第54話 帝国の騎士
次の日の朝。俺たちは日が昇り始める頃に起床して、準備を整え代官邸に向かった。
屋敷から出てきたアンに緊張している様子はなく、いつも通りの笑顔を浮かべているようだ。周囲にいる騎士の方が緊張している様子で、いつもより顔が強張って見える。
「では出発いたします」
ランシアン様が中のアンに声をかけ、俺たちはアンが乗る馬車を囲むようにして歩みを進めた。国境門はこの街の端にあるので、俺たちは馬車に乗らず歩いて進むのだ。
街の人たちが興味津々な様子で馬車の様子を伺う中、ゆっくりと馬車は進み……ついに、国境門に辿り着いてしまった。
アンを載せた馬車は門のちょうど真ん中で止まり、目の前には帝国の馬車と騎士がいる。帝国の騎士は……思わず眉を顰めてしまうような態度だった。
馬車から降りてきたアンのことをジロジロと見つめ、下卑た笑みを浮かべる者までいる。そんな帝国の騎士の様子にランシアン様たちアルバネル王国の騎士たちは、唇をキツく噛み締めて拳を握りしめているようだ。
「皆、今までありがとう。元気でね」
最後にアンが騎士たちに向かって微笑むと、騎士たちは一糸乱れぬ動きで敬礼をした。真っ直ぐアンに向ける瞳に光るものが浮かんでいる騎士が何人もいるけれど、俺はそれを見なかったことにする。
見てしまったら、釣られて泣いてしまいそうだったのだ。
「アンリエット王女、お迎えにあがりました。バルタザール殿下が到着を楽しみに待っておられます」
「出迎えありがとう。私もお会いするのが楽しみだわ」
アンは王国の騎士に見せていたのとは違う、本心を悟らせない笑みを浮かべた。
「二人の冒険者が帝都まで護衛として付いてきてくれるのだけれど、紹介させてちょうだい。リュカとレベッカよ」
「冒険者……? 我々の護衛が信じられないと仰るのですか?」
冒険者が付いてくるという言葉に、帝国の騎士たちは大半が嫌悪感をあらわにする。しかしそんな態度にも、アンは笑みを崩さなかった。
「そういう意味ではないわ。リュカは我が国が誇る一級冒険者なのよ。実力主義の帝国に興味があるみたいで、帝国に入るのを楽しみにしていたの。受け入れてあげてちょうだい」
「一級冒険者とはどのような意味なのでしょうか?」
知らないのか……本当に帝国は冒険者ギルドが機能してないんだな。目の当たりにすると衝撃を受ける。
「一番強い冒険者という意味よ。興味はない?」
アンの問いかけに、一部の騎士たちはニヤッと楽しそうな笑みを見せた。アンは相手を乗せるのが上手いな。さすが王女様だ。
「……かしこまりました。おいお前ら、我が国への入国を許そう」
帝国の騎士はアンに向けて頷くと、上から尊大な態度で俺たちに声をかけてきた。俺はその様子にイラッとしたけれど、ここで事を荒立てるのは良くないと無理やり顔を笑み作る。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
低姿勢の俺たちに満足したのか、騎士たちの口添えで入国手続きはすぐに終わり、俺たちはついに帝国へと入国した。
俺たちの護衛場所は王国の時と同じように最後尾で、しかし馬車には乗せてもらえず徒歩だ。馬車はそこまで速度を上げないから付いて行くことはできるけど、それでもずっと馬車と同じ速度で歩くのはキツイ。
「……あいつらマジで嫌い」
隣を歩くレベッカの低い声が聞こえてきた。
「その意見には完全に同意するけど、聞かれたら面倒だから押さえて」
「うん。でもさ……あの見下す視線には耐えられない!」
小声で叫ぶという器用なことをやってのけたレベッカは、必死に歩く俺たちに馬上からニヤニヤとした嫌な視線を向けてくる騎士たちを軽く睨んだ。
「数日我慢すれば終わるから」
小さな声で発したその言葉はレベッカには辛うじて届いたようで、レベッカは拳を固く握りしめて頷いた。
