2.先行き到底不透明

 浮岳山の上に立つ監獄塔から連行し、王都手前の高台に位置する砦へと場所を移す。教会の影響下もあり、そこはゴシック建築を採用している。

 魔女の力を弱めるための「清浄の儀」も苦悶の顔の一つもなく済まされ、黒い下着と黒手袋にブーツ、その上から白い団服を龍の魔女は身に纏わせられた。加えて手錠代わりに紅色を帯びるバングルと首輪が付け替えられる。

 そして要望通り、砦にある倉庫から望むだけの食糧を、食堂で待つ魔女に提供した。身なりを整える常識はあるのか、背中まで垂れ下がるほどの長い白髪の右側はワンサイドに寄せられていた。そのままドレスを身に纏えば公爵令嬢と名乗っても差し支えない。その美しさは魔性ともいえよう。


 だが騎士らは戸惑った。一瞬のうちに影武者が入れ替わりでもしたのかとトマルクが呟いたほど。先ほどの魔女の威厳はどこへやら、目の前の食糧の山を前に目を輝かせながら頬張るそれは、ただの食いしん坊な少女のようだ。

 野菜果実、穀物、干し肉に塩漬けの魚。料理とは言い難いそれらを褪せたナイフとフォークで迅速に平らげていく。


(食べ方丁寧なくせしてどんだけ食べるんだよ)

 その所作を見れば、王室の食卓を錯覚させる。だがすぐに首を小さく振ったオリアナは息をついた。


「あんた、自分の立場分かってる?」

 咀嚼しながらこくこくと嬉しそうに頷く。その挙動もまるで子どもだ。

「信じられねぇ、一か月分食ってるぞ。胃袋どうなってんだ」

 呟くトマルクをよそに、頬張る魔女は飲み込んでは前の席に座るオリアナに話しかける。二十歳相応の落ち着いた、しかし可愛いらしさも残した声だった。礼儀には欠けていたが。


「オリアナさんっておいくつなのですか?」

「気安く話しかけるな」と冷たい返しに厭わず、魔女は笑みを向ける。

「お綺麗な騎士様だと思ったのでつい気になっちゃいました。私は今年でたぶん322歳7か月になります。それでオリアナさんは?」

「いや……はぁ、18」

 しつこさだが人懐っこい様に折れた女騎士に対し、魔女は目を輝かせて感心する。

「お若いのに立派なのですね」

「そりゃどうも」

「おい、あまり干渉するな。なにを条件に仕掛けるかわからないんだぞ」

 傍に立つインドールは警戒を緩めない。首を彼に向け、魔女は細い眉を下げた。

「悲しいこと仰るのですね。ただの世間話のつもりだったのですが、それより皆さんのご趣味は――」

「いいから食べなって」


 時間は有限。催促させ食べさせるも、彼女のペースが落ちることがなかった。木目の卓上に出された食材はすべて平らげたにも関わらず、彼女の流麗な女体は維持されたまま。

「ごちそうさまでした。ふふっ、とてもおいしかったです」

「あっそ」

「たくさん食べたら眠たくなっちゃいました。少し横になってもいいですか?」

「いや何を言って――って嘘でしょ」

 椅子から転げ落ちるかの如く降りると、猫のように床に丸くなって寝転び、そのまますぅと寝付く。呼びかけても静かな寝息を立てるだけだ。

「……本当に寝てる」

 顔を見合わせる。望み薄だな、とインドールとトマルクは肩をすくめた。


 それから十二刻を経た――すっかり陽も昇った頃に魔女の翡翠の瞳がぱっちりと開く。傍で監視するほかないオリアナは仏頂面で壁に腰掛けており、モゾと動いた罪人をただ見下した。

「あ、オリアナさんおはようございます。いっぱい寝ちゃいました」

「……」

「あら、おふたりの姿が見えませんが」

「別の仕事で帰った」

「お疲れ様です」と床に座ったまま会釈。「オリアナさんも大変ですね、罪人相手に一人だけだと負担が大きいでしょうに」

「余計なお世話」

「でもいいのですか? 前に釈放されたときなんて厳重がすごいのなんので、手足どころか口と目の自由も与えてくれなかったんですよ」

「その腕輪と首輪があれば十分。あんたがあたしから離れたり魔法を発動すれば全身麻痺だし、”血沸きの竜”でも秒で意識ぶっ飛ぶほどのショック魔法も兼ねているから変な真似はできないよ」

