捨てられた人形(童話)
目覚めるとクマタンはひとりでした。
いつもの夜の賑やかさもなく、おもちゃ箱はひっそり静まりかえっていました。
「みんな、どこへ行ったんだろう」
クマタンは思いました。
真夜中のお祭り。それはおもちゃにたちとって楽しい一時でした。男の子のおもちゃたちは、そこで昼間の出来事を話すのです。
(今日、ぼくは最初に遊んでもらったよ)
(今日は、三回も王様ごっこをしたんだ)
(お隣のユミちゃんが看護婦さんで、わたし、傷の手当てをしてもらったの)
遊んでもらったおもちゃたちの誇らしげな声が響きます。
また、その日は遊んでもらえなかったおもちゃたちがクシュンとしていると、いままで得意げだったおもちゃたちは、すぐに慰めの言葉をかけるのです。
『大丈夫、嫌われたんじゃないってば。きっと明日はキミの番だよ』
けれどもクマタンは知っていました。おもちゃ箱から出て行ったきり、二度と姿を現さないおもちゃのいることを。そして、おもちゃ箱の中にいてでさえ、男の子に取り上げられる望みのないおもちゃがいることを……
打ちひしがれたそのおもちゃは仲間たちの喧騒を疎ましく思い、次第しだいに自分の殻の中に閉じこもっていくのです。
クマタンは明かりを求めて彷徨いました。足に触れる床はひんやりと冷たく、心なしかクマタンをゾクッとさせました。
「どっちへ行けばいいの。男の子はどこなの」
クマタンは小さく呟きました。
「ボクは迷子になったの。それとも悪い夢を見ているだけなの」
クマタンの声は立てる先から闇が喰べてしまいました。
暗闇に目が慣れるまでに、一体どのくらいの時間が過ぎたのでしょう?
クマタンはぐるりとあたり見渡すと、闇の中に鋭く光る何かを見つけました。足元に注意しながら、その光の源へと、ソロソロと近づいていきます。鋭い光を放つ真鋳色のそのものはドアノブでした。
「あれっ、この傷は」
ドアはクマタンに見覚えのあるものでした。懐かしい男の子の部屋。男の子に抱かれていっしょにテレビを見た後で、「もう、寝なさい>」というお母さんの声とともに戻っていった部屋。その部屋のドアがクマタンの前にあったのでした。
「入ってみよう」
クマタンはノブを掴むと、恐る恐るドアを開いてみました。クマタンは仲間たちの顔が見たいと思いました。クマタンは「こんにちは」 を願ったのでした。クマタンが欲しいのは、いつでもどこでも出会いの言葉でした。
クマタンは部屋の中をのぞいて見ました。
冷たく青白い光にぼおっとかすむ風景。部屋は前いた所と同じく冷たく暗く、ただ空っぽでした。
「ボクは捨てられたんだ!」
クマタンは気づかず叫んでいました。クマタンには信じられませんでした。けれども一旦心の中に広がったその重苦しい気持ちはクマタンがいくら顔を背けても目の前をチラチラ過ぎり、心の中の他の気持ちをすべて追い払うようにブクブクと膨らんでいきました。
クマタンの目から大粒の涙が溢れ出しました。半分千切れた耳や、大鋸屑の飛び出した手や足の付け根が、思い出したように急に、ちくちくと痛みはじめました。
「やあ、ついに来たね。こわれものくん」
クマタンが部屋の隅に力なくくずおれると、後ろから声がしました。
「そのうちに来るんじゃないかと思っていたよ」
「だれ!」
振り返るクマタンが目にしたものは、片腕のもげたロボットでした。鼻がちぎれ、歩くたびに鉄の軋む音がします。
「こっちへおいでよ、お仲間さん。キミの友だちがいるから」
すっとんきょうにラッパがいいました。
ロボットの手招きに応じて、クマタンが部屋を抜けると、そこには四体のおもちゃがありました。喋ると醜く口を歪めるプロペラのない飛行機。どう吹いても外れた音しか出ない、ひしゃげたラッパ。荷台が半分引きちぎれ、後輪ホイールのないトラック。そして、黄色く汚れた白ブロックの宇宙船でした。
「ようこそ。だがキミには悲しんでいる時間はない」
五体のおもちゃのリーダーらしく、トラックがいいました。ちらりとクマタンを見つめます。
「そうとも、我々はようやくひとつの結論に辿り着いたところなのだ」
トラックの目の動きを追いかけながら、ロボットが話しに加わります。
「おまいさんはもう、あたり前の方法では、元いた明るい世界へは戻れない」
甲高くラッパがいいました。
「クマタン、キミは不思議に思わなかったかね。ちっぽけな人形でしかないキミが、どうして部屋のドアを開けられたかを」
飛行機が責めるように大声を出しました。
