天使が降った朝(恋愛)

 降ってきたのは天使だ。

 街に積もり、山に積もり、家に積もり、丘に積もり、でも海や川には積もらない。

 見えていたのは、おそらく璃月(りづき)ひとりだけ。

 他に空を見上げている人はいない。


 夢にしてしまえばいい。

 そう思うことにする。

 正しいとか、間違っているとか、そういった次元の話ではない。

 ただ、天使が降ってきただけ。


 空を見上げて、ぽかんと口を開けて、声は出てこなくて……。

 目で追って、肌で感じて、透明になって……。

 やがて街中、天使だらけになって……。

 それから「寒い!」と感じるまで視線が風景に溶け込んでいる。


 紅茶を飲みながら、二階の部屋から眺めてみる。

 隣のアパートの一階の屋根にも降り積もっていて、折り重なっていて……。

 綺麗というよりは、安らかな寝顔をしていて、でも痛くって……。

 そして翌日には消えてしまう。


 日陰には、わずかに痕跡が遺っていたのだけれど……。


 しばらく経ってから海瑠(かいる)にその話をする。

「ふうん」と海瑠が言葉を返す。

 海瑠は滅多にお愛想を口にしない。

 それから久しぶりに食事をして、旧いジャズの話をして、別々に帰る。


 四十五分くらいの長い夜の時間を歩きながら思い出している。

 海瑠とのセックスのことを……。

 最初に誘ったのは、もちろん璃月で、興味本位が第一の理由で……。

 それから数年間、泣いたり、怒ったり、空っぽになったり、笑ったりを繰り返す。


 海瑠は弟だ。本当の弟。

 母親が短時間に複数回浮気して出来た二精子性一卵性双生児、

 とか/ または、

 二卵性双生児というわけではない。

 でも機能はあったし、上手いかどうかはわかるはずもないけれど……。


 いつも璃月から誘った?

 海瑠が嫌がったのは最初の二回目だけで、でも細くて生っ白い割には豪快な腕力で押し返そうとはしない。

 終わってからは、いつも面倒臭そうに、のろのろとしていたっけ……。

 でもそれは海瑠の癖で今だって面倒臭そうにしている。


 誰かが、横にいたり、後ろにいたり、上にいたり……。

 視界の中に入ってくることは滅多になくて……。

 でも、それを憶えていないだけだと知っている。


 振り返っても誰もいない。

 見られているわけではない。

 通り越して行ったり、ただそこにじっとしていたりして……。

 後頭部と肩に遺る緩い鈍痛だけが証拠みたいだ。


 もちろん、いくらなんでも、ちょっとヤバイだろう、と思った時期もあって、

 上手くは説明できないけれど……。

 でも頭の中で誰かが喋ったり、テレビの登場人物から指令を与えられたりしたことはないので、

 かつての本物さんに、

「璃月の場合は大丈夫だよ!」

 と、太鼓判を押される。


 それから、そんな感じは、ゆるゆると続いたり、消えたりしていたのだけれど……。

 まさか天使が降ってくるとは思わなかったよ!

 そのための準備だったのかもしれない、と後になってから意味づけしたり、こじつけてみたりもしたのだけれど……。

 道端に少しだけ遺っていた天使から少しだけ痛みが消えている。


 ……で、雨!


 透明で薄く引き延ばされたような感触。

 窓を開けて手で受け止めると、ずっしりと重くて、ねとついてはいなくて、鈴の音のようにさらっと下に堕ちていって……。

「対かしら!」と思う。


 翌日、海瑠と構内ですれ違う。

 その後、やたら眠くて講義中に寝てしまう。

 どうやら夢を見ていたようなのだけれど、夢で見た内容は全然憶えていなくて……。

 でも天使には薄い色がついている!


 亜鉛のせいじゃないけど。

 なんだかいつもいつも賑やかにさんざめいている学食で食べた食事に味がして。

 すると、それまで無表情だった天井の天使が近づいてきて……。


 祝福の笑みを浮かべるのをはっきりと感じる。(了)

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