6.ユリア湾の子どもたち

 潮風が髪を撫でる。温暖期であるはずなのに、どこか冷たさを感じた。

 ユリア港湾は外交の入口だ。ジーエールと王都へつながる公道は開拓されているので、ラバ王国の玄関ともいえる。それもあってか、非常に大きく、視界に収まりきらないくらいだ。


「オリアナさん、見てください! 海ですよ海!」

「見りゃわかるわよ」

 一面広がる青い海と船の数々。風が強く、吹き飛ばされる木の葉のようにリクシーレは駆け回り、くるくると回る。数多くの木箱や樽、中身が詰まった麻袋等の積み荷をよそに、それを後ろからただ見眺めていた。

(魔女、いや罪人の自覚を持ってほしいわ本当に)

「あんまり離れると手枷の魔法発動するよ」と声をかけるなり素直にオリアナの方へ戻ってくる。まるで飼い主に呼ばれた子犬のようだ。

「広いですね。あのガレオン船は輸送船ですか?」と巨大帆船を指さす。オリアナは頷いた。


「農耕の規模は他国より劣るけど、こういう水産や金属とかの素材は盛んだからね。そのおかげもあって隣国のエストマとは貿易が活発だし」

「最近はどんどんいろんな資源や材料が運ばれてきているのですよね。資料で読みましたよ」

「まぁ、ここじゃ取れない鉱石とか香辛料……あと燃料とかもそうだった気がする」

 思い出す仕草をしてオリアナは朧げな記憶を取り出す。「ここも豊かだけど、大陸だともっといろいろあるんだろうね」

「あの水平線の向こうに大陸があるのですね……見てみたいなぁ」

 憧憬を覚えるリクシーレを横目に、オリアナは息をつく。目の前の海の向こうに何があるのか、考えたこともなかった。

(どのみち、自分に残された時間はないけど)

 センチメンタルな気持ちになったことを反省し、隣を見るも忽然と魔女は消えていた。視線を先へ送ると、


「わぁ、水生のスライムですよオリアナさん」と数匹群がるそれに飛びつくように駆け寄っていく。拾った枝で、湾岸に這い登ってきたそれらをつついている。

「特別珍しくもないよ。それに種類によっては触るだけで危ないのもいるから」

 彼女の方へと歩みながらオリアナは言う。


「たぶんポリボロセファラム・アクラムスですね。この磯に雑じるテルペン寄りの香りとわずかなホライゾンブルーの色合い、単核類ですし弾性も低めとはいえ構造粘性が確認できるので。ちなみにポラスライト粉末と混ぜて延伸したままゆっくり焼結させると軽量で複屈折率の低い光学材料になるので重宝していたのですよ。あ、捕食性もなく無害ですので触れても大丈夫かと」

 よくわからないことを流暢に話す魔女に、オリアナは一瞬だけ面食らった。

「詳しいね」

「スライムほどユニークな魔物はそういませんから。古くから一つの学問として大きく分類されてるくらいですし」

 スライムをつつくのをやめ、リクシーレは立ち上がる。嫌だったのか、スライムはその場から海へと向かっていった。

「にしても、だいぶ増えてきたな」

「そうなのですか?」と見渡す。

「数年前は2,3匹いるかいないか程度だと聞いた。こんなぽつぽつ見かけるなんてなかったらしいよ」


 海面を見ればクラゲのように。桟橋や港湾沿い、舷側にはフナ虫のように水の小さな塊が張り付いている。ぶつかっても触れても無害だとされているが、やはり目についてならない。

 それを目で追っていると、海に向かって流れる小さな滝を見つける。自然に形成されたそれではなく、人工的に作られた水路の出口のようだ。よく見ると濁っており、漂う不快臭を嗅いでは眉を小さく寄せた。

