5.騎士の因縁

「23件全滅、か」

 町の階段に腰掛け、建物の壁に項垂れる。黒い髪と暗色の鎧も相まって、日陰に入ると一層目立たない。

 オリアナより下の段にいるリクシーレは疲労が見えず、まったく気にしていない様子。

「まぁそんなものですよ。というより」とリクシーレはじとりとした目をオリアナに向ける。「ヘルマン隊、人徳どころか人権なさすぎません? 騎士団の肩書がまるで役に立ってないじゃないですか」

「あたしもさすがにびっくりしてる」

「あ、もしや裏で脅されてたりとか」といたずらに笑う。

「まさか」

「ただ私が誰なのかバレてないのは幸いですね」

「疑いは小さな違和感から生まれて、徐々に大きくなるものよ。今日のうちに町中で噂が広まって怒りに変わるのも珍しくない」

「雪だるまみたいですね」


 すでに手遅れかもしれないが、これだけ訪問すれば噂が流れるだろう。魔女の一時釈放は公表されていない。だが必ずどこかで漏れる。ただの訪問拒否だけで済むならまだいい方だ。

「ま、とにかく」と視線を上げ、景色の先の港を見つめる。「これ以上は厳しいかもね」

「こういう日もありますよ。おなかもすいてきましたし、休憩がてら何か食べましょう」

「……それもそうね」

 立ち上がった二人は商店の集う通りへと向かう。その道中にて、オリアナはジェル状の水剤をリクシーレに手渡したが、そのときの彼女の嫌そうな顔は露骨にでていた。

 

「それにしても、前より町栄えましたね」

 収容され続けていた魔女は、人通りの多くなった街並みを見渡す。所々、石畳や民家の壁にひび割れが見えるも、飾られた花の数々は灰と茶の都市に彩を描いていた。遠くを見れば、幾つかの煙突が塔のように伸びており、灰の雲を吹かせていた。

「最後に一時釈放されたのはいつなんだっけ」

「6年前ですね。そのときは王都に連れられて”エポクス地方にいる魔女推進派の宗教団体、いわば国の反乱因子を鎮めるための強力な魔法をかけてほしい”って言われましたね。あとは魔法式武器製造の知見がほしいとか」

「そこも魔女に頼るんだ」と呆れる。聞いていて頭痛がする。

「魔女には魔女を、らしいですから。でもそのような魔法あったら私が知りたいですし、力任せに事を治めてもまた再発するだけですので、交渉しに行きました。何とか丸く収めたんですけど、事の結末を見送る前にまたあそこの塔で磔にされちゃったので……あのあとどうなったのでしょうか」

「さぁね」と視線を町の方へと向ける。「それよか、そのときの代償が大量の血肉だって聞いたけど」

「え?」と言うも、すぐに納得した声を出す。「今回と同じですよ。ただお肉を食べたい気分だったので鶏と豚と牛、あと乗馬に使えない年老いた馬の焼き物を強くプッシュして食べ物を要求しました」

「……そう」

 肩透かしを食らった気分だ。結局は自分の空腹を満たすため。魔女に対する先入観や経験則が次々と壊れ、なんともいえない疲労感が首周りに募っていく。


「でもまぁ、あんたの生贄や契約の代償で命とられなくてよかったよ。こっちはひと月分の飯で済んだし」

「わかりませんよ? 望みをかなえた後にえぐい代償を要求するかもしれません」

「先に叶えたんだからそれはなしでしょ。そういう約束を破るやつなら容赦はしないよ」

「ふふっ、怖いですね」と笑う。「冗談です。私は誰も人の命を奪う気はありません。オリアナさんとは仲良くなりたいですし」

 にっこり笑う魔女に、「あっそ」とオリアナはそっぽを向く。気質故、友人といえる存在はいないに等しいが、かといって魔女と友好になる気はなかった。

 でも、と付け足す。


「このままだと、魔女どうこう関係なさそうですけど」

 含みのある言葉にオリアナは声を鋭くする。

「何を言って――」

「"結晶病"。ですよね、オリアナさん」

 凍り付く。時が止まったように、女騎士の挙動も、歩みも、言葉も、紫の瞳も固まる。

 そこに怒りも悲しみもない。だが複雑に混じりあった果ての困惑が見えていた。

 息を深く、吸う。閉じた瞳が再び開いた時、覚悟がそこにあった。


「……いつわかったの」

「監獄塔でお会いしたときです」と踵を返す。「騎士の皆さんは訓練されているから分かりにくいのですが、オリアナさんはかろうじて重心が左右でねじれているんですよね。振り返る時や歩き方を見れば顕著ですけど、要は第八種の泌尿器型の傾向があるのですよ。それにしては左足の踵のすり減り具合は逸してますし、どうも右腹部周辺に患部があるのではと。また、剣を握って振った時の手も違和感がありまして、ガントレット着けてるので確証はありませんがたぶん手指と手首、腫れてるか硬くなってる可能性があるとみました。なのに、関節のぎこちなさはあまり見られない。質問ですが、冷たいもの触ったときに指が白くなることってありましたか?」

