10.気づき
ほら、とリクシーレが指さした先、土魔法で拘束した鳥竜の姿が消えていた。不自然にまき散った土壌は、魔法の効果が切れたか、強引に抜け出したかのどちらかだろう。
ひとまず、張った糸が緩んだような感覚を覚えたオリアナは息を一つ吐き、切り替えた。
「魔法が切れたか」
「探しましょう。念のため爛光虫が好む蜜を首周りに塗っておいたので」
「いつの間にそんなことを」
「あっちですね。匂いがします」と鼻をすんすんと嗅ぎ、歩を進めた。
「犬じゃないんだから」
乗馬を連れてはリクシーレに続き、森の奥へと進む。ただついていくことしかできないオリアナは、見失わないように黙っていた。魔女の足取りは早くも、時折川の水や樹液、木の実や草花、虫を採取しては服の中や袋、小瓶にしまっていく。
一刻は越えただろうか。奥へ奥へと進み、陽光に照らされた森に陰りが見え始め、鬱蒼としてきた頃。黒みを帯びた枝葉や幹に反し、生える花々やキノコの群集は色鮮やかであった。まるで夜にぼうと煌めく星々のよう。ただ幽玄であるも、どこか不気味だ。鳥の鳴き声が聞こえなくなったことに気づき、異様さを覚える。
「こんな場所があったなんて」
落ち着きがなくなっている馬をなだめながら、オリアナは呟く。
「"フォルビドの森"ですね。史料に書いてありましたけど、近づいちゃいけない禁止区域だそうですよ。その理由は今から知ることになりそうですけど」
「笑えないわね」
「オリアナさん、これ飲んでください」と草や潰れた木の実などの固形物と液体の混じった小瓶を渡す。
「なにこれ」
「ケルマの樹液とタパ、ブイム、カーリの草、ベニトリムシの体液を水に混ぜた解毒剤です。ここらは毒素が蔓延しているようなので、それを抑制する水剤を作りました」
「道中なんかしてると思ったら、まさか調合してたの? 道具は?」
「材料や手法によっては素手でも作れなくはないですよ。純度は低いですけどほら、良薬は口に苦いと言うじゃないですか」
「雑味を正当化するんじゃないわよ。でもまぁ、助かるわ」
そう言い、開けては口につける。強い苦みに加え、独特の甘味と酸味が混じったようなそれに、顔をひどくしかめた。
「魔女は信用できなかったのでは?」とリクシーレ。ぴたりとオリアナの動きが止まったが、一気に飲み干してから言葉を返した。
「これで毒だったら容赦なくすぐにあんたの首を斬れると思ったから」
顔だけ向けてそう言った彼女にきょとんとしたリクシーレは、くすりと笑う。
「ふふっ、そうなるといいですね。あっ、あれじゃないですか?」
指をさしては小走りで薄暗い先へと行く。距離を離さないように後を追ったオリアナの目に飛び込んできたのは見上げんばかりの大樹。だがそれ以上に目についたのはその根元や幹に生えていた多種多様の苔やキノコ、そしてそれらの群集に首を突っ込む寛薬竜が3頭ほど見られた。
「あ、この子ですね」とリクシーレはその鳥竜に近づく。だがこちらを気にしない、否、気づいていないと思わんばかりに夢中でキノコを食べている。
種によるが、竜がキノコを食べることは珍しくない。だが、こちらを警戒せず貪っている様子になんともいえない不安を覚える。
オリアナは周囲のキノコ群を見やる。どれも自分の知るそれではなく――。
(なに、これ)
特に目についたのは――果たしてそれがキノコすらも疑わしいと思うほど、奇怪な形状を成していた。
まるで葡萄の房か、巨大な肺胞か。真っ赤な球が密集し、フラクタルを成しているも、それらはいずれも灰白色の細い枝のようなもので繋がっている。そう思えたのも、そのレッドワイン色の房から複数本の白い枝らしきものが突き出ていたからだ。
まるで複数もの膨張した人の肺から突き出た肋骨にも見えなくないと嫌な想像をしたオリアナは目を逸らした。とても食べる気にはなれないが、寛薬竜はそれを自らの糧にするのに夢中だ。それだけでなく、見たこともない何かのスライムやムカデ等の虫も数匹集まっている。
「不気味なキノコね。これも採取するの?」
「もちろんですとも」と躊躇いなくリクシーレは手に取り、瓶に入れる。今ばかりは彼女を頼もしいと思えてしまう。
「変なスライムも集まってるし」
不気味なキノコに不気味な粘性生物らしき何かが一部侵食しており、覆いつくそうとしている。活発に動いているわけではないが、今にも飲み込んでしまわんとしているそれをリクシーレは知り合いにでもあったかのような反応を示した。
「それ
「へぇ、キノコと違うんだ」
「ええ、似て非なるともいえば全然違うともいえます。キノコの仲間だと図書館の本には書いてあるんですけど、実際は完全なる別種ですね。生き物みたいに移動するアメーバ体と、子実体を形成しては胞子を作るキノコ体の二形態を主に持ってまして、時期と環境によって変わります」
「二つの顔を持つってことね。やっぱこういうのもあんたは体に取り込むの……?」
魔物の血や細胞かもっとミクロな情報媒体を人体に組み込む女のことだ、と半ば引いたような顔でオリアナは魔女に尋ねる。だがその言葉に引っかかったのか、珍しく言い返した。
「人をスライムみたいに言わないでください。私は取り込むというより――」
突如石になったように彼女はぴたりと止まった。口も、視線も、挙動もすべて虚ろになったそれは、まさしく自分の内側に入っている他ならない。
「リクシーレ?」
と呼びかけたとき、右手で制止のサインを示した。意図を直感でくみ取ったオリアナは咄嗟に口を噤んだ。
リクシーレの突飛さは今に始まったことではない。だが、今回は何か違う。そんな予感を察知したオリアナは戸惑いつつも、待つことを選んだ。
何かを思い出しているのか。何に引っかかったのか。それとも――。
「工房に連れて行ってください」
「え、なに急に――」
「早く!」
今までにない大きな声を出したリクシーレはオリアナを催促する。今にも駆け出し、置いていきそうな勢いだ。聞き取れないが、早口で何かを呟き始めている。まるで呪文を唱えているかのよう。
二人は馬にまたがり、オリアナは
「説明くらいしなよ。なにかわかったことでもあるの?」
「ええ」と後ろから返ってくる。聞いたオリアナは目を開いた。
「それって、もしかして」
「――わかったのです。この事件の正体が」
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