「まぁ、少し眠っていた間に技術も進んでいるのですね」

 脅しのつもりが相手は感心した様子。つまらなさそうに見たオリアナは腰を上げた。

「早く立ちな。王立図書館の入館許可が出たからまずはそこに連れていく」

「いいのですか? そこに魔女が入っても」

「要求したのはあんたでしょうが」と呆れる。「それに、釈放を推奨したのは宮廷側だから、制約はあるけど工房の設備も問題なく使えるってさ」

「わぁ、ありがとうございます。ここの国の錬金術は進んでいるので好きなのですよ。にしても王様たちって都合のいい時にしか頼らないですよね」

「口には気をつけなよ。こっちにはいつでも処罰できる権利があるんだから」

「そうそう、感想をお聞きしたいのですけど磔にされていたときの私、魔女っぽかったですか? あのときがんばって雰囲気作ってみたんですよー。魔女たる者、最初のインパクトは大事なのです」


 指を立て、得意げに胸を張る――同時、魔女の鼻先に剣の切っ先が触れた。騎士の剣幕に、魔女もふと流暢な口が止まった。

「あら」

「ふざけるのも大概にして。油断させようたってそうはいかないから。それと、あんたにとってはどうでもいいだろうけどね、こっちは一刻も早く子どもたちを見つけなきゃならないの」

 こんなおふざけに付き合っていられるほど、事態は軽くない。国と宗教問題、民衆の反応……各々の価値観や規約が絡み合い緊迫した中、一縷の望みになるかもしれない、ハイリスクハイリターンの秘密兵器。魔女に抱いていたもともととは別の感情が、苛立ちがオリアナの感情を静かに昂らせていた。


 だが、それを越える名状しがたい感情が彼女の頬から脳へと突き抜けた。綿のように柔く、少し湿ったような小さな温もり。ふわりと芳りが鼻腔を撫で、目の前には信じられないほどまでに美しい魔女の顔があった。

 理解した瞬間、顔を火のように噴かせたオリアナは口唇を抑え、咄嗟に魔女から離れた。


「な、なな何を――」

「可愛かったからキスしちゃった」

「こっ、ここで斬り殺してやる!」

 躊躇いなく剣を振るも、ひょいと避けた魔女はそれを気にすることはない。今の出来事がなかったかのようにくるりと背中を向け、ガラス越しの景色を指さした。

「ねぇねぇオリアナさん。窓開けてもいいですか?」

「話を逸らすな!」

 という間に遠慮なく両開きの窓を開放する。ぶわ、と風が入り込み、真珠色と漆色の髪がそれぞれ靡く。まだ肌寒い朝風が、オリアナの熱を冷ました。

「わぁ」と魔女は目を輝かせる。広がる景色は果てなき空と町、三日月形の湾岸。そして海の水平線が陽光を照らしていた。

(伝説も本当か疑わしくさえ思う。本当に300年も生きたあの竜の魔女なの?)

 こんな奴が力になるのか。奥歯をかみしめるも、出鼻を挫かれたオリアナは怒りを剣と共にしまう。彼女には一件を解決してもらわねばならない。


「風が気持ちいいですね」

「~~っ。……あぁそう」

「潮の香りがします。この風はきっと、あの水平線の向こうへと旅立っていくのでしょうね。……いいなぁ」

 変なことを言う。そう感じるオリアナは腰に手を当てた。

「街並みも前に見たときより変わってますね。領地も東の方角に向けて拡がってますし、煙突の数も3割ほど増えてます。思えばこの建物の壁もだいぶ色褪せてるかも」

「よく覚えてるねそんなこと」

「ええ、それなりには。でも、20年経ってもあの空は変わりないから安心します」

 オリアナへと振り返り、笑う魔女は王宮庭園に咲くコレオシプスのよう。朝日に照らされる白髪は冬曙の湖を思わせる。

「ありがとうございます。この景色を見せてくれて」


「ありがとうもなにもあんたが勝手に……」と呆れつつ目をそらす。「そもそも外に出したのは失踪事件を解決するためだから。当然、この一件が終わったら戻ってもらうよ」

「それなら今のうちに満喫しましょうか」

「罪人が一端に満喫できると思わないで。勝手な行動をすればすぐにでもぶちこむからね。……いやしゅんとしたってダメなものはダメだから」

「私とオリアナさんとの仲なのに」

「いつ仲良くなった」

 調子が狂う。きりがないとオリアナは部屋の出口へと足を向けた。

「いいから早くいくよ。タダ飯も食わしてやったんだから、魔女どうこう関係なく、あんたにはしっかりやってもらうから」


「あのー」と魔女は唐突にいう。「できればリクシーレって呼んでください。リクシーレ・スティーブンソン。かっこいい名前でしょ」

「変わった名前ね」

「それ初対面の人に言うと嫌われますよ」

「仲良くなるつもりもないから問題ない」

「オリアナさんぜったい友達いませんよね」

「あんたも大概よ」

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