「こんなに大きな都市でも屎尿や排水はそのまま流しているんですね」

「そういうものでしょ」とオリアナ。「海は浄化の化身だと言い伝えられているし。それに雨が降れば汚れも取れる」

「そうですか」と踵を返したとき、

「あ、いましたよ早速」

 ほら、とリクシーレが指さした先。翡翠の目が何かを捉えた。


 桟橋に腰を下ろしている二人の少年。話が盛り上がっている様子もなく、往来する船や海を眺めているようにも見えた。

 リクシーレはオリアナの背中を押し、二人の少年の前に出させる。不満そうな顔を浮かべるオリアナだが、一つ咳払いをしてふたりに存在を気付かせた。

「そこで何してんの?」

「何って、海見てただけだよ」

 桟橋に下ろす足をぱたぱたと振りながら、ひとりの小生意気な少年はそっぽを向いた。

「オリアナさんに似てますね」「うっさい」と小声でのやりとりを後に、

「私、っていいます。この人はオリアナさん」

 オリアナの後ろからひょこりと顔を出しては自己紹介する。

「ふたりはおいくつなんですか?」と訊かれた短髪の少年――ラルトは「10歳」とだけ答えた。

「10歳って――」

「わかってるよ!」

 突然に声を荒げる。動じないオリアナに対し「わっ」とリクシーレは小さく驚いた。

「ラルト君」と可愛らしい少年――ヨークは戸惑いつつも彼を宥めようとする。「ごめんなさい、僕たち、10歳になるから怖くて」

 ふたりは顔を見合わせる。話し始めたのはオリアナだ。

「あたしたちはそのことについて調査しているの」

「知らねぇよそんなの」とラルト。「こっちだって何が何だかわからねぇのに、知ってるやつがどんどんいなくなって……マッカスも何も言わずに消えちまったんだ」

「その子も友達ですか?」

「親友だ。将来、同じ夢を誓った仲間なんだ」

 そう返すラルトは海を見続ける。反応せず、黙り込んだリクシーレを一瞥したオリアナは、低く、しかし柔和な声色で尋ねた。

「……いなくなる前、その彼に何か変わったところはなかった? 些細なことでもいいから」

「いつも通りだったよ」と答えたのはヨークだった。「むしろ元気だったし、近くの広場からここでよく遊ぶようになったくらい」

「俺も、連れ去られちゃうのかな」

 そうラルトは呟く。気弱な表情は見せなくても、弱弱しい声は漏れていた。

「なぁ、ここにいるから、みんな連れていかれるんじゃないのか? だからさ、いっそのことあの船に乗り込んで」

「っ、ダメだよラルト君!」

「けどよ」

「大丈夫だよ! だって”十陽巡りの儀”や祓い魔の儀もやったんだし、寛薬竜の肉だってたくさん食べたんだから。僕だって神隠しに合わないように、今度の誕生日にたくさん寛薬竜の肉を食べる。だからいっしょに頑張ろうよ」

「寛薬竜って?」とリクシーレに訊く。反射的なのだろう、静かだった彼女は何もなかったように問いに答えた。

「ラバ王国全域に生息している身近な魔物ですね。国を象徴する竜として古くから共生していまして、地方によって薬鳥竜ファルマビスドラゴンやドラッグドラゴンって呼ばれることもあります」

「あぁ、それのこと」

「学名ではクレグナムテリクス・デンタプトルと言いまして――」

「それ以上はいい」と止める。「確か一生に一度の特別な日に食べるんだっけ」

「十陽巡りの儀で食べるんだよ。それで心と体から病魔を守るんだって。お母さんが言ってた」とヨーク。

「でも、みんないなくなったならこんな風習、意味ないだろ」

 ヨークは再びラルトの名を𠮟りつけるように呼ぶ。顔を青ざめ、オリアナの顔を伺っては膝をついた。

「ごめんなさい! 今のは違うんです、意味はあると思ってますから、お願いだから聞かなかったことにして……!」

 騎士の前で伝統に背くような発言を諫められると恐れたのだろう。それを見下ろしたオリアナはひとつため息をつき、

「いや、あたしも同感だよ。そんな風習や宗教に頼り切るだけじゃ何もならないのは痛感している。絶対に解決してみせるから」

「え……?」

「行くよ」とリクシーレに告げ、その場から立ち去った。

 オリアナ本人は気乗りはしていなかったものの、魔女の釈放と監視に覚悟を決められたのは、町の子たちを想ってのことだった。国の存続や平穏はもちろんだが、それ以上に自分のような不幸を送ってほしくない。そんな願いを叶えるために、今回の一件は必ず突き止める。

「やっぱり、子どもたちなりに思うところはあるみたいね」

「……そうですね」

 底なしの明るさはなく、しかしどういう感情かもわからない。どこか上の空になっているリクシーレの背中を思い切り叩いた。

「あ痛っ」

「何しんみりしてんのよらしくない」

「すいません、少し考え事を」

 そう言い、へへ、と笑みを向けた。「それよりよかったんですか? あーんな豪語しちゃって」

 見つめるリクシーレを一瞥し、ふい、とオリアナは視線を海へと逸らす。

「別にいいでしょ。やることは変わらないんだから」

「ふふっ、オリアナさんの新たな一面が見れちゃいました。でも解決するのほぼ私な気がするんですけど」

「……あんた可愛げないね」

「それオリアナさんが言っちゃいます?」

 そう言ったとき、リクシーレの目があるものに留まる。

 港町の傍に生えているいくつかの広葉樹。そこの根本に水の塊――否、先ほどのスライムが群がっていた。視線を上げると幹や枝葉にも数匹張り付いている。奥の木や振り返った先の木にも同様の数がいる。

 そうえいばと思ったのか、一度桟橋へと目を向ける。海面の境目に群集している藻類にもやけに集まっている様子を確認し、再び葉が生い茂る樹に集うスライムへと見つめた。

 木々に集まるスライムをオリアナは一瞥する。

「そんなにあのスライムが気になる?」

 顎に指を添え、数秒考える仕草をするも、すぐさまパッと明るい顔をリクシーレは向けた。


「ちょっといいですか」

「何?」

「せっかくですし、その竜も久々に見たくなっちゃいました。町の外に出ることはできますか?」

 両手を合わせ、おねだりする仕草をする。あざとさが見えるも、オリアナはぴしゃりと断った。

「私情を挟むことはダメ」

「あれもダメこれもダメのダメダメ族ですねオリアナさん」と口をとがらせる。

「うっさい」

「というか今までも全部私情挟んでますし、同時に仕事にもなってますよ。今回もそのケースですから」

 町の外は当然、騎士団やギルドが調査しているはずだ。それでも手がかりが見つからない以上、二度手間に過ぎないと思うも、魔女の観察眼と洞察力を以てすれば何か見つかるかもしれない。それに賭けるか否か。

 騎士は口を開く。

「……失踪事件に関係あることなら許可する」

 魔女の顔に向日葵のような満面の笑みが咲いた。

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