4.拒絶と悲痛

 ラバ王国は冶金術が古来より盛んだったために、今もなおそれが発展し素材の加工や製造等、錬金術をはじめとする工業的な技術が浸透している。それを買って、幾つかの国と交易し、加速的な文化・技術の進展が近年みられている。歴史の転換点だと述べる者も少なくない。

 その影響もあり、ジーエール修道院に付属する発明工房施設も錬金術に関する設備が十分に整っている。特別な許可を経て、一定期間の貸切りが二人に与えられた。予めインドールらの采配もあったのだろう。


 天秤はじめククルビットからバン・マリまで。エタノールから硫酸、少量であるも白金の粉末まで。そして昨今の錬金術の象徴でもある単系式錬成ポーカス法専用の錬成釜と錬成炉に加え、近年開発された精密多段錬成ウッドワード法専用のマニホールドや複合変性クリップ法専用の蒸気式粉砕・混錬機と熱包マッフル炉、そして錬成物を分析する器材の数々――多種多様な薬品や実験器具、装置が配備されている。

 壁一面のガラス棚に詰められた無数の薬品瓶を眺め、形容しがたい異臭にオリアナは顔をしかめる一方、リクシーレは子どものように目を輝かせていた。


「さすが資産も事業も盛んな国は違いますね。設備も試薬も整っています。原材料も十分」

 そうリクシーレは薬品を取り出して一つ一つを見つめる。

「まさかとは思うけど、ここで一晩過ごさないでしょうね」

「え、そうですけど」

 開いた口がふさがらなかった。

「オリアナさんは寝ていて大丈夫ですよ。私は逃げませんし、そちらが不利になるようなものを作るつもりもありませんから」

「信じられるかっての。これで不祥事起こしたらあたしだけの責任じゃなくなるからね」

「さすが監視官。ご立派です」

「馬鹿にしてんの?」

「でも、具合悪くなるなら外で見張っていてもいいと思いますよ。確認できないのが不安ならそこの出入口も開けっ放しで問題ありませんし」

 腰のポーチから小瓶を取り出し、薄紅色の液体を一気に飲み干す。実験台にドンと置いたオリアナは目を見開き苦い顔を一瞬だけ浮かべるも、目を鋭くさせ口元を拭った。


「余計なお世話」

「ひゃー、騎士道もそこまでいきますか」

「少しの間の辛抱。あんただって悠長に構えていられない状況なんだから、しっかりやんなさいよ」

「ええ。もちろんですとも」

 魔女は信用できない。特に掴めない存在には。善意の裏に悪意があれば、オリアナはそれを完全とはいかなくても見極めることはある程度できるようになった。だがどうしてか、この自由奔放な魔女にはそれらしさが見えない。故に困惑していた。

 この人は違う。それが良い意味か否かは分からない。だが、どこか気を許してしまいそうになるのも否定できなかった。

 薬品を探し、器具同士を繋げる魔女の背中。それをオリアナは入り口の傍へと引いた椅子に座りつつ、見つめていた。


 鼻につく臭いで眉をひそめながら朝を迎える。ハッとし起き上がったオリアナはすぐさま魔女を探すも、目立つ白い髪はすぐ目についた。その後ろ姿は寝る前と変わらない。振り返りざまに挨拶をされ、反射的にぽつりと返す。

「その水剤も課題がありましたね」と魔女は笑ったのが妙に腹立たしいとオリアナは息をつく。優れた滋養強壮の効果があろうと、長旅の疲れや元々の不調までは補えなかったようだ。


 携帯食で朝食を済ませては(リクシーレは不満そうだったが)錬金工房の施設を後にし、ふたりは町中へ出る。リクシーレは白いフードを被っては顔を見えにくくさせており、彼女より一歩前へ進むオリアナは引きつれるように歩く。それがどうも違和感があって仕方ない。


 ああ見えて災厄の権化。鎖にでも繋げて檻に閉じ込め、複数の兵士に囲われたほうが厳重でいいだろうとかつてオリアナが言っていたが、曰く束縛が大きいほど、魔女の呪いが強まるのだという。現に数年前、それで数名の優秀な兵士がその場で倒れ、檻や鎖がひとりでに腐食した逸話がある。だが魔女は逃げなかった。その理由は知る気にもならないが、現に監視役一人と最新の魔法回路が搭載された石枷および首輪だけで問題なく済んでいる。


 振り返る。コート越しでもわかる曲線美と主張が控えめかつ豊かな母性の象徴。手足もすらっと長く、一挙手一投足が目を惹きつける。眉目秀麗に咲く翡翠の瞳が会うと、天使のような微笑を浮かべ首を小さくかしげた。


(黙って歩けば美人なの、なんか腹立つ)

「考え事ですか?」

 気になったのか、リクシーレは声をかけた。その澄んだ声も心地よく耳を通る。

「別に」と前へと視線を戻す。

「悩んだとき、こうやって散歩するといいですよ。私も捕まる前は毎日やってまして、考え事がまとまるんです。静かな早朝がオススメ」

「あっそ」

「私のこと、お嫌いですか?」

 オリアナの前に出、ひょいと下から覗き込む。

「魔女のこと好きになると思う?」と目を逸らす。

「嫌いになるきっかけでも?」

「どういうことよ」


 ううん、と頬をぽりぽりとかいて唸ったあと、口を開く。

「人々の多くは実害なくても限られた誰かの話を鵜吞みにして嫌悪しますが、オリアナさんは違うんですよね。魔女の話題になるとちょっとだけ視線鋭くなりますし、一度短い鼻呼吸をしますから、臨戦の態勢が伺えます。抑えているのでしょうけど憎しみを感じますね。ただ、それを信念としているにしては穏やかな声色なので根っこは……いえ、むしろ諦めともいえる達観を感じます。あ、違ったらすいません」