「僕たちは、この世界に閉じ込められているんだ。ここは、僕たちの心の中であると同時に、僕たちの元の持ち主である男の子の心の中でもあるんだ。だからクマタン、キミがさっき入った部屋の中には誰もいない。何故なら、あそこは本来、僕たちがいるべき男の子の心の空間で、しかも男の子は僕たちのことを、すっかり忘れてしまっているのだからね」
隙間だらけのブロックをぬめぬめと光らせながら宇宙船がいいました。
「我々の会議室に案内しよう」
目玉をギロリと動かし、ロボットは胸のライトを点け、クマタンと四体の仲間たちに道を示しました。
組木細工の扉を指示通りに開けると眩い光がクマタンの目に飛び込みました。それは、窓ガラスを通して弱められてはいるものの、まごうことない本物の太陽の光でした。
「こちらへ」
トラックが深々とソファに身を沈めると、他のものたちもテーブルを囲んで、それぞれのソファに腰かけました。クマタンひとりがウロウロとしています。
「窓の外を眺めてみたまえ」
トラックがいい、クマタンはそれに従いました。窓は四角いビルの向かって左上側にあるらしく、本来なら視界の隅まで広がる緑の野原を、どこまでも遠く見渡すことができるはずでした。けれども目の前に同じようなビルがうねうねと曲がった道を採りながら、ぎっしりと並んでいたのです。
「後ろにも同じビルが長蛇の列を作り、諸共どこかに向かっている。」
低い声でロボットが説明しました。
「毎日窓の外を眺めていれば、少しづつ風景が変わっていくのがわかるだろう。おそらく海へと向かっているのだ。我々全員を溺れさすために」
「あるいは、ここにいる生あるものすべてを再び生き返らせるために」
調子はずれにラッパがいいました。
「まだ、そんなことをいっているのか。ガラクタの部屋を見つけたのは、ほんの二日前のことだっただろう」
厳かにトラックがいいました。クマタンの方を見やり、
「このビル――アパートメント・ハウスといい直した方がよいかもしれんが――には、数多くの部屋がある。その中には、囚われたまま朽ち果てたおもちゃたちの部屋もあった」
「そこを、我々はガラクタの部屋と呼んでいるのだ」
ロボットが付け足しました。
「帰るための出口を鎖され、くたびれて最後に行き着く場所。無数のガラクタの山が捕らわれたものの心を和ませたのだろう。いったい何時から、その部屋があったのか、誰も知らない。だが、そこで死んでいったおもちゃの数があまりにも多いのには理由がある。つまり、それは人間の本性なのだ。父が子へ、子が孫へと自分たち自身では気づかず受け継がさせている場所なのだ」
トラックがきっぱりといい切りました。
「子供が天使だなどとはただの世迷言だ。自分で我々の体を壊しておいて、あるいはただ飽きたからという理由で、我々をもう見向きもしない。それどころか、自分はなにひとつ悪いことをしていないとでもいうかのように、我々のことを捨て、忘れ去ってしまうのだ」
(そんなことはないよ)
クマタンは思いました。
(ボクは、いまでもはっきり憶えている。ショーウィンドーに飾られたボクを見て――毎日毎日見に来て――お母さんにおねだりして、やっと誕生日にボクを小さな両手で抱いて頬擦りした、あの男の子の嬉しそうな顔。ずっとお友だちでいようねってお布団の中でいったのが、もう嘘になっちゃっただなんて……)
クマタンの心の中に楽しかった男の子との思い出が次々浮かび上がりました。
(遠足に、ボクを持っていってはいけないと知って泣き出したあの男の子が……。首飾りを作ってくれた。ご飯を食べるのも、テレビを見るのもいっしょだった)
「おまいさんの気持ちはよくわかるよ」
外れた声でラッパがいいました。
「けれど、僕だって、飛行機だって、ロボットも、宇宙船も、トラックも、みんな同じ気持ちを味わったんだ」
クマタンの暗い顔つきから心を見透かして、優しくラッパがいいました。
「でもねえ、クマタン。ガラクタの部屋は本当にあるんだよ」
他のおもちゃたちが静かにうなずきます。
「その部屋をボクに見せて、そしたら……」
後に続く言葉を、クマタンはいい継ぐことができませんでした。
(信じないぞ! ボクは絶対信じない)
ところがクマタンの思いとは裏腹に、クマタンは自分の中にまたあの真っ黒い気持ちが膨らんでいくのを感じないわけにはいきませんでした。その気持ちは声となり、クマタンに繰り返し、
(おまえは捨てられたんだ!)
