11.錬成

 修道院の錬金工房にたどり着くなり、リクシーレは有無を言わず駆け足で実験室に閉じこもった。すぐさまインクと紙となるものを探し、束を見つけてはそこに羽ペンを走らせる。オリアナはあえて何も言わず、見届けた。ここで邪魔をすれば、せっかくの事件解決が遠ざかってしまうような気がしていた。

 筆を走らせるだけでない。工房中を駆けるように歩き回っては薬品や道具をあれこれ出し、手を動かしてもいる。故に、オリアナは工房の外で待った。扉一枚越しだが、この向こうは魔女の独壇場。否、錬金術師の仕事場ともいえるだろうが、少なくとも自分の知りえる世界ではない。

 石畳みの通路が微睡の中で目に入る。気づけば朝陽が窓から零れていた。目を閉じる前よりかは静かになった扉の向こうが気になり、オリアナは工房へと踏み入れた。

「何これ……」

 驚愕もあったが、それ以上に気味の悪さをオリアナは抱く。

 作業机に散らばった紙、積み重なった紙束の山。まるで得体のしれないものを触るように、足元にあった一枚を拾うが、びっしりと文字や記号の羅列が書きなぐられていた。実験台にはいくつものフラスコやカラム塔が並んでおり、それぞれ何かの液体が攪拌ないし充填されている。工房の奥にはリクシーレの背中姿があった。振る舞いを見るに一睡もしてないようだが、やつれた様子はなく、むしろ生き生きしているようにも見えなくもない。

「あ、おはようございますオリアナさん」

「これ全部あんたが?」とあたりを見回す。

「ええ、たくさん使わせていただきました。貴重な紙を拝借してごめんなさいな」

 少女の様にいたずらに笑う。オリアナは彼女の後ろの錬成炉でくべられている陶器状の大釜――錬成釜へと見やる。

「何作る気なの」

「薬です。3種類錬成しようかと」

「薬?」

 オリアナにはわからなかった。それが事件と何の関係があるのかと首をかしげるが、それを解消することなくリクシーレは話し続ける。

「ひとつはこれ以上子どもたちが失踪しないようにする薬、二つ目はスライムたちのお薬。そして三つ目は……ふふっ、秘密です」

「報告しな」

「えー、せっかくサプライズしようと思ったのに。お堅いのね」

「反抗の意思と受け取ってもいいの?」

 声を鋭くさせ、剣の柄を握る。残念とも言いたげにリクシーレは小さなため息をついた。

「真面目ですねぇ。三つめもお薬ですよ、人間の」

(ぼかしやがった)

 腑に落ちていない彼女を察し、リクシーレは傍の作業台へと指をさした。

「不安ならそのレシピをご覧ください。そこに書いてますから」

「どれがレシピかもわからないけど、とりあえずこのよくわからない記号ばっかりのは?」

 そう手に取った羊皮紙には、環状や線状の幾何学的記号と何かの略称を示したような単純な文字、そして数字の数々。乱雑そうで、規則性が見えるそれはまるで樹が空へと伸ばす枝葉のように見える。学問に疎いオリアナにとって異国の文字にも見えたことだろう。なんともいえない拒絶感が襲った。

「ウッドワード法のスキーム図ですね。複数工程が要る精密なものですし、収量も数グラムあれば十分なので。あ、もちろん収率は90%以上になるよう頑張りますよ」

「じゃあこのリストか」と一番上に置いてある一覧表へと手を伸ばした。かろうじて読めるそれを声に出す。

「母材A503型、アルカヘスト/エイテール比0.2水溶液、エスカの霜石、ウルフ酸、硬酸塩、天海月の紺涙……」

 何かの呪文かと思うほどの単語の数々。一部、見知ったものが2, 3個あったので何を意味しているかは掴めた。素材の名前だ。

「ポーカス法で錬成する子どもたちのお薬です。横に書いてある数字は配合比ですね」

「こっちはこんなに材料が要るの?」

「少ない方ですよ。やり方もそう難しくありませんし調合材も入手しやすいものばかりですし。ただ一点、希少で重要な素材が必須ですが」

「それはここに?」

「はい」とオリアナの方へと振り返る。「てことで服、脱いでください」

 淡々と言う彼女に、理解がついてこなかった。疑問の反応が露骨に出てくる。

「は? なんで?」

 だがすぐに察した。騎士の顔が若干凍り付く。

「まさか素材って私じゃないよね」

「半分正解です。あ、別にオリアナさんそのものじゃないのでそんな顔しなくていいですよ。あと剣抜こうとしないでくださいね」

 本性現わしたかといわんばかりに身構え続けるオリアナを説得するのにリクシーレは苦労した。ただ単純だとも感じたようで、大義名分を掲げれば葛藤しつつも靡いてくれた。

 鎧を丁寧に脱ぎ、袖をまくった彼女は男に負けず劣らずの腕をしていた。まさに騎士のそれだが、皮膚の一部が鱗の様に堅くなっている。何より、青白色の結晶が3カ所、皮膚という殻から出たように形成されていた。

「さすが騎士様。いい体してますな」

「気持ち悪いこと言ってんじゃないわよ」

 さわさわと細く引き締まった腕を触る魔女を払う。

「やっぱり進行してますね。結晶がだいぶ大きくなってます」

 そういいながら、机の引き出しから工具を取り出す。鑿に金鎚、そして鉄工鑢。明らか木材や金属を対象にされたそれらを見て、騎士の顔は青ざめた。

「ちょ、待って。まさかそれで削り取るとかするんじゃないだろうね」

「え、削りますよ。どうしても痛かったら麻酔打ちますけど、まぁ斬られるより痛くないので大丈夫です。知りませんけど」

 当然と言わんばかりに言い放つ魔女に、今度こそ逃げ出したくなったオリアナだが、またも大義名分と国の未来を前に裏切ることはできず、覚悟を決めた。

「これだけあれば十分ですね」

「肉ごと皮膚がはがれるかと思った……」

 紙だらけの机に突っ伏したオリアナの顔は疲弊しきっていた。反し、魔女は削った結晶の粉末が入れられた小瓶を輝いた眼で見つめていた。

「結晶病の治療法は確立されてないみたいですが、どういうものかはわかってるんですよね。その性質の利用次第では、触媒として機能するんじゃないかと」

「つまり?」

「結晶病を引き起こしている極小サイズの魔物の力を、薬の効力として利用します。この"MV.デボレティス"は魔力を反応させて物質の凝集・配向作用をもたらしますので。魔力を食べて結晶化しているようなもので、この食べる能力を発症の抑制効果へと転用させるんです」

 彼女はオリアナを見る。その目は安心させるような、穏やかなものだった。

「つまり、もう大丈夫です。これができればこの町は助かりますから」

「……そうしてもらう契約だからね。ていうか、いい加減に説明してよ、何が分かったの」

「それはですね――」

 そのとき、入口の扉をけり破らんばかりに5人ほどの騎士が入り込んできた。壁に沿って配置し、魔法剣を構えては、奥の錬成窯の傍にいる魔女へと鋭い視線を向ける。その中に見覚えのある顔があった。

「インドール隊長……?」

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