8.襲撃と衝撃
「なにごとでふか」と頭を押さえつけられ草に埋もれるリクシーレは訊く。オリアナは起き上がり、剣の柄を握っては焔――爆発性を伴う火炎魔法が放たれた方角へ意識を向ける。
気配、音、木の葉の揺れ、風の匂い、魔力の流動。五感を研ぎ澄ませ、状況を俯瞰する。
(……近くに四人か。で、魔力の質が異様なのが一人分。そいつが未知数だけど、小さな金属音と弦を張る音が複数聞こえるあたり、他は武器を携帯してる)
不意打ちと感じる明らかな敵意。盗賊の類ではない上、突発的な襲撃とも考えづらい。
「隠れてないでさっさと出てきな。じゃないと命の保証はできないよ」
だが、返答はない。不自然なほどの静寂さの中、リクシーレが後ろから話す。
「オリアナさん、ここは剣をしまって話を聞いた方が」
「なに生ぬるいこと言ってんの。明らか殺そうとしてきたの見えなかった?」
「戦わないことが一番の護身です。寛容なくして勝利なしって言いません?」
「言わないから」
「紛争解決プロセスは健全な対立と対話が一番効果的なんですよ。まずは心理的安全性の確保から――」
ひとつ指を立てるリクシーレの真横に、鋭い風が過ぎ去る。タン、と後ろの幹に一本のボウガンの矢が細かく振動しながら立っていた。
「時代と国が違えば通用したかもね」
「一概には言えないって説明も加えておきます」
顔面に眩く、そして熱い光。目の前に迫りくる火炎の波を寸前で避ける。オリアナに引っ張られるがままになったリクシーレのコートの裾がかろうじて焦げた。
「あんたは下がって隠れてて!」
払うようにリクシーレを軽々と放り、そのまま草むらの中へ頭から突っ込ませた。転んだかどうかは気にせず、オリアナの視線は全員の位置を捉える。特に魔術師を探し――。
「――ッ」
考える隙もなく、鉄製の殺気が風を切り激しくぶつかってくる。咄嗟に剣で防ぐも凄まじい膂力は踵を地面に埋まらせた。弾き返すなりすぐに次の一手が繰り出される。重く、迅速な剣捌きを前に相手の実力をオリアナは見極め――振り返っては背後から斬りかかろうとした剣士を両断する。舞う血飛沫は剣の軌道を描く。
瞬間、風を切る音を耳にする。剣を下へと勢いつけて払ってはその場から身を後ろへと引いた。流れる黒い髪の一部を断ち切り、風穴を穿つは一矢。払った剣より何かが斬れた感覚を得て、足元に両断されたもう一本の矢が転がっていることをその目で見ずとも確信した。
(悪くない編成ね)
遠兵が二名。魔術師含む白兵四名以外にもいたようだ。風纏う矢が飛んできた方角は把握したが、距離はつかめない。後退した身を地に着いた両足で踏みとどめ、迫る一人の剣士の懐へと低く潜っては胴を斬り伏せる。目にも留まらぬ速さで刃を振りきった瞬間、この森には不釣り合いな質の魔力の流れを感じ――その場が爆ぜた。土をまき散らせ、根を抉り起こす。まともに食らった以上、四肢は容易に吹き飛ぶことだろう。
常人ならば。
その爆炎は、大量の蒸気と共に消え失せる。温暖な森に満たされる熱気の中、刺すような冷たさが過ぎ去った。
(燃焼性を捨てて一瞬の爆発性に特化したか)
彼女にはもうひとつ、魔法を体得している。
その鉄剣に纏うは生命の源を奪う死神の手。あるいは地の果てに在る黄泉の誘いか。
属性は土を主とする複合型。認識できる物体を集め、抑え、整える複雑な作用を、流動する己の魔力を開始剤として
「相性最悪」
氷魔法である。
繰り出す爆炎の刃を斬り伏せる。焔越し、オリアナの紫眼は術師の白い仮面姿を捉えた。
――見つけた。
茂みの奥。だが距離は近い。
息を、気を吐き、己の内を無音とする。剣を、腰を下げ、前傾へ。その目は狩人、それとも獣そのものか。
静蘭。時の流れを緩め、しかし一瞬にして完成させる一閃の構え。
刹那。全細胞が爆ぜるように、騎士の肉体は迅雷と化す。
眼前。結界と称される魔法陣が刻まれた盾が、腕をかざした術師の正面に浮かぶ。同時、騎士の姿は消え、代わりに土塊が一瞬にして地面から突き出た。怯んだ術師は足首の違和感を覚えた――土や礫がまとわりつき、岩の様に固められたことの意味を理解したとき。
頭上へと高く跳んでいた騎士の剣が弧を描く。それは扇形の魔法弾と化し、触れた術師を背から凍らせた。
「そこね」
軽々と着地したオリアナは飛んでくる矢を剣で捌くなり、飛んできた方角へと手を伸ばす。微かに感じた風魔法の魔力的な軌跡。それは火を消した蠟燭の煙に等しく、オリアナはその残渣を氷魔法の発動開始剤として利用した。
伝う魔力は導火線の如く。瞬く間に魔法は射手のもとへと辿り、その腕を弩ごと凍らせる。唸る声がそれぞれ聞こえたとき、ドスンと茂みに何かが落ちる音が二つ聞こえた。
(あとひとり)
ぞっ、と嫌な予感が脳裏を過る。振り返り、リクシーレを探した。
「すごいですオリアナさん! あっという間に倒し――」
「リクシーレ後ろ!」
オリアナは叫ぶ。残る一人は尊敬の眼差しで称賛の言葉を贈る魔女の背後で――剣を振りかぶっていた。
その剣先が勢いよく魔女の首に触れる寸前。
首が消えた。否、膝が抜け落ちるように彼女の体勢が低くなった。
だがそれは回避を目的としていない。翡翠の瞳は、闘争の色を示す。
重心を落とし、地へ両脚を深く踏み込む。同時、脇を締め、腕を縮める。翡翠の瞳が狙うは鳩尾。
切る息が、全細胞と共鳴する。
放つは一瞬。
打つ掌底は鈍と響き、剣士の体を後方へと吹っ飛ばした。木の幹に勢いよくぶつけては倒れ、意識の明滅と呼吸のままならなさ、そして胸部から溢れてくる激痛が男を苦悶の底に叩き落した。
呆然と見ていたオリアナは我に返り、剣をしまいつつリクシーレのもとへ寄る。
「あんたも意外とやるのね。運動能力ゼロのくせに」
「あ、ひっどい」と口をとがらせる。「
「ここじゃ無罪よ」
事実、リクシーレに戦えるだけの拙力も機動力も、体力もない。故に相手の力のモーメントと運動のベクトルを物理演算しては予測し、最小限の動きかつ支点と作用点の固定化で相手の重心と運動量を利用した。とどめに筋肉の伸張反射による
極めて優れた動体視力と観察眼、そして人体の動きを演算し、力学的予測、そして変換ロスを最小限にとどめて出力できる瞬発力があってこそ成せる芸当なのだろう。
「ああ心臓バックバクしました。オリアナさん、明日筋肉痛になるかも。あと疲労骨折」
「知らないわよ」
ただ、限度はあるようだ。疲弊し、心臓を抑えるリクシーレをよそに、オリアナは半身を凍らせた魔術師の前に立つ。跪いた姿勢のままであるも、黒衣とフード、そして無地の白い仮面からその表情は伺えない。
「で、あんたらは? 名乗らないとここで森の養分になってもらうよ」
「え怖ぁ」
「あんたは黙ってなさい」
腰に手を当て魔女に一言制したとき、仮面越しからくぐもった野太い声が聞こえた。
「我々は運命に従ったのみ」
「……それで?」
「竜の魔女を釈放するなど愚の骨頂に値する。貴様らはここで滅ぶべき存在!」
そのとき、術師の周囲に魔法陣が赤く光った。それはふたりをも囲うように展開され、火花を散らし始める。彼一人だけではない、他の男たちの足ともからも同様の魔法陣が生じていた。
「あ」
自爆魔法。察したのかリクシーレが声を零したとき、術師の肉体を覆うようにすべて氷結した。術師が起動装置だったのだろう、すべての魔法陣が消失したのを確認し、氷魔法を発動させたオリアナは安堵するような息を吐く。
「その魔法便利ですね」とご機嫌にリクシーレは言う。
「なんでそんな暢気なのよ。爆発で死ぬとこだったんだから」
ガントレットに生じた霜を気にすることなく、剣を納める。
「それはそうと、あんまり聞き出せなかったですね」
「こいつらスフィド教会のやつらよ。ほら、手袋のエンブレムがそうでしょ」
そう見下ろす先をリクシーレは追う。氷越しでも見える、十字にふたつのS字が蔦のように絡まったマーク。ラバ王国の国教でもあるスフィド教は信者はじめ資産や権力、人民に対する影響力を年々増大させている一大組織として運営されており、右腕として協力体制においてあるはずの宮廷側が警戒しているほどまでに至っている。
当然、騎士団ほどの規模でなくとも強力な兵力を兼ね備え始めているという報せはオリアナでも知っている。先ほどの実力と連携、そして自決するほどの覚悟で襲ってきた以上、疑う余地はほぼないだろう。
「教会も私を出すの許可したんですよね」
「本音は反対に決まってんでしょ。宮廷側は利用したいけど、教会側は今すぐにでも排除したいで揉めてたんだから。とにかく、こいつらが信者なのは間違いない」
「んー……」と首を傾げる。半ば納得のいっていない様子にオリアナは腑に落ちなかったが、気に留めることはせず、血を流した白兵の遺体へと足を向ける。
「ま、手持ちを漁れば何かわかるでしょ」
「オリアナさんも悪ですのう」と言いながらしゃがみ、真っ先に服の中へと手を突っ込み始めた。それにとどまらず、冷たくなり始めている顔から靴の形までべたべたと触るあたり、ただの好奇心で弄っているように見えなくもない。
「あんたほどじゃないわよ」
呆れるオリアナだが、ため息は出なかった。局在結晶化の患部が痛むぐらいだ。
「でもさ、なんでわざわざ体術を? まさか魔法が使えないわけじゃあるまいし」
「あ、そうですよ」としゃがんだまま振り返る。
「実は私、魔法が使えないのです」
「……は?」
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