と忠告を浴びせかけているのでした。
重い鉄の扉が軋み音を立て開かれると、錆びた臭いの混ざった身を切るように冷たい風が、クマタンの頬にぶつかりました。薄い黄色い光があちこちに輝いて、ぼんやりと歪な形の山を照らしています。
「おまいさんひとりで行ってこいよ」
震え声でラッパがいいました。
「僕は行きたくない。もし、もう一度足を踏み入れたら戻ってこられない気がする」
宇宙船の顔は恐怖で歪んでいました。
「我々はここに残りたい」
ロボットがいいました。
「キミはどうするかね、クマタン。やはり眺めるだけにしておくか」
心配そうにトラックがたずねます。
クマタンの顔は、それほど蒼白になっていたのでした。
「ううん、ボクは行ってみる」
クマタンが力なくいいました。
「足元に気をつけるんだよ。もっとも、床なんてありはしないが」
無くしたものを探すように飛行機が付け足しました。
一歩を踏み出すと、ギシリ。クマタンの足に壊れたおもちゃが当たりました。思わずよろけて、もう一歩を踏み出すと、ギシリ。またしてもクマタンはおもちゃを踏みつけてしまいました。飛行機のいったことは本当だったのです。ガラクタの部屋に床はありませんでした。あたり一面、捨てられたおもちゃたちの死骸で埋まっていたのです。
ビュウビュウと風が吹いていました。ということは、そこからは見えない部屋の奥には、もうひとつの開け放たれた扉があるということでしょうか?
クマタンには、わかりませんでした。
一番最初の黄色い明かりに行き着くと、クマタンは、それが見開かれた人形の目であることに気がつきました。目蓋のない人形が、死んでさえそのその目を閉じられずに、あたりを照らしていたのです。ガラス玉でしかない人形の目は、優しい輝きを放っていました。その光が届く範囲に見える捨てられたおもちゃたちの顔は、みな安らかなものでした。
とたんにクマタンがはっとします。その意味を思い当ててしまったからです。
(みんな、思い出を夢見てるんだ。男の子や、男の子のお父さん、男の子のお爺さんや、もっともっと昔の人たちといた楽しい思い出を夢見ながら――死んでいった)
クマタンの背筋に冷たいものが過ぎりました。おもちゃたちの顔があんまり他愛ないゆえに、クマタンには、この部屋がかえっておぞましいものに感じられたのです。
竹細工の人形がありました。先の欠けた笛が、鉱石ラヂオが、プラモデルの戦艦がありました。からくり人形や、ボロボロに破けた犬型の枕が、バネの切れたオルゴールがありました。そのどれもが、みな優しい顔をしていたのです。
『思い出の中だけの幸せなんて、僕は嫌だ!』
クマタンは祈るように繰り返し心の中で叫びました。その部屋の雰囲気がクマタンを飲み込んで、同じものにしてしまおうとしているようでした。
クマタンは振り返り、豆粒のように小さく見える、生きている五体のおもちゃたちの方に駈けだしました。
ギシッ ギシッ ギシッ
クマタンの足に踏まれてもなお、死んだおもちゃたちの顔は安らかでした。
ギシッ ギシッ ギシッ
続けざまに呼ぶ声がクマタンに優しく語りかけます。
(おいでよ、ボクらといっしょにいようよ。おいでよ、ここは素敵に静かだよ)
クマタンは両手できつく耳を覆い、何も聞くまいとしました。けれども声は追いかけます。
(おいでよ。きみだって、そのうちきっとここに戻って来るんだもの。少しくらい早く来たって構わないはずだよ)
声は縛りつけるように、ぐるぐるぐるぐるとクマタンに纏わりつき続けました。
鉛色の厚い扉には錠がかかっていました。
「床を見てみたまえ」
トラックがいいました。
扉に行き着く通路は擦れ、多くの足跡を残し、所によってパネルが剥がれていました。クマタンの目は壊れた廊下を伝うと錠へと辿り着きました。
(引っ掻き傷でいっぱいだ)
クマタンは思いました。
「ここは夢への入り口なのだ」
ロボットがいいました。
多くのものがここを訪れ、去っていったようでした。
扉の上側には覗き窓がありましたが、中は空白でした。
「我々の結論を話そう」
厳かにトラックがいいました。クマタンが息を飲み込みます。
「おそらく、かつての我々の仲間たちが達したであろう結論に我々もまた達したのだ。
我々は、男の子の夢の世界を占領しようではないか!
