3.叡智の塔
「まぁすっごい資料。ここで暮らしてもいいですか?」
「ダメに決まってんでしょ」
そんな返答もよそに、竜の魔女――リクシーレ――は空を恋う少年のように小走りで紙束の森を仰ぐ。早速目についた古い資料を手に取ってぱらぱらとめくり始めた。その突飛かつ奔放さに、オリアナが「ちょっと」と少し焦るほど。仕方なく、オリアナからリクシーレの傍へと近づく他なかった。
連れた先は叡智の塔と称される王立図書館――の地下資料室。土地の都合上、王都でなく隣の海港都市ジーエールの山側に位置するここは蔵書の保管だけでなく、歴史や税、人口や魔物の生息域など、ラバ王国のすべてに関する記録もあり、日々増え続けている。
石の天井と壁、床に埋め込まれた発光石は眠たくような明かりをもたらす。陳列する壁の表裏のみならず、地上階を支える柱周辺にも資料が万遍なく並んでいた。
先ほどまでの饒舌が嘘のように静まる。ただ紙の捲る音がリズムよく聞こえるだけ。数分もしないうちに記録の束を元の場所に戻しては次の気になる情報を求め手足を動かしていく。とてもじゃないが、人が読む速さとは思えないとオリアナはまじまじと魔女の読み捌きを見ていた。
(ようやく片鱗を見せたか。にしても)
なぜ現状でなく過去を地道に見返しているのか。それに魔女ならより超常的な手法あるいは特別な魔法で捜査するものだとオリアナは想定していたが、その期待は叶わなかった。
ともかく、長くなりそうだ。
オリアナはつまらなさそうな顔で傍の椅子にゆっくり座り、腕を組む。
「失踪した子どもの年齢幅はわかります?」
唐突に魔女は訊く。視線は手元の資料に落ちたまま。
「全員10歳を迎えたばかりの子どもね。それも、都市全域で」
「10歳だけですか?」
「犯人は情報を網羅した、周到で計画性の高いグループだとあたしらはみている。だけど魔女の誘いだと主張する声も少なくない。10歳児は境目を越える最初の年齢で、その時期にしか生じない特別な力があると古くから云われているからね。それに魔女なら一人で証拠を残さず集団失踪を引き起こすことも可能だろうって」
「動機と実効性の正当性を優先した結果、魔女の疑いに注目していると」と小さく肩を落とすリクシーレ。「障がいや疾患持ちもその中に?」
「例外なくね」
「一応訊きますけど、拉致の痕跡があった例はひとつでもありましたか?」
「調査隊の報告が正しければない」
「そうですか」と生返事をしては次の史料へと手を伸ばす。ちょうど目に入った題目にオリアナは首を傾げた。この王都に入出する物流記録の報告書一覧だ。商業的外交記録を含むそれにも目を通すリクシーレに、オリアナは眉をひそめる。
「そんなの読んで何になるの」
「あっ、今の一言ですっごいやる気なくなりました」
「知らないわよ。それにさっきからなんで風土記やなんかの記録ばかり読んでるの」
資料置きテーブルの傍の椅子に座ったリクシーレの視線は史料へと戻り、むすっとしながら口を動かした。
「神隠しや誘拐問わず、ルート構築するために地理条件が欠かせません。魔力の自然的な流れを示す”龍脈”もこれに依存する話もありますけど、今は相関があるとしか言えませんね」
「それで物流記録や経路も見てたってわけ」
腕組むオリアナに魔女は頷く。
「あと誰かの仕業なら歴史や文化風習とこの国の性格を知っておけば動向が掴めるかなって。知りませんけど」
仕返しのつもりなのか本人の気質なのか、その適当ぶりに呆れてものも言えない。自分が思う解決のイメージから離れていたオリアナは腰に手を当てる。
「てっきり、呪術的な儀式で解明するのかと思ってたけど」
「あるにはありますけど……準備も面倒ですし精度低いのでお勧めできないですね」と微妙な顔。「あと専門外ですし」
「魔女なのに?」
「魔女にもいろいろいるのです。とはいえ、未知の術で欲を叶えて害をなす
他人事のように話しているとはいえ、その被害者ぶった口ぶりに納得いかないのだろう。オリアナの返す言葉には反論の意思があった。
「魔女は災いをもたらす。少なくとも……」
開きかけた口を噤む。何かを飲み込むように間を置き、今度は小さく言葉を吐いた。
「そいつらのせいで不幸になった人は少なくない」
その言葉にリクシーレは答えなかった。オリアナは見上げ、資料に集中している彼女を目にする。
素なのかわざとか。それすら考えるのも面倒になった彼女は椅子に座ったまま、テーブルに置いてあった資料に手を伸ばし、ぱらぱらとページを適当に捲った。
