器物損壊(SFミステリ)

「こりゃ酷いな!」

 呟いてみる。

 窓から壁から一面、真っ黒だ。

 部屋の中央に若い男が仰向けになって倒れている。滅多刺しにされた胸や腹から流れ出た血がどす黒く変色し、何処から見ても高級そうなペルシャ絨毯に、じっとりと染みついている。

「こりゃ酷いな!」

 もう一度呟く。

 驚きの表情を浮かべてカッと見開かれたその両眼が最後に見た相手は、いったいどんな相貌をしていたのだろう。

「殺人としか思えないな」

 すると――

「今の法律では器物損壊にしかなりませんよ。もちろん、そんなことは百もご承知でしょうがね」

 床の絨毯にへばりつくようにして状況検分している鑑識課員の一人、主任のMが言う。

 事件の内容にもよるが、ここ数年、顔を合わせることが多い人物だ。たぶんウマも合うのだろう。

「培養槽(ヴァット)生まれの彼らまたは彼女たちには人格は認められていませんから」

 溜息を吐く。

「新聞発表かなんかでここの惨状を知ったとき、青い顔をして怒鳴り込んでくるのは、動物愛護団体くらいのものですよ」

 Mを見て、

「まったくだな。ふうむ、……だが、その方が怖いか?」

「場合によってはね」

 会話が途切れる。

 聞こえてくるのはMを筆頭メンバーとする鑑識課員たちが作業に専念する音ばかり。よって、こちらも押し黙って現場検証に戻ることにする。

 が、その前に一言。

「こんなに固まってても大丈夫なのかい?」

「結果は出して見なければわかりませんが、作業自体に、ぬかりはありませんよ」

 Mの言葉に嘘はない。


 事件の概要は以下だ。

 メイフル・タイム社の人造人間=青年モデルFK-28型の一体が事故を起こす。人間が犯した罪でいえば過失致死で若い女性の一人が命を落とす。車による事故死だ。女性の関係者にとってみれば、それは無残で、かけがえのない、たった一つの命が天に召されたわけだが、世間一般に良くある不幸な事故が一件起きただけだ、とも認識できる。普通の考え方では事件性はない……はずだ。

 が、娘を死に至らしめられた双親の一人は、そうは考えなかったようだ。

 取調べを受け、その後、とりあえず所有者の元へ返された過失致死対象物の部屋に侵入し、当該モデルを破壊する。その破壊方法は人間で言えば扼殺で、対象物は物凄い力で首を絞められたようだ。その後の検証で頚椎の一部まで歪ませていたことがわかる。常識的には考え難い怪力といえたが、前例が皆無というわけでもない。


 その行為は、もちろん犯罪だ。

 他人の住居に侵入し、その持ち物を無断で破壊したのだから……。

 犯人は、犯行直後に自宅に連絡を入れ、

「捜さないでほしい!」

とだけ家族の一人=パートナーに伝えると行方を晦ませる|(この家族には他に子供がいない)。翌日になっても犯人の所在は掴めない。

 事件がそれだけのことであれば、若干複雑な事情の器物損壊事件として処理され、了ったはずだ。捜査関係者の誰もが、そう考えている。第二の器物損壊事件が発生するまではだが……。


 FK-28型はモデルだ。

 それは文字通りモデルの名称であって同じヴァットで培養された同型が二〇体ある|(初期不良破棄品二体を除く)。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、といっては不謹慎だが、袈裟は坊主本人ではないのに、想いによって憎まれる。

 とすると、同型モデルは……。


 最初の器物損壊事件から十日後、第二の犯行が発見される。

 今度は路上での損壊だ。

 どうやって調べたのか不明だが、損壊対象物は所有者を装った犯人に夜間、スマートフォンで呼び出され、所有者宅を出てしばらく行ったところで撲殺される。

 原形が判らなくなるほど、頭の先から足の爪先までの全体が拳および大型の鈍器で殴られている。

 もっとも彼らモデルの特定は専門家には容易い。だから、すぐに身元が判明する。

 判らなかったのは事件の真相だ。

 その時点ではまだ誰一人、事件の真相に気づていない。


 ヴァット・クローンの寿命は短い。

 製品によって差はあるが、最長でも六年だ。また、男女型ともに生殖機能は与えられていない。放っておけば、その年月でただ滅ぶ。よって好き好んで、その人工生命を奪おうとするものは稀だ。

 それをまた、わざわざ……。

 第三の器物損壊事件が発生したとき、ようやく事の真相に気づいた捜査関係者全員の胸に、そんな思いが去来する。まるで鉛の弾を打ち込まれたように全員の胸が重くなる。どうにもやりきれないような、そんな湿った空気が、現在に至るまで垂れ込めている。


 第三の器物損壊の方法は薬殺。

 犯人は考えられるすべての方法でFK-28型を破壊したいらしい。

 第三の損壊ではFK-28型の顔面は傷つけられていない。犯人はFK-28型の顔を美しいまま遺したかったのだ。インターネットに寄せた犯行声明文に花を添えるために……。


