絵かきさんと一等最後の絵(童話)
年よりの絵かきさんは、だんだんと目が見えなくなっていくのを感じていました。
「わたしはいままで、たくさんのものをかいてきた。森の風景や湖のさざなみ、こおるように冷たい月の光」
絵かきさんはつぶやきました。
「それに、たのしげに朝の唄を歌う鳥たちや、森のうさぎたち。あっという間に見すごしてしまいそうな昆虫たちも、たくさんかいた。……それなのに、わたしはもう、絵がかけなくなってしまうのか? いまだって、わたしの目は、ぼうっとしてはっきりものを見ることができない。あの窓の向こうにあるリンゴの木だって、いまのわたしには、ただぼんやりとした、影にすぎないのだ」
絵かきさんは、頭をかかえて、考えこんでしまいました。
「こんどかく絵は、きっと、わたしの最後の絵になるだろう。いったい何をかいたらよいのやら……」
絵かきさんの目が、ふと、壁にかけてある、あやつり人形のところでとまりました。
「そうだ! あの人形の絵をかこう。うんとかわいく飾りつけをして、わたしにできるかぎり、ていねいに、絵の具をたっぷりと使ってかいてみよう」
絵かきさんは、カンバスを動かすと、いつも使っている古ぼけてはいるものの、きれいに洗ってあるふでをとりあげ、あやつり人形をかきはじめました。
それから三日三晩、絵かきさんは、たべるものもたべずに、いっしょうけんめい、人形の絵をかき続けました。そして、一等最後の胸のリボンをかき終えると、すっかりクタクタになってしまい、そのままぐっすりと、眠りこんでしまったのでした。
絵かきさんが目をさましたのは、次の日も、お昼すぎになってからのことでした。
「さて、わたしのかいた絵を、明るいお日さまの下で、見てみることにしよう」
そういって、絵かきさんは、はっきり目を開いてみようとしました。ところが、いくらまぶたをあげ下げしてみても、絵かきさんの目には、何も映ってはきません。絵かきさんの目にできることといったら、ただ明るさを感じることだけになっていたのです。
「なんてことだ!」
絵かきさんは、ひっそりとなげきました。
「わたしは、わたしが絵をかくようになってから、一等すばらしい絵をかきあげたはずなのに、それを、自分の目で見ることさえできないとは……」
絵かきさんはがっかりして、
「ホッ」
と、大きなため息をつきました。すると、
「ねえ、絵かきさん、そんなにがっかりしないで下さい!」
どこからか、声が聞こえてきたのです。
絵かきさんは、びっくりしてしまいました。自分のほかに、だれも住んでいるはずのない小屋の中に、人の声がするなんて……。絵かきさんはじっと耳をすませて、声のした方を、探ってみました。
「あたしは、あたしなんですよ、絵かきさん。あなたにかいてもらった、あやつりにんぎょうの絵なのです」
声は、絵かきさんのカンバスから聞こえてきたのでした
「おお、それでは、わたしのかいた絵が、命(いのち)を持ったということなのか? わたしのかいた、最後の絵が」
絵かきさんは、ただ、おどろきながらいいました。
「ええ、そうなのです。それに、そればかりではありません。あたしは……」
というと、声のしたカンバスのところでパリパリという音が、聞こえてきました。
「……あたしは、絵からぬけだして、自由に、絵かきさんのお世話をすることもできるのですよ」
そういうがはやいか、カンバスから抜けだした、あやつり人形の絵は、とてもやわらかくて、あたたかな手を、絵かきさんの手の上にかさねました。
「おお、なんということだ!」
絵かきさんは、見えない目のことを、少しも気にかけずに、とびだした人形の絵の手を、きつくにぎりかえしました。
もしかしたら、あんまり一生けんめいに絵をかいたので、神さまが、絵かきさんのやさしい心を半分、人形の絵に、あたえてくれたのかもしれません。
それとも神さまは、なくした絵かきさんの目のかわりに、心の目を開かせてくれたのでしょうか?
「絵かきのおじいさん!」
「絵かきさん!」
「じいさん!」
いったい、どうしたことなのでしょう。絵かきさんのまわりから、身のまわりから、ありとあらゆる声が聞こえてきたのです。
「あたしとおんなじ人形が、あたしより美人だなんて、ちょっとしゃくだけど、絵かきさん、いい絵をありがとう」
モデルになった、壁つりかけの、あやつり人形がいいました。
「ボクたちは、絵かきさんの絵ができあがることだけが、たのしみだったんだ」
いつも小屋のかたすみで、チュウチュウないていたネズミたちが、絵かきさんに言葉をささげます。
「じいさん。こんどは、ありたけうまい実をならすから、たくさんたべて、元気をつけてくれよ」
窓の外のリンゴの木も、絵かきさんに語りかけます。
「ああ、みんな、……わたしはなんて、しあわせものなのだ!」
絵かきさんは、こんどはうれしさのために、
「ホッ」
と、大きくため息をつくと、元気よくベッドから起きあがりました。絵かきさんのかたわらで、人間になった人形の絵はいいました。
「きょうの夕食はシチューよ。デザートには、もぎたてのリンゴ!」
小屋の中では、今まで絵かきさんに描(えが)かれた、すべての絵たちもいっしょに、やんや、のかっさいがまき起こりました。(了)
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