8
料金は二人分で三千円ほどだった。結構遠くまで来たらしい。
バスは駅前のロータリーに停まっている。他に車はなく、人通りもない。街灯もまばらで、あまり生活感のない場所だった。
まずは海の場所を確認しないといけない。
知らない名前の駅の中にある地図で現在地を確認すると、まだ海まではそれなりに距離があることが分かった。海に向かう交通機関もなさそうだった。むしろ、街中からこんな人気のない場所まで走るバスがあることが驚きだった。
そうなると、ここから歩いて行くことになるけれど、さっきまでより風が強くなっている状況で何キロも歩くのは、現実的ではなさそうだった。
「ここからどうしようか」
「歩きたい」
「えっ、歩く?」
「そう、歩くの」
雪が斜めに降っている外の様子を眺めながら、トバリはそんなことを言い出した。僕が戸惑っている間に、彼女はどこかから傘を見つけて持ってきてしまった。それを差し出された僕は、諦めて片方を受け取った。
雪は足が半分埋まるくらいまで積もっていた。
駅からは真っ直ぐに伸びる道路が一本だけあって、僕たちはその道に沿って進んだ。どうせ車は来ないからと、トバリは車道の真ん中を歩いた。明日から解放された人間というのは、この上なく自由なのかもしれない。
確かに、歩く僕たちと、粛々と積もる雪以外に、動くものは存在しなかった。あまりに物音がしないものだから、耳をすませば星の声が聞こえるような気さえした。それを言うと、トバリは「ロマンチストだね」と笑ってくれた。悪い気はしなかった。
歩き続けるうち、遠くに明かりが見えるようになった。その明かりは次第に密度を増してゆき、あるところでぱったりと消えている。それが横に線状に伸びていた。そこが海岸線なのだろう。まだまだ遠い。
さく、さく、さく。
どれくらい歩いただろうか、道の両側に立っていた林が終わり、僕たちはようやく市街地に辿り着いた。自販機やコンビニもある。僕はそこで暖かいココアを二本買った。
トバリに一本渡すと、一瞬触れた彼女の指がとても冷たくなっていた。
「寒いね」
「どこか、店に入った方がいいかな」
「それもいいけど、あれに乗ろうよ」
トバリが指さす先には、大きなボンネットの真っ赤なオープンカーが停まっていた。
「乗るって、これに?」
「ほら、鍵はあるよ」
彼女の手には、確かに鍵が握られていた。差しっぱなしになっていたのだろうか。なんとも不用心なことだ。
「大丈夫、捕まらないよ」
「そういう問題じゃなくて」
「私の運転が信じられないの?」
既にドライバーシートに座り込んだトバリが、得意げな顔で僕を見上げた。すると、なんだかすべてがどうでも良いような気がしてきて、気付けば横に座っていた。レースゲームの時と同じだ。違うのは、僕の席にはハンドルもペダルもないということだけだった。
彼女がキーを回すと、ゲームよりも遥かに大きな音がして、それがエンジンの始動音であることに気付くのに少しかかった。まるで爆発音だ。
その後もずっとブルブルと粗雑な振動が続いていた。この車も寒いのかもしれないと思った。そのうちエンジンは温まるはずだ。
二人して手探りでボタンやレバーを操作して、どうにかヘッドライトをつけ、発進することができた。
アクセルを踏むたびに、爆音が周囲に響き渡る。こんな夜更けに近所迷惑だろうけれど、仕方がない。僕たちにはこれが必要なのだから。
ゲームと実物では勝手が違うかと思いきや、トバリはやっぱり運転が上手だった。変に振り回されないし、キーンという高い音が心地よく聞こえていた。加速が滑らかな証拠だ。
誰もいない道を走り抜ける。市街地で出せるギリギリのスピードで走っているせいか、風はとても強い。信号待ちの間、僕たちは冷めないうちにココアを飲んだ。
しばらくして市街地を出た。そこからは一本道で、少しして海岸沿いを走るようになった。
左手に海が見えるようになると、月が真っ黒な海面に反射していた。二つの月のおかげで、道はこれまでで一番明るかった。
反対を向くと、トバリの横顔が柔らかな月明りに照らされて、彫刻のように闇の中から浮き上がっている。僕の視線に気付くと、彼女は小さくウインクした。胸の中で、この車に負けないくらいの大音量が一瞬で吹き上がり、そのエネルギーが外に漏れ出てこないよう、僕は顔の筋肉を固く緊張させた。彼女の瞳は、夜の黒だったのだ。
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