画(濃縮小説)

 画を見ることがある。

 例えば会社からの帰り道、見なれた商店道で、ビールやコーラの自動販売機、郵便ポスト、通り過ぎる車や自転車などが重なる背景の中に痩せぎすの婦人が姿がぽわっと浮かぶ。金色、いわゆる黄金色のガウンを身に纏い、頭には花輪――だろうと思う――を被り、掲げた右手には球を、下げた左手には紐かおそらく蛇を巻きつかせている画だ。ふうわりとした感じで、それは背景とも馴染んでいるが、いかにも遠い、遠くて、詳細がはっきりしない。それで若干浮いている感じがして目を凝らすのだが、するとますます鮮明さが失われ、近づけば近づくほど画としての距離が遠ざかっていく。迫力が消えてしまうといえば良いか。そのうち二重露光のように画と背景の婦人の姿が段々とずれてゆき、大きさを入れ替えながら入れ替わり、日常の風景が戻ってくる。戻ってきたときにはすでに画は消えていて、入れ替わった本物の――というか実在の――婦人の姿は、八百屋のおばさんや、孫を連れたお婆さんや、小説家の夫人の姿に入れ替わる。入れ替わった婦人の像は、いかにも庶民の一員だという雰囲気を醸し出している場合もあれば、どうしてここに紛れ込んだのかと摩訶不思議な感覚に瞬時囚われてしまうような、貴族然とした身なりの場合もある。

 いつか調べものをしているとき見た画かもしれなかったが、はっきりした記憶は――そのときも、その後思い返してみたときにも――いつだって蘇ってこない。

 またときには別のイメージの画を見ることもある。

 春夏秋冬関係なく氷のイメージが浮かぶことが多い。

 しかし氷といっても、いわゆる南極大陸を埋め尽くすような氷そのものではなく、ウィスキー・グラスに入った複数個の氷のイメージだ。それが最初は、通常の大きさで普通の距離感で感じられが、グラスが遠くにある場合には本物とはいささか異なってきて、見えるはずがないグラス表面の凝結水蒸気の汗が見え、氷以外の内容物として、水、透明な場合にはジン、琥珀色の液体の場合はウィスキー等が入っているのが感じられる。その瞬間、咽の渇きを覚えることもあるが、いつもではなく、また氷が崩れるときに発するカランという音が聞こえるわけでもない。そのうちグラス画は緩やかに消えて、実在の何物かと入れ替わる。水からの連想かもしれないが、ある夜、魚に変わったときは笑ってしまう。蝶に変わったこともある。見ている人間の意識に連動するというなら、それはただ罪のない幻視といって良いだろう。

 が、あのときは自分でも怖さを感じている。

 婦人の画の話に戻るわけだが、大抵の場合、その画のご婦人は、昔風の、どちらかといえば西欧風の姿形をしていることが多い。けれども、そのとき見た婦人は明らかに男だ。いや、いい方が可笑しいか。いつものように婦人と思い込んでいた目を凝らしてみたところ、その画が急速にこちらに近づき、黒い斑の入った白衣を身に纏い、掲げた手には酒盃を、下げた手には剣を上向きに握っている年老いた男の姿に変わったのだ。背景にはテーブルがあり、辞書のようなものが載っていると感じられたが、しかしそのテーブルは壊されていて、辞書らしきものも地面に投げ出されている。男は頭巾のような被りものをしていて、その陰となっていて良く見えなかったのだが、どうやら右目に光がない。左目もあらぬ方向を向いている。どうやら盲いているらしい。

 それに気づいて何故か心の中にすごく厭な気持ちがしたのだが、やがてある事実に思い至る。その人物は自分なのだ。するとそう考える間もなく、その人物が近づいて来る。

 ああ、あれがそうなのか。

 自身の脳内で自分自身にそう告げている声が聞こえる。もちろん理性はそれがただの幻視なのだと主張するが……。ありきたりな解釈でいえば仕事の疲れか、または昔の症候が再発したかのどちらかだろうと判定されようた。

 が、しかし――(了)

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