「嬢ちゃん、そろそろ疲れたんじゃねぇか? 俺の馬に一緒に乗せてやろうか〜?」
一人の騎士が下卑た笑みを浮かべながらレベッカに声をかける。馬の上でセクハラまがいのことをするに決まっている口調と視線に、レベッカは隠すこともせずに男を睨んだ。
「いらない」
「ちっ、可愛くねぇ女だな」
「あんたに可愛いって思われても嬉しくないし。リュカより弱い男なんて興味ない」
レベッカは相当怒っているようで、男が怒るような言い方をした。すると案の定、さっきまではニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた男は一気に眉を釣り上げる。
「俺がそいつより弱いってのか!?」
「弱いに決まってるじゃん。リュカは最強なんだから」
「おいお前、今すぐ決闘だっ」
男は唾を撒き散らしながら怒鳴り声をあげ、馬を止めて俺に剣先を向けた。俺は男の様子をチラッと見て、どうするのが最善かと考え始めたところで……別の騎士が剣を抜いた男を睨んだ。
「おい、今の俺たちは任務優先だ。決闘なら帝都に着いてからにしろ」
おおっ、帝国にもまともな騎士がいるんだな。俺はそんな驚きを持って、止めてくれた騎士に目を向ける。止めてくれた騎士はいかにも真面目で無骨そうな、無口な男だ。
「た、確かにそうだな」
さっきまで威勢の良かった男は、急に慌てた様子で剣を鞘にしまった。
――止めてくれた騎士の方が強いのかもしれないな。
こういう場面を見ると、帝国が完全に実力主義ということが分かる。帝国の騎士にはいい感情が湧かないけど、大変なことも多いんだろうな……
「おい、少し速度を上げろ! このままだと予定日に遅れるぞ」
真面目な騎士が隊列の前方に向かってそう告げると、馬車の速度が少し上がった。しかし歩きの俺たちにとっては少しどころではない、かなりの変化だ。
「レベッカ…っ、大丈、夫?」
「う、うん……なんとかっ」
それからの俺とレベッカは余計なことを考える余裕もなく、必死に足を動かして襲ってきた魔物を倒してと、護衛任務に勤しんだ。
―――――
「本当に、王女殿下を行かせてしまって良かったのだろうか……」
帝国の騎士たちの姿が見えなくなっても、国境門に立ち尽くしている男がいた。その人物は……ユベール・ランシアンだ。
ユベールはアンが幼少期の頃から近くで護衛として守ってきて、不敬ながらもアンのことを妹のように思っていた。
そんなアンを帝国に行かせてしまったことを、深く悔やんでいる。ユベールの瞳には涙が浮かび、唇は固く引き結ばれているようだ。
「隊長、帰りますよ」
「……ああ」
「陛下が決められたのですから、俺たちにはどうしようもないことです。隊長が落ち込む必要はありませんよ」
ユベールを励まそうと努めて軽い口調でそう言った兵士に対して、ユベールはポツリと呟く。
「王女殿下を逃して差し上げれば良かっただろうか……」
「なっ、何を言ってるんですか!? そんなことしたら隊長は処刑かもしれませんよ! それに帝国からだって何をされるか」
「……それは分かっている。でもこんなの、生贄と同じじゃないか。王女殿下が幸せになれると思うか……?」
ユベールを呼びにきた騎士は、慌ててユベールの口を塞ぐと門から引きずって街に戻った。
「それは口にしてはいけません。誰かに聞かれていたらどうするんですか」
「……そうだよな、すまない。ただどうしても考えてしまうんだ。私が陛下にもっと進言できたのではないか、王女殿下のためにやれることがあったんじゃないかと」
「考えても仕方がないですよ。俺らは所詮、国に所属してる身ですから。上には逆らえません」
騎士のその言葉を最後にユベールは暗い表情のまま押し黙り、アンの無事を祈るように瞳を閉じた。
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