昼下がりだったはずがすっかり夜も更ける。目を閉じていたオリアナも自然と目を開け、手元の許可証へと視線を落とす。夕刻頃、訪問してきたトマルクから受け取った特殊罪人同行許可と指定施設の利用許可等のパスカードだ。それを懐にしまい、リクシーレを視線で探す。
彼女は変わらぬ姿勢でいまだに資料を読み続けていた。立ち位置が変わっている以外変化が見られず、時間がそこまで流れていないと錯覚しかけた。
「なにか進展はあった?」
「ええ、それなりには」とリクシーレは振り返る。口元に曲げた細い指を当て、くすりと笑う。
「何かわかったの?」
「ふふっ、それがですね。さっぱりわかりません」
自信満々のあまり、自分の聞き違いかと思ったほど。期待の目が消えたオリアナは唖然とする。
「冗談はやめて。あんた魔女なんでしょ?」
「応援してくれたら頑張ります」
「ふざけないで」
「ちぇー」と頬を膨らませながら史料を閉じ、元の場所に片づけた。しかし再び振り返った彼女の顔から不機嫌さはとうに消えていた。
「とりあえずオリアナさんが休んでいる間、気になる史料は簡単に目を通しましたので、れっつらごーと行きましょうか」
その言葉が嘘か誠か見届けていないので知る由もないオリアナだが、今にも部屋を出ていきそうな彼女の前に立とうと腰を上げた。
「どこに」
「子どもたちの親御さんのお宅に。ですので都市の散策許可をお願いします」
「却下」
「オリアナさんのケチー」
「あんた魔女でしょ。罪人ってだけでも騒ぎになりかねないのに災害そのもの引き連れて町中歩いたらどうなることか。あたしも危ないんだから」
「えー」と不満げに眉を下げる。「解決の糸口はいつだって現場と現物と現実にあるっていいません?」
「まず自分自身に置かれた現実を見なよ」
「そもそも顔知られてましたっけ」
「いや。あることないこと噂されてるけどね。でもあんたみたいな白髪で人形みたいな若い女なら目立たないほうが難しいわよ」
「えへぇ、褒めすぎですよ」と顔を赤らめ溶けるように表情を崩す。
「褒めてないし。とにかくダメだから」
「大丈夫ですよ。パパっと行ってちゃちゃっと話聞いてササっと帰れば問題なしです」
「適当すぎない?」
「条件4つ目。散策の許可を」
「付け足すな」
初対面の時に見せた魔女の威厳(自称)の声を凄みの表情と共に出すも一蹴される。途端に悲しそうな顔を浮かべ、
「わかった。半日だけだから」
「やったー! オリアナさん大好き!」
急に抱き着こうとしたリクシーレを躱し、柱にぶつけさせる。
「馬鹿言ってんじゃないわよ全く」と腕を組む。「町への外出は明日の八刻目から。それまではおとなしくしてもらうよ」
「それなら錬金工房に連れて行ってくださいませんか? 牢屋より、そこでなら私おとなしくできる自信あります」
「何作る気?」とオリアナは意図を読む。
「下拵えに近いですね。錬金術にも準備は必要ですし、工房に何があるのかも確認したいので。……めっちゃ疑ってますね」
「当たり前でしょ。あのときから思ってたけど、そもそも必要なのかさえ疑問だからね」
「呪いを解くために薬を錬成する、犯人との交渉や衝突に備えた道具を作る。今のはほんの一例ですが、考え得るケースはなるべく多く想定しておいた方が良いでしょう。『あのときこれをやっててよかったぁ、私天才!』って私は言いたいです」
それに、とリクシーレは付け足す。
「子どもたち、見つけるんでしょう? 少しだけでも私のこと信じてみませんか」
ずるい女だとオリアナは思う。だが、ここで強情になっているのが自分だと同時に気づく。最大限の疑いをかけることに越したことはないが、本来の目的を叶えられなかったら意味はない。
オリアナはその翡翠の瞳をまっすぐと見る。動じることなく見つめ返されるそれに、嘘は見られない。言動といい表面的な思考といい、これまで接してきた魔女とは違う。誰も友好的でなく、そうだったとしても騙そうとしていたケースがほとんど。
(いや、それだけだったか?)
怒り、怯えていた顔。剣と血の先に見えた魔女の素性は、教わってきたものより随分人間的だった気が――。
ハッとする。むしろ戸惑いの目を見せたのは自分自身だと気づいたオリアナは、竜の魔女の言葉を返した。卑怯にも、背を向けようとしながら。
「……反抗する動きが少しでもあれば叩っ斬るから」
「ありがとうございます」
微笑むリクシーレからそっぽを向く。冷静なはずの気持ちは混ざり合ったままだ。
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