第59話 アンの道中

 山の中に降り立ってしばらくは穏やかな道中だった。たまに魔物なのか獣なのか、不気味な鳴き声は聞こえてきたけれど、ミローラ様からの言葉がないので私を襲ってこないのだと安心していられた。


 しかし特に道が細くなり私の意識が足元に向かっていたその時、ミローラ様から真剣な声音が届いた。


『アンリエット、魔物が三体そっちに向かってるよ』

『……どのような魔物でしょうか?』

『ビッグボアだね』


 ビッグボア……確か土魔法を操り、その巨体で突進を仕掛けてくる魔物だったはず。


『迎え撃ってみます』


 そこまで強い魔物ではないと判断して、私は実戦の経験を積むことに決めた。しかし危なかったらすぐに逃げる。それは心に刻み込んだ。


『絶対に怪我はしないでね』

『もちろんです』


 じとりと滲んでくる冷や汗を感じながら、ミローラ様が教えてくださった方角に体を向けて魔法の発動準備をしていると……ガサゴソっと木々が揺れる音が耳に届いた。


『あと数秒で来るよ。最初に一体、少し遅れて二体』


 ミローラ様のその声に返答する暇もなく、木々が揺れる音はどんどん大きくなり……ビッグボアは私の前に姿を現した。

 私の匂いに気づいてこちらに来たのか、最初から好戦的なビッグボアはさっそく突進を仕掛けてくる。


 私はそんなビッグボアの直線から体を逸らし、急所である瞳に向かってウィンドカッターを放った。


「やった……っ、うっ」


 イメージ通りに放たれた魔法がビッグボアを傷つけたことが嬉しくて、思わずガッツポーズをしてしまった。するとその隙に、低い唸り声を上げたビッグボアから石礫が放たれる。


 私は全く構えていなかったことでその攻撃を魔法で防ぐことができず、顔の前に両腕で壁を作ってなんとか急所を守ることしかできなかった。

 石礫がモロに当たった右腕は、痛すぎて全く力が入らない。


『アンリエット! 神域に!!』


 ミローラ様の叫び声が頭に響き、痛みで朦朧とする意識の中でなんとか神域干渉を発動した。


「アンリエット! 大丈夫!?」


 神域に移動してその場に座り込んだ私の下にミローラ様が駆けてきてくれて、私は安心して少し痛みが和らいだ気がした。


「……すみません。油断して、しまって」

「謝る必要なんてないから早くヒールを!」


 私よりも焦っている様子のミローラ様になんだか嬉しくなり、自分の頬が緩むのを実感しながらヒールを発動した。ヒールは一番得意な魔法なので、怪我は一瞬にして完治する。


 はぁ……凄く痛かった。人って痛すぎると衝撃で動けないのだと、初めて知った事実だ。


「もうっ、アンリエット! なんでちょっと嬉しそうなの!? 死にかけたんだよ!?」

「……すみません。ミローラ様が心配してくださるのが嬉しくて」

「そんなことを言ってる場合じゃないよ!」


 ミローラ様は私のことを怒りながらも、耳が赤く照れている様子だ。


「次は絶対に油断しないこと!」

「もちろんです。魔法が当たったことが嬉しくて、思わず喜んでしまって」


 さっきの石礫が防げなくて急所に当たっていたり、もっと致死性の高い攻撃だったら命が危なかったのだ。反省して改善しないと。


 やっぱり私は圧倒的に実戦経験が足りない。魔物がどれほどに脅威なのかも情報としてしか分かっていないし、攻撃魔法が相手にどれほどのダメージを与えるのかも実感できていない。

 まずはその辺の認識から、しっかりと自分のものにしていかないと。


「もう少し弱い魔物から倒してみようと思います。それから体を鍛えるために走り込みや筋力トレーニングも始めます」

「そうだね。魔法を主に使うにしても、身体能力はあった方がいい。僕も手伝うよ!」

「ありがとうございます」


 少し休憩してから下界に戻った私は、もっと安全に経験を積もうと、ミローラ様にビッグボアよりも弱い魔物を探してもらった。

 すると山道を歩き始めて三十分ほど経った頃、ちょうど良い魔物の群れが現れる。


『アンリエット、もう少し先の森の中にホーンラビットが三体いるよ』

『分かりました。ありがとうございます』


 ホーンラビットが三体だけなら私でも十分に倒せるだろう。気をつけるべきは風魔法を用いた素早い速度の突進。それさえ避けることができれば、無傷で倒せるはずだ。


 ミローラ様が教えてくださった場所に向けてゆっくりと足を進め、魔法の発動準備をした。


 ビッグボアの時と同じように木々が擦れる音が聞こえ、そろそろ魔物が飛び出してくるか、そう構えた瞬間。白い塊がかなりの速度で茂みから飛び出してきた。


「……っ、ウィンドカッター!!」


 一瞬だけ固まってしまったけれど、すぐに持ち直して魔法を放つ。するとウィンドカッターは狙い通りホーンラビットに命中し、近くの木にその体を叩きつけた。


「ウィンドプレス!」


 一体を倒しても今度こそ油断せず、続けて飛び出してきた二体に向けて魔法を放つ。ウィンドプレスは広範囲に下方向の強い風を起こす魔法だ。

 ウィンドプレスをモロに喰らった二体のホーンラビットは、かなりの勢いで地面に叩きつけられた。


「倒した……かな?」

『アンリエット、ちゃんとトドメを刺したほうがいいよ。ウィンドカッターが命中したやつは首元が切れてるから確実に息絶えてるけど、他の二体は分からない』

『分かりました』


 近づく前にウィンドカッターで確実に急所を切り裂き、絶命を確認してから体の力を抜いた。

 とりあえず一人で討伐成功だ。緊張してたから凄く疲れた気がする。


『アンリエット、おめでとう。落ち着いて戦えてたよ』

『ありがとうございます。一人でもなんとかなりました。ただ……この先はどうすれば良いでしょうか』


 普通なら解体をするところなのだろうけど、私にその技術はない。それどころか、息絶えた魔物に触れた経験すらほとんどない。


『神域に置いておけばいいよ。それならダメにならないから。そのうちアンリエットが解体を習得するか、リュカやレベッカに頼めば解体してくれると思うよ』

『……息絶えた魔物を神域に持ち込んでも良いのでしょうか? ミローラ様がご気分を害されるならば、どこかに穴を掘って埋葬しますが……』


 生の女神であるミローラ様が嫌な気分になることはしたくないと思ってそう聞くと、ミローラ様からは明るい声音で気にしないでと返答がきた。


『討伐した魔物を保管しておく場所を作ろうか。確かに目に入る場所にあるのは避けたいからね』

『ありがとうございます。では、魔物と一緒に神域へ向かいます』


 それから私は魔物を倒しては神域に持ち込み、着実に経験を積みながら帝都を目指した。リュカたちからもセレミース様を通して連絡があり、無事であることを確認できたので一安心だ。


 帝都まで順調に歩けばあと一週間ほど。その期間でもっと強くなれるように頑張ろう。

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