 世論は沸騰する。

 さまざまな意見が入り乱れる。

 憶測と未確認情報が飛び交って、世の中に常に存在するいくつもの深刻な問題が一時忘れ去られたかのようだ。

 問題点はいくつかあったが、FK-28型が贅沢品に属する商品であったことも、状況を掻きまわしたといえる。

 科学的というよりは一般論だが、地球温暖化による都市郊外および旧都市部の砂漠化や環境ホルモン由来の一部の海の死滅、開発途上国の発展による大気汚染の増大や食品異物混入事件等が原因の一部となり、世界の人口にアンバランスが生じている。

 ヴァット・クローンは元々いわゆる先進国の労働人口確保のために開発されたモノだ。その目的自体は一応達成されたが、いつの時代にもサラブレットを求めるものはいるらしい。労働力の補充という本来の目的から分岐した美および洗練を目指すヴァット・クローンが上市されるまでに、それほどの時間はかからなかい。培養技術も年を追う毎に確実にまた格段に進歩している。

 いくつもの意味で期は熟していたのだ!


 労働用クローンと愛玩&鑑賞用クローンの基本構造は変わらない。

 どちらにも所有者の命令に従うような生化学的回路が埋め込まれている。人によっては服従回路と揶揄される生理化学的システムだ。

 もっともそれは盲目的な性質のシステムではなく、少なくとも設計上は、ヴァット・クローンを殺人その他犯罪の手先に利用することは不可能だ。

 また、いわゆる差別による虐めや所有者による虐待に対する生体SOS発信機も組み込まれている。対象に不快感を生じさせる代謝物質のモニタリングを、その基礎とする発信機だ。

 が、人間で言えば殺害に相当する重度損壊、すなわち生体機能を停止に至らしめる他者による犯罪行為が絶対に不可能となっているわけではない。この事件が最初に物語っていたことも、それだ。


 第四の損壊――すなわちこの現場――における犯行はネット上に犯行声明文が寄せられる以前に計画されたことのようだ。

 世間が関心を持ち、議論が沸騰するまさにそのタイミングで引き起こされている。

 しかし犯人の思惑とは異なり、この事件が一般報道されるには若干の時間がかかりそうだ。

 目を見開いて生体活動を停止している青年体ヴァット・クローン。その特定呼称名は「タカシ」という。タカシは非正規の販売ルートで現在の所有者の許へと流れ着いたと判明する。言葉を濁さずより正確に表現すれば、タカシは正規の商用ルートでは手に入れることができない特別愛玩仕様体だ。

 タカシの所有者Aは、タカシを知恵遅れ状態で発注したらしい。同時にFK-28型として出来得る限りの美も与えている。法医学的意味では違ってくるかもしれないが、美しい死体などには滅多にお目にかかれない。況してや刺殺体であれば尚更だ。

 けれども、タカシは美しい。まるで人間ではないみたいに……。


 第四の犯行は結局――予想通り――即日発表が見送られることになる。

 非正規品という異常性もある。所有者が大物政治家だったことも要因のひとつだ。

 メイフル・タイム社と監督省庁の癒着問題までもが浮かび上がる。が、即日発表が見送られた主たる理由は犯人特定の可能性と逃亡の可能性との秤量にある。

 何故、犯人は非正規ルートのヴァット・クローンを知っていたのか? 

 捜査線上に浮かび上がってきたその疑問は、事件の背後に潜む、もう一つの影も引き寄せる。


「間違いないようです」

 鑑識主任のMから連絡が入ったのは現場検証から七日後だ。

「血液サンプルの分析にしては時間が掛かり過ぎるじゃないか?」

 知っていながら訊いてみる。

 メイフル・タイム社の防壁が思いの他堅牢だったのだろう。こちらは、その件には触れさせてもらえない。門前払いだ。が、どこにだって仲間はいるのだろう。蛇の道は蛇ともいう。企業の研究者すべてに倫理の持ち合わせがないわけではない。


 第四の損壊時、犯人自身も傷を負う。

 FK-28型から流れ出た血と犯人のそれが交ざり合い、やがて異常な硬化反応を起こす。

 もちろん、同一犯ではない可能性もある。

 世間にはヴァット・クローンを憎む組織&結社が複数存在したし、犯人がそれら団体の一つあるいは複数とコンタクトを取ったという可能性が否定されたわけでもない。

 況してや今回の事件は、この先何百年間も呼び覚まさずに済んだかもしれない人造人間の同型憎悪なる概念までさえ呼び覚ましてしまったのだから……。

 が、しかし――


「つまり、予想通りだったわけか? 犯人は知らないんだな」

 口の中でモゴモゴと呟く。

「記憶を抹消されたのでしょう。親の役割を宛がわれたとき、所有者に……」

 一瞬の間。

「人の情が不幸を呼んだともいえる事件です」

「別の意味で自分の仲間を殺していたわけか? いや、毀し合っていた……」

 するとMは、Dさん、とわたしの名前を強く呼び、

「早く犯人を捕まえてください。専門家でしょう? 目星は付いていますよね」

 そう言う。 

「了解した。これからすぐ出かける!」

 警察専用のスマートフォンを取り出して部下に連絡を入れる。

「動きはないか?」

 ない、と言う返事だった。

「容疑が固まった。これから、そちらに向かう。くれぐれも逃がさないでくれよ!」

 言わずもがなのことを口にして路上停車していた覆面パトカーのアクセルを踏みつける。

 心の中は更に真っ暗だ。(了)

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