リベラリズムの風が吹く
多部栄次(エージ)
1.竜の魔女
オリアナ・ロンズデールの命日は今日になるかもしれない。そう思う本人の足取りは、重厚な鎧も手伝って鉛のように重たくみえた。
鋼を打ち鳴らす石畳の無骨な廊下は薄暗く、彼女ら3人の進む先を導くのは腰に提げたカンテラのみ。
「なんであたしが監視役やらなきゃいけないのよ。それも、あの"竜の魔女"だなんて」
オリアナは一つ結の黒髪を揺らしては口をとがらせる。「死んでこいと言っているようなものよ」
響くも石畳の隙間に浸み込むように消えゆく愚痴を、左隣の青年騎士――トマルクが聞いている。
「ひとつは上の命令は絶対。ひとつは騎士の中で腕が立つ上、高位の魔法や退魔の術も修得している。ひとつは適度に扱いやすい階級にいる。ひとつは人手不足――」
「そんな律儀に理由並べなくていいから」
同期のわざとらしく淡々とした口調を咎めるなり、彼はいつもの剽軽な態度に戻った。
「ま、同情するよ」
「分かってると思うが、この任務の失敗が絶対に許されないことは肝に銘じておけ。あくまで魔女の知恵を借りるだけだ」
先頭中央を歩くインドール騎士隊長は振り向かないまま、別の隊所属の彼女に釘を刺した。身分も階級も異なれど、オリアナの毅然とした態度は変わらない。鋼のような屈強な背中に向け難癖をつける。
「思いますけど、新人に任せることじゃないですよね」
「"魔女狩り"やってたエキスパートが何言ってんだ」とトマルク。
「だからといって手綱を持つ人が一人だけってのはおかしいでしょ」
「信頼してるってことだ。よかったな、これでうまくいけば一気に出世するぜおまえ」
「裏を返せば捨て駒よ。魔女次第じゃ生贄もあり得るし」
「否定はできねぇな。良くておまえの魂一個。最悪は脱獄に加えて大量殺戮」
「やめてよ冗談でもない」
「とはいえ、もう100年近くは生きてるんだっけ」
「300年だ」
どうでもよいと言わんばかりにインドールは返す。それを聞いたトマルクは鉛色の低い天井を仰いだ。
「監獄塔に収容されて20年。処刑のつもりがしぶとく生きちまって、そんで狗みたいに利用されるたぁどんな罪犯したらそんな人生になっちまうんすかね」
「どのみち人類の脅威だ。情けは不要だぞ」
わかってますよ、とトマルクは軽々しく返す。
脅威の力とはいえ、今はここラバ王国の手中にある。宮廷側でどうにもならないこと――特に"魔女"に関する事件――に対し、これまでに2度、一時的に釈放して解決へと導かせていた。魔女という人々の恐れをコントロール下に置いたことは国としても強みになっている。
目には目を。魔女には魔女を。いとも安直な作戦だとオリアナは小さく肩を落とした。魔女の存在をよしとしないスフィド教会も当然、納得はしてないだろう。民衆にも知れ渡ったらどうなるか。
だが魔女は腐っても聡明だという。神と倫理、摂理に反し、人を呪う罪人の協力を得ることに反対意見が多かった故、何かしらのヒントは持ち帰らないと後が怖いだろう。
変わり映えのない廊下を曲がり、少し進んだ先に重々しい鉄扉と二人の兵が待ち構えている。魔法陣が描かれたそれに付随する南京錠を一人の兵士が解き、兵士二人で体重をかけ両扉を開ける。
「おお、いつ見ても背筋が凍るぜ」
窓一つない監獄塔最上階のホール。その中央に佇むは褪せた銀色の大きな十字架。ここにも魔法陣を模した幾何学模様が回路のように刻まれている。オリアナはぎょっとした。宗教の象徴ともいえるそのオブジェに、件の魔女らしき人型が磔にされていたからだ。
「ねぇ、収容されて何年って……?」
「20年だ」
それは最早収容といってよいのか。細い手足、そして心臓に深々と打ち込まれた銀鋼の杭。そして首に食い込む鎖。垂れる頭から流れる真白の長い髪から覗く顔も含め、その肌は干乾びており、生が一切感じられない。惨たらしく処された白いボロ布をまとっただけの老婆の死体をオリアナはまじまじと見つめる。
「生きてんのこれ」
「ああ」とインドール。「冬眠に近い」
「あたしにはミイラにしか見えないけど」
少なくとも、意思疎通が取れる対象には見えない。その意図を読み取ったかのようにインドールは手袋を外した。
「水をかければ息を吹き返す」
そのときオリアナは熱とも風ともいえぬ、言葉では言い表せない何かの気配と流れをインドールから感じた。だがよく知る感覚――"魔力"を動力とする"魔法"の発動だ。
生命に熱と水分があるように、誰しもがその身の中に魔の力が流動しているという。彼ら騎士も例外でなく、かつその力を制御し戦闘に応用できるレベルにまで洗練されている。
インドールはその手中に大気中と自らの体から水分を集結させる。形成するは魔力が溶解した一塊の水。それを砲丸の如き弾として魔女の顔に当てた。白く長い髪が滴り、十字架の根を濡らした。
パキ、と。
静寂な間に開裂の音が鳴る。他でもない、目の前のミイラの顔に袈裟が刻まれた。それを合図に、乾いた皮膚が剥がれ落ちていく。
「心臓と手足に銀魔鋼の杭を打ち込まれ、封石の鎖で首を絞めたまま磔刑。この状態でも生きているのは、魔女だからとしか説明がつかねぇよ」
「ふたりとも下がれ。……災厄のお目覚めだ」
羽化する蝶のように顔を出すは皴一つない、明光を照らす新雪のごとき乳白肌。真珠色の髪も英気を取り戻し、艶やかになる。草花に水をやるように、縮れていた老躯は伸び、肉付き、曲線美を描く。その様はマグノリアのように瑞々しい。
若く、美しい女だった。
天使を題材にした絵画や彫刻でもこうはなるまい。
ぼうと魔女を見つめるトマルクに、インドールは咳払いをする。水と微量の魔力を得た魔女の変貌ぶりに、オリアナでさえも目が離せなかった。
「嘘でしょ……」
「絞首鎖を外せ」
インドールの指示に従い、トマルクは十字架の後ろに回り首の鎖を外す。静かに肺を膨らまし、血色が戻っていく。
「竜の魔女よ。貴様の力を借りたい」
インドールがそう言い放つも、返事はない。構わず説明を始めた。
「この1, 2年、ラバ王国の海港都市ジーエールにて子どもの集団失踪が相次いでいる。貴様にはその事件の解明――つまり、子どもの捜索と犯人の特定・捕縛を命ずる。猶予は二十日。監視役の下で行動してもらう。許可のない魔法の使用は厳禁。我々に背くことがあれば直ちに再処刑する」
淡々と告げられるそれは命令にしても粗雑の他ないだろう。ホールに響く声が終わり、再び静寂が耳を痛めたとき。
閉じていた瞼が、開く。覗く翡翠がオリアナらを映した。
今にも歌い始めるように、薄紅色の潤んだ唇が重々しく咲く。それは耳障りの良い、しかし安らぎを奪うような重く、冷たい声だった。
「……条件が三つ」
――来た。
一同は身構える。
「言ってみろ」
「当事件に関する情報や資料の開示。それと完備した錬金工房使用の許可を」
「ひとつ目は許諾するが、二つ目の理由は」
「ただの失踪事件では私を起こすまでもない。仮に、この一件に魔女が介在しているのならば相応の準備が要るまで」
既にこちらの意図を把握しているような、先見と俯瞰。間違ってはない、王政やスフィド教会もそう述べていたことを思い出すインドールは頷く。
「許可しよう。して三つ目の条件は」
「”対価”の要求」
息を、唾を飲む。魔女は悪魔と同様、契約や願いを叶える際、必ず代償が伴う。前回は数多の血肉を求めたという。
生贄か、寿命か、要人の悲惨な運命か。冷汗は止まらない。
「何を望む」
永遠にも思える寂寞。その末、一滴の水が落ちるよりも静かに、魔女は言った。
「……ありったけのごはんを」
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