第12話 病気の治癒

 宿に戻った俺とレベッカはこれからの出来事に緊張して、言葉少なに路地を奥に進んだ。そしてかなり古めかしいアパートの前で足を止める。


「ここの一階にある角部屋が私たちの家なの。妹をおばさんに預けてくるからちょっと待ってて。すぐ呼びにくるから」

「分かった。ここで待ってるから急がなくてもいいよ」


 それから数分後にレベッカが俺を呼びにきて、俺は物音を立てないようにこっそり家の中に入った。ちょうどお母さんは寝ていると聞いていた通り、部屋の奥にあるベッドの中でやつれた様子の女性が横になっている。


「……ヒールをかけてみる」


 ベッド脇にレベッカが置いてくれた椅子に腰掛けて、練習はしたけど病人に使うのは人生初のヒールを発動させると……レベッカのお母さんの体がぼんやりと光って、その光が体内に吸収された。


 それを何度も何度も繰り返す。一度のヒールにかかる時間は約三十秒だ。ということは一時間で百二十回。数時間はヒールをかけ続けないといけないんだから、病気を治すには少なくとも数百回の、多い場合は五百回以上の連続ヒールが必要ってことになる。

 基本的に魔力が多い人でも一日で使えるヒールの回数は十回程度らしいから……眷属の力を使わずに病気を治すのがどれほど難しいかが分かる。


 それは超金持ちの高位貴族か王族ぐらいしか無理だよな。国中の魔力量が多い光魔法使いを集める勢いでやらないといけないんだから。


「話しかけても大丈夫……?」

「難しい話じゃなければ大丈夫。でも適当な返事になるかも」


 ヒールは体内で練って放出した魔力――俺の場合は神力――をイメージによって現象に変換するのが少し大変なのだ。火や水は簡単に想像できるけど、治癒というのは難しい。

 これが骨折の治癒とかなら骨がくっつくのは想像しやすいんだけど、どこが悪いのかも分からない病気ではかなり難解だ。これができなくて、魔力量は多いのに病気の治癒には参加できない魔法使いもいると本には書いてあった。


「分かった。じゃあ話しかけないことにする」

「うん。かなり時間かかると思うから適当に過ごしてて」

「ううん。ここでずっと見てるよ」


 レベッカの真剣なその声を聞いて、俺はそれ以上何も言わずにヒールをかけ続けた。俺は病気に治癒効果のあるヒールを発動できて良かったよな……役に立たないと言われながらも勉強していた成果なんだとしたら、過去の俺を褒めたい。


 それからもしばらくヒールをかけ続けていたけど、完治したという手応えがない。ヒールは完治していない場合はどこか拒まれているような、抵抗されているような感じがあるのだ。それが治った時には完全になくなって、ヒールがすんなりと通ると本に書いてあった。

 

 まだまだヒールをかけた時には抵抗感があるし、それが薄れている感覚もない。


「レベッカ、この家って時計はある?」

「ごめん、時計はないんだ。三つ隣のうちにはあるから見てこようか? たまに見せてもらってるの」

「お願いしてもいい?」

「分かった。ちょっと待ってて」


 レベッカが数十秒で帰ってきて告げた時間は、まだヒール開始から二時間しか経っていないことを示していた。これはかなり精神力を試されるかもしれないな……段々と集中が途切れてくる。


「ふぅ、悪い変化をきたしている部分を正常に戻すイメージで、悪い部分を薄く剥ぎ取るイメージで、表層だけでなく根が張っている部分も抜き取るイメージで」


 読んだ本に書かれていた治癒のコツを反芻して、集中力を長続きさせる。余計なことは考えるな、とにかく病気を治すんだ。


「レベッカ、お母さんってどういう症状が酷かった?」


 ある本に患者の病状をしっかりと把握して、その部分を治すように心がけてヒールをかけると治りが早いと書かれていたのを思い出した。


「最近は咳が酷くて、それに伴って痰も酷いって。後はよく熱を出してるよ」

「ありがと」


 咳ってことは……重点的にヒールを掛けるのは胸あたりかな。とりあえずヒールの発動を失敗しない程度に、イメージの内容を少しずつ変えて――


 ――それからさらに二時間、俺はヒールをかけ続けた。


 ほぼ無制限に神力を使える俺なら、ずっとヒールを使い続けるのなんて簡単だろう。そう考えていた少し前の自分を殴りたい。


 めちゃくちゃ辛い。ずっと集中してヒールを発動し続けないといけないのは、徹夜でひたすら本を読んで勉強していた時の頭が爆発しそうな辛さの中、集中力を途切れさせずに最適解を出し続けないといけない感じだ。


「――あっ……治った、かも」


 もう気力だけでヒールを発動していると、今までと明らかに違う感覚があった。緊張しながらもう一度ヒールをかけてみると……明らかに抵抗がなくなっている。


「レ、レベッカ、な、治ったかも!!」

「ほ、本当に……?」

「うん。抵抗がなくなったら病気が治った時だって本に書いてあったから、多分治ってるはず」


 俺のその言葉を聞いて瞳から涙を溢れさせたレベッカは、震える手をお母さんに伸ばした。そして頬に軽く触れると耳を近づけて呼吸音を聞き、瞳を見開く。


「いつもと違うかも……もっといつもは、苦しそうな呼吸をしてて、寝てる時もよく咳き込んでて」


 レベッカのその言葉を聞いた瞬間、俺は体から力が抜けてその場にへたり込んだ。


「はぁ……まじで疲れた」


 思わずそう呟いてしまうほどの疲れだ。でも、治せて良かったな。レベッカが大切な人を失わなくて良かった。


「じゃあレベッカ、俺は宿に戻るから。お母さんが目を覚ましたら大変だし。目を覚まして元気になったお母さんが不思議がると思うけど……そこは上手く誤魔化して」


 働かない頭でこれからの対処はレベッカに丸投げすると、レベッカは頼もしい表情で頷いてくれた。


「リュカ、明日はあの宿にいる?」

「うん。でも早い時間だと寝てるかも」

「分かった。じゃあお昼すぎぐらいに宿に行ってもいい? 色々と話したいことがあるの」

「いいよ。寝てたら起こして」

「了解」


 まだ瞳には涙が光っているけど晴れやかな笑みを浮かべているレベッカを見て、俺は達成感と共に家を後にした。




〜あとがき〜

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