我々を捨てた彼から、夢の自由を奪うのだ。人間は眠る。眠れば必ず夢を見る。たとえ目覚めたとき、その内容が定かでなくとも、がらんどうのような怖ろしさが残るはずだ」
トラックの目はギラギラと輝いていました。
「トラック、約束が違う。僕たちは男の子に、ただ僕たちがここにいることを伝えたかっただけだ。復讐をする気はない」
宇宙船が叫びました。
「そうだ。男の子にもうこれ以上、何の気もなくおもちゃを捨てないように諭すため、夢の中に入ろうとしたんだ」
ラッパが宇宙船に加勢しました。
「君たちはわかっていない。人間はいったい何百年、我々を見捨て続けてきたのだ。彼らの残酷さに対するには戦いを挑むしかない」
ロボットが宇宙船とラッパ睨みつけました。飛行機がカッと目を見開き、錠を見つめています。ピリピリするような沈黙があたりに拡がっていきます。
「クマタン、君がここに来たとき、我々はほとんど鍵を完成していた。ロボットがゴムで出来た自分の鼻を鍵穴にあて型を取り、鉄で出来た心臓の半分を使って掘りだしたのだ」
凍りついた空気にトラックの声が裂け目を入れます。
「だが鍵は完璧ではない。クマタン、私が欲しいのは、キミのその粘土の首飾りだ!」
トラックがクマタンの喉許を指し示します。
「粘土を崩し、錠にあて、より完璧な扉の鍵を作ることが必要なのだ」
ロボットが歩み出て、クマタンに、壊れていない片腕を伸ばしました。クマタンは素早く後戻りをし、歪に開いたロボットの手から逃れようと試みました。けれどもロボットの目に射竦められ、思うように体が動きません。ロボットはクマタンの首飾りを掴むと、渾身の力を込めて、それを引きちぎりました。
そのときです――
一際大きな泣き声が、最初にいた部屋から響き渡りました。
「わーん、ボクは捨てられたんだ!」
宝石代わりの粘土の球はコロコロと床を転がっています。
六体のおもちゃたちは声のした部屋へと駆けつけました。
「ボクは捨てられたんだ。男の子なんて大嫌いだ!」
大声を立てていたのは近頃男の子に可愛がられていた張子の虎でした。丸い目玉をした虎は、その目をさらに赤く腫れ上がらせて、押し寄せた六体のおもちゃたちを見つめました。
「キミたちはだれ。ボクはどこにいるの?」
「君も、私たちの仲間になったのだよ、張子の虎くん」
クマタンがいいました。鉛のように重い何かがクマタンの頭に忍び寄り、クマタンのすべてを自由にしようとしていました。
(わかったぞ! ガラクタの部屋のおもちゃたちは、みんな抜け殻だったんだ。捨てられたおもちゃたちは、きれいな心を抜け殻に残し、醜い心は空気のように、ここ、アパートメント・ハウスに漂っていたんだ)
心と体の自由をすっかりと奪われる間際、クマタンはそう知りました。
(漂った醜い心は、ここに来るおもちゃたちに取り憑き、次第に大きくなっていったんだ!)
アパートメント・ハウスでクマタンが憶えているのは、そこまででした。
* * *
「ただいまっ」
学校から帰るなり、男の子は、一目散に自分の部屋へと向かいました。棚を開け、ぎっしり詰まったおもちゃ箱を引き出します。
今日、男の子は国語の時間に熊の親子の話を習い、それが男の子にクマタンを思いださせたのでした。
「遊んだげるよ、クマタン。大好きなクマタン」
男の子は、おもちゃ箱の底に沈んだクマタンを拾い上げると、頬ずりをしました。
「クマタン、今日ボクはね……」
* * *
「ボクタチヲ、ステナイデ。オネガイ、ボクタチヲ、ワスレテシマワナイデ」
男の子の顔が見る間に蒼ざめていきました。
男の子は喋る人形を信じるには年を取り過ぎていたのです。
(人形が口をきいた!)
男の子はわあっと叫びながら人形を投げ捨てると部屋の外へと飛び出しました。
首飾りをなくし、二度捨てられた人形は広い部屋の中にただひとりでした。(了)
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