7.寛薬竜
借りた馬から降りたリクシーレは目を輝かせる。何度目かわからない無垢な少女のような挙動はいい加減オリアナも慣れてきた。彼女の目に映るのは動く山々――否、中規模の森を背に宿した草食巨竜だ。
「オリアナさんあれ! ムリグナム・サウロテリウムの親子ですよ。山が動いているみたいで圧巻ですね」
「まぁ、実際に山を背負ってるし」
一定の間隔で起きる地鳴りが、ふたりの足の裏へと伝わる。ゆっくり進む亀のような出で立ちをリクシーレは見送る。
「どこへ旅をするんでしょうね」
「さぁね」と流すオリアナは一頭の乗馬を手綱で引きながら周囲を見回す。町とは違った警戒をここではしなければならない。社会的でなく、自然的で本能的な警戒だ。
町から一歩外に出ればそこは獣の世界。命の駆け引きが常識となるここでは狡猾さと強さ、そして臆病さが求められる。
「で、なんで寛薬竜を見たいわけ?」
「サンプルとして捕まえておきたいんですよね。魔物は見かけたらとりあえず観察して触って捕まえる。それが鉄則です」
「命がいくつあっても足りなさそうな鉄則ね」と呆れる。「というかさっきのスライムも捕まえたんだ」
はい、と元気な声が返ってくる。錬金工房から持ってきたのだろう、魔女の団服の中から取り出された採取用のバイアル管瓶にはみっちりと水生スライムが詰まっていた。それが3本。何をどう使うのか知る由もないオリアナは引きつった顔を浮かべる。
「あ、このセカリアという樹、爛光虫が好む樹液を作るんですよね。せっかくなので採りますね」
独り言のように話すリクシーレ。なんのために、と返そうとしたときには既にその幹に石で傷をつけ、流れ出る黄色のとろみを試験管に入れていた。慣れたつもりだったが、魔女の奇行はと奔放さにまだ慣れていないようだ。
そのとき、どこからか鳴き声が聞こえてくる。理知的に満たなくとも粗暴でない。獣ほど動物的でもなければ、鳥ほど鋭く軽いものでもない。似ていようとも自然音を模したような独特な音は――竜だ。
「この鳴き声、近くからですね」
リクシーレは草むらの奥へと進んでいく。
「いや、だからあんまり離れるとあんた動けなくなるの忘れてるでしょ」とオリアナはすぐさま後を追った。顔は枝葉で鬱陶しく、足元は草むらが絡みつく。それらにうんざりしたところで、畳みかけるようにうんざりするリクシーレの呼びかける声が耳に届いた。
「あっ、あれ」
というなり、リクシーレはおぼつかない足取りで森を駆け出した。捉えたのは黄土色の鱗と黒線模様を持つ小型の獣脚鳥竜。両腕の翼はあるも退化しており、器用さを優先させた鉤爪を生やしている。足音は葉を飛び移る蛙よりも小さく、しかし兎を追う狐よりも速く森を駆け抜けた。
「ばか、どこ行く気!」
「あの
一定距離から離れる前に、根に躓いたリクシーレは盛大に転ぶ。
それを飛び越え、オリアナは剣を土に深く突き刺す。そこに特異的な力――内在する魔力を流し込み、土壌中に流動あるいは分散している外部魔力を反応させる。伝播し、伝え、仕事を与えることで自身の腕の一部へとリンクさせたことで、駆ける竜の足音がどこから生じているか、まるで皮膚の上を這う虫の様に把握できた。
あとはそこに手を伸ばすだけ。遠目に見据えた先――小さくなっていく竜の二足を地面から噴出し、アメーバの触腕のように突出しては広がった土の腕が捉える。下肢を覆うなり蜘蛛糸の様に粘りついては直ちに硬化したのも、オリアナの土属性の魔法によるものだろう。転倒し、もがこうにも石のように固まってしまっては俊足の鳥竜も成す術はない。目を凝らしてそれを確認しては、オリアナは剣を地面から抜いては立ち上がった。
「全く、離れたらあんたが不利だってのに」
「さすがオリアナさん。かっこよかったです」と上げた顔には土と雑草がついていた。
「あんたの転びっぷりもさすがだったよ」
「へへっ、それほどでも」
「褒めてないっての。怪我は?」
「あばら全部折れちゃったかも」
「気のせいだから問題ない」
「えっ」
手を差し伸べるはずもなく、オリアナは寛薬竜のもとへと向かう。土を払いつつ、リクシーレも彼女の後についていった。
「で、あの竜がどうかしたの?」
「さっきのお子さんが言っていた竜なのは覚えてます?」
オリアナは頷く。数十メートルの先、意識はあるも倒れたままになっている竜の前に立つ。まるで地面に同化する魔物に捕食されかけている奇怪な姿を気に留めることもなく、魔女は言う。
「本来、デンタプトルは賢くて、数頭の群れで行動することが多いんです。単独行動していても、何かあれば仲間がすぐに駆け付けます」
「その気配は感じないけど」と周囲を見回す。鳥の囀りや虫の鳴き声が聞こえるだけだ。
「それだけでなく、興奮状態を示す鳴き声を無意味に発してました。仲間を呼ぶ言葉ではなかったですし、あれでは狙われやすくなるだけですね」
「あんた竜の言葉がわかるの?」
竜の魔女ならではの能力か。そう思うも、リクシーレはそれに触れることはせずに説明を続けた。
「例えば自分より危険な気配を確認したりすると『ガーッガ、ゴカカカカッ』で『警戒しろ、ここから離れろ』って言うのですけど、さっきのは文法が逆でしたり、呼びかける単語を羅列したりしていたので明らかおかしかったですよ」
「いや全然わかんない」
「それに、この子を見ておかしいと思ったことはありませんか?」
そういわれ、改めて寛薬竜を見る。何か変わった特徴でも、と思い探してもわからないオリアナであったが、ひとつ違和感を抱いたのか眉をひそめた。
「……暴れない」
「そうなんです。捕まった途端に大人しくなるのも竜にしては珍しいのです」
「なんかの呪いとか?」
「あるいは病気でしょうね」とリクシーレは寛薬竜の閉じた口に躊躇いなく指を突っ込み、並ぶ鋭い牙と溢れる涎をみる。だが竜は静かに息をするだけでその手を嚙みつくことはなかった。
「唾液の分泌量が多くて、この状況に対して瞳孔に興奮や困惑が見られない」と呟く。「呼吸も異物感がありますね。オリアナさんは魔力を見たり感じたりすることはできます?」
あたりを見ていたオリアナは訊かれていたことに少し遅れて気づき、口を開く。
「できるけど、これあたしじゃなくて魔女のあんたがやった方がいいでしょ」
「得手不得手があるのです。戦闘で魔力を読み取ることに長けているオリアナさんでないと――」
「っ、伏せて!」
白いフードごとリクシーレの頭を掴み、身を伏せる。
刹那、強い衝撃が空気を伝播する。轟音と共に訪れたのは熱と光。オリアナの目に一瞬だけ映ったそれは焔の形として背後の木を薙ぎ倒した。鳥が飛び立ち、枝葉がざわめく。
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