第8話 アメリス、夢を見る
「