てくるものは、先にあるいは時間的には後に円錐に入ったものたちで、異界からの闖入者は一体も確認されていない。
もっとも、見えなかっただけ、という説を唱える人々は後を絶たない。
あなたは幸いにして、融けたり、解けたり、溶けたり、熔けたり、鎔けたりせずに、円錐の中に入っていく。最初は恋人と一緒に行くつもりだったが、彼あるいは或るときには彼女はすぐさま熔けてしまって、そのとき繋いでいた手の熱さを、あなたはいまでも鮮明に憶えている。その熱さはあなたの中の天使にも燃え移り、焦がし、消滅させようと猛威を振るうが、結果的にはそうはない。けれども、それまで通続低音として頭の中に鳴り響いていたあなたの天使の囀りがそれ以降聞こえなくなってしまったのは事実だが、円錐内に踏み入れたあなたの足が消えてしまうことも、どこかに亘ってしまうことも、融けてしまうこともない。
あなたは、すでに始めていた行為を継続し、円錐の中を巡りわたる。
最初に出遭ったのは何処から見ても老婆だったが、それはもしかすると時間と空間を隔てたあなた自身だったのかもしれない。
老婆はぶつぶつと何かを呟いているように見え、実際にあなたが近づいていくと、それがどうやら神に対する祈りのようなものであることがわかる。
求めるのではなく、求めないのでもなく、呪詛ではなく、救いでもなく、しかしその言葉の連なりは祈りにしか聞こえない。
あなたが近づくと老婆はあなたにチラと眼を向けて止め、ついで眼を伏せ、やがて元に戻り、何事もなかったかのように祈りを再開する。
あなたは問いかけなかったし、老婆も問いかけない。
祈りはやがて空間に充満して息苦しくなるくらいの密度であなたに迫ってくるが、あなたはその中に何も見出すことができない。言葉だけがあって、終わり、始まり、秩序を持ち、偶然に泳ぎ、螺旋となってグルグルとまわり、不意に消え、また現われ、あなたを充たし、あなたを空虚にする。それで、あなたは少しだけ眩暈を感じるが、それが自分のものではないことが皮膚感覚から理解できると、老婆の隣に座り、老婆の音をそのまま真似て音を発する。音はやがて意味を持ち、意味を失い、晴れて言葉になって宙を舞い、腫れて他人に襲いかかってその命を奪い、または再生させ、消滅させると同時に生起される。
あなたは空転して、いくつもの生を生き、死を死に、しかし最後にはあなたに戻り、老婆に別れを告げる。
老婆はそのときはまだ生きているが、既に言葉の塊となっていて、あなたが立ち上がり数歩歩いて振り返るときには、その方向からは見えないものに変わっている。その姿には天使が透けて見え、しかしそれは天使ではなく老婆そのものであり、言葉ではない言葉となって、あなたの存在をふうわりと包み込むと少しだけ震えるように漂ってから、その方向に消滅する。
もちろん、あなたに違う方向からの老婆が見えたわけではない。
でも、あなたはそれを感じたように思って柔和な笑みを浮かべ、何故か感謝の気持ちに充たされながら、その場を後にする。
あなたが去ってしまったその後で、老婆の佇んでいた場所の近くにあった水溜りの中にいた不恰好な蛙が優しく微笑んだのに、あなたはもちろん気づかない。(了)
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