 ズカズカと土足で踏み入るような、それこそ観察されているような気がして、気持ちの悪さを覚える。それに反し、理解しようと努めている姿勢も否めなくはない。なんにせよ、気持ちを主張することが苦手なオリアナは無愛想にそっぽを向いた。


「……勝手なこと言わないで」

「はぁい」と素直に返したが最後、違和感を覚えるほどに静けさが訪れた。鳥のさえずりや人の歩く音や話し声、馬車の車輪が転がる音、町に吹く穏やかな風が雑音として耳に入ってくる。

 王都に次いで大きな都市であるジーエールは活気に満ちている。だが、よく見るとどこか陰りがあるのも否めない。一部だけなのだろうが、やはり集団失踪事件の話題で持ちきりなのだろう。未来を憂う声も風に乗って聞こえてきた。奥の通りに、別の隊の騎士団らが横切って街角へ消えていくのを目にする。


(すぐに原因を見つけて、子どもたちを見つけないと)

 騎士団も互助会も、教会もギルドもこの一件について深刻にとらえていることは町の様子から見て間違いない。だが、一年経っても尚、まったくと言っていいほど収穫がないのが現状だ。挙句の果てに魔女に頼らざるを得ない状況になり、民衆は組織に対する信頼性をなくしていることだろう。

 故に、語られることがなかろうと、リクシーレとそれを連れるオリアナが最後の砦に等しい。その責任は王政がとってくれるだろうと、ふたりの身がそれで守られるとは限らない。


(まぁ……こうなったのも何かの運命かもね。嫌だけど)

 連なる三角屋根の間から柔い日が差し込む。日も徐々に昇ってきた。

「ここね」とオリアナは一軒家の玄関前に立つ。白漆喰で塗られた石と木組みの3階建て。失踪した子どもの家族は当然ながら身分も問わない。石階段を二段上り、木の扉をノックしたとき。

「なんであたしより前に立ってるの」

「一度やってみたかったんです、事情聴取」と体を左右に小さく揺らす。

「立場分かってる?」

 オリアナがいくら眉を顰めようと、うきうき顔は変わらない。そして得意げだ。

「まぁまぁここは私に任せて。初対面は笑顔とフレンドリーシップが肝心ですから」

「悪かったね無愛想で」

「誰もそんなこと言ってませんよ。オリアナさんはクールビューティーで私は好きです」

「物は言いようね」と零す。

 足音が聞こえ、ふたりは扉を見る。開錠の音、そして恐る恐る扉は開かれる。

 出てきたのは30代の女性。質素な容姿だが、その顔はやつれており、あまり眠れていないように見える。生気を失っているそれは、まさに件の被害者といってもいいだろう。

 聞こえるか否か、鳥のさえずりよりも小さな掠れ声を二人は拾った。


「……何か」

「あっ、えっと、そのぉ……へへ」

 先頭に立っていたリクシーレは途端におろおろしだし、両手同士触ってはもじもじする始末。一瞬目を丸くするも、オリアナはすぐにリクシーレをどかし、自ら女性の前に出た。

「王国騎士団ヘルマン隊の者です。児童の集団失踪事件についてお聞きしたく――」

「帰って!」

「……っ」

「話すことなんて何もない! いいからどこかにいって!」

 悲痛の叫びに等しい女性の反抗を最後に強く扉を閉められる。金属がぶつかるような小さな音が聞こえ、静寂がふたりを残した。明らかな精神の不安定さを間近で見たオリアナは無言で引き返す。疲弊しているなら、ろくに話すのも難しいだろう。

 靴底を石畳の通路に打ち付け、小さく鳴らす。


「上手くいかないものですね。いやぁ怒られたときはびっくりしちゃいました」

「あたしはあんたの急な人見知りっぷりにびっくりだよ。本気で謎なんだけど」

「いざ対面すると頭の中真っ白になっちゃって。オリアナさんは平気ですけどどうしてでしょうか」

「知らないわよ馬鹿」

「でもおかしいですよね。封建制度から変わりました?」

「騎士団にも種類があるの。騎士団は身分高いけど、あたしのいるヘルマン隊は例外で、なんというか、腕っぷしはいいけど訳ありのやつらだけで編成されている。編成といっても統率はお察しで権力もあってないようなものだし、騎士団の狗だと民衆が知っているのもあってああいう反抗を咎める人はいないってわけ。まぁ家族を失ったと思えば、感情をぶつけたくなる気持ちはわかるよ」


 胸のプレートに埋め込まれた、十字架盾のシンボルを指で触れる。その上からX字の傷が刻まれていた。

「それで私の監視を命じられたのですね」

「そういうこと」

「では気を取り直して次のお宅に突撃しましょう。10件訪問すれば1件くらいは協力してくれますよ」

 そう言い、リクシーレは石階段を上る。

「人の気も知らないで」とため息を一つ。これでいいのかと疑いも拭えないまま、後に続いた。

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