 心当たりはある。魔女の言葉にオリアナはただ頷くことしかできなかった。


「それに、摂取してた携帯食も便利な乾パンでなく液状やゾル状のものが瓶に入った飲料物ばかりでしたので、消化器官がうまく働いていないのかなと」

「あと」と魔女は続ける。「髪の色は黒、そのラバ語も若干北方区域のなまりがありますし、皮膚の色と顔の骨格的にレテノール人なんですよね。狩猟民族の彼らも同じ第八種の傾向が強めなので。でも瞳は藍色でなく紫。充血に近い瞳の溶性赤色化と皮膚や内臓の硬皮症は結晶病の特徴です」

 説明が終わるも、オリアナは反応しなかった。否、できなかった。バレないよう努めていたはずが、ほんのちょっとした所作を突かれ、見抜かれてしまうとは。


 フ、と思わず笑ってしまう。諦めたような目は、彼女の固い口を動かした。

「インドールの言う通り、油断も隙もない。まるで医師ね」

「まぁ病状が悪化している場合、服を脱いでもらったら一目で分かるのでこの推察もあまり意味をなさないのですが、それはそうとその病の治療法は確立されていないのですか?」

「残念ながらね。加えて魔女の呪いだと未だに上のジジババ共は信じ切っている。バレたら処刑だよ」

「ひぇー怖いですねぇ」と他人事のように呟くと、じっとオリアナを見つめた。

「よければ治しましょうか?」

 オリアナの目が丸くなる。喉から出そうになるいくつもの疑問と本心。だがそれを飲み込み、一度噤んでから視線を落とした。


「……悪いけど、その手には乗らない」

「紛れもない善意で提案したのですけどオリアナさんはそれを踏みにじるのですね」

「今すぐ監獄塔に戻る?」

「ごめんなさいもう言いません。でも企みはありませんよ本当に」

 言動は薄っぺらいと感じるも、裏がないように感じられるのはどうしてか。つい、口を開いた。


「この病気、ある魔女にやられたの」

「詳しくお聞きしても」

 その声は真剣だった。

 魔女同士で何か情報を持っているかもしれない。安易な考えであるも、私情を優先してしまったオリアナは静かに息を吸い、口を開いた。

「10歳頃、あたしの故郷はそいつに滅ぼされた。家も焼かれて、家族も友達もみんな連れていかれたの。……抵抗した人は殺された」

 右腕を抑える。皮膚と骨、筋肉を通じて感じる異物感と痛みに、ふつとした怒りが湧いてくる。だが、それは無意味なものだと、彼女は燻ぶらせたままにした。


「あたしもその一人になるはずだった。でも、あいつに針を刺されて、腕の中に何かの液体を入れられた。たぶん、それで結晶病になった。魔女の発生を聞きつけた騎士団に拾われたけど、尋問が地獄だったね。あたしを魔女だと決めつけやがってさ。バカばっかりだったよ。でも、処刑されずに済んだのは教皇のおかげといえばいいのか」

「祖より信者の方が信仰深いともいいますからね。それで何と?」

「”魔女を狩れば償いはできる”ってさ。どいつもこいつもろくでなしだよ本当に」

 侮蔑と諦観の目をため息とともに地面に落とす。

「でも素養はあったみたいですね」

「腑に落ちないけどね。でも、それであの魔女に会えるならいい機会だった。犠牲もあったけど、片っ端から潰したよ。……で、見つけた」

 けど、とオリアナは声を落とす。右腕をぎゅっと左手で握った。


「”ヨスガの魔女”。やっとつかめたのはその二つ名があることと、一年前のあたしじゃ到底敵わない存在だったことくらい」

「……」

「指一本触れるどころか、近づくこともできなかった。命はなんとか繋がったけど、魔女狩りからは外されたね。手がかりも全部失った」

「それでヘルマン隊に」

「そういうこと」とオリアナ。

「傷も癒えてないし、体も思うように動かない。もうあたしに残された時間はないだろうし、上もそう思ったんだろうね。あんたの監視役という最後の仕事を任されたってわけ」

「つらかったでしょうに」

 その言葉は本心なのか。それを問い詰める気にもならないオリアナは吹っ切れるように返した。

「そういうわけだから、魔女の言うことは信用できない」

 一度、リクシーレは空を仰ぐ。ふぅん、とつぶやきを落とした後、

「頭堅いですね」

「話聞いてた?」

 同情の言葉は何だったのか。それとこれとは別だと言わんばかりにリクシーレは口を開く。

「男性とデートの約束をしたのにすっぽかされたから男は信用できないって言ってるのに近いですよ。わかりますか?」

「それと魔女は別でしょ。そもそもそんな浮ついたことしたことないし」

「例え話ですよ。同じパンでも使う酵母や素材、作る人や風土が異なれば味も変わります。パンも男も魔女も多種多様なのです。要は試行回数を増やして、別の側面を見てみないと狭い世界に囚われたまま。それってつらくありませんか?」

「……どのみち、あんたにはそれを作る時間なんてないでしょ。この一件が終わったらもう会えないんだから」

「そうなのですか?」と首を傾げる。

「いやだから……まぁいいわ」

 後ろ頭をかき、もはや何も言う気にはなれなかった。代わり、リクシーレが両手を広げて話し始める。


「幸い、ここはいろんな素材が取れて、いろんな国と繋がっては物品が集まって、いろんな材料を作っている職人の国ですから、結晶病の治療のヒントになるものも出てくるかもしれませんね。私個人、捕まったのがラバでよかったと思ってます」

「例えば」と薬師店の店頭に置かれている、赤い粉末が入った小瓶へと手を伸ばしオリアナに見せる。

「この赤霊茸薬はかつてエリクシルという万能薬の原料だといわれるほど様々な症状を抑制し、自然治癒力を促進させる効果があるのですよ。調合次第ではいくつかの特効薬に展開できたりしますので、今でも盛んに研究されています」

「おい嬢ちゃん、蘊蓄垂れるのはいいが勝手に商品触るんじゃねぇぞ。それ買うってんならいいがな」


 話し声が聞こえたのか、店の奥から初老の店主が顔を出してきた。薬師というより鍛冶屋の親方にも見えるがたいのよさは、普通の人であれば一歩引きさがるだろう。口元を覆う無精髭も手伝って、その強面を見れば海賊と差し支えない。

「てことでオリアナさん、買っていいですか?」

「なんでそういうことになんのよ」

 特別恐れる反応のない二人はそんなやりとりを始める。

「失踪事件の解決に必要なんです」

「それ言えば何でも許されるって思ってない?」

「なんだ、あんたらも集団失踪の捜索やってんのか」

「ええ、そうですが」とオリアナ。薬師は睨むようにふたりを見る。つま先から頭頂部まで、何かを見定めるような目つきに、オリアナは身構えそうになる。

 数秒の間が流れると、薬師は腕を組み、口元を覆う髭を動かした。


「最近、町のガキ共がユリア湾で遊んでいることが多くみかけるようになってよ。漁船や貿易船が出入りするってのに邪魔で仕方ねぇ。挙句の果てに湾岸から飛び込んで水遊びしだすしよ」

「子どもがですか?」

「ちなみに大体の年齢はわかります?」

「知らねぇが、ふたりは近所の見知った奴だったな。そいつらはマブだったが、先月と先週、音沙汰なく消えたって噂は聞いたわい。もしかしたら、湾岸に何かあるかもしれねぇな」

 あくまで可能性に過ぎないが、糸をつかめた感覚をオリアナは抱く。

「毎日やかましかったってのに、ここんとこは静かでよ。なんだかんだ、活気があったのはああいうガキ共のおかげだったと思わされるわい」

 強い語気の中に混じる憂い。それを読み取ったオリアナは尋ねた。


「けどどうしてこんな貴重な情報を? 騎士団やギルドに報告した方が良さそうですが」

「最近はどこもかしこもなにかとピリピリしてるからな。信じられねぇ話、下手すりゃ情報提供者が疑われる。それによ、俺はああいった連中はあんまり好かねぇんだ」

 腕を組んだまま、ふたりを見つめる。鋭い目つきであることに変わりないが、どこか期待のそれと温かさがあった。

「だがあんたらふたりはどうも違う空気を感じる。ま、薬師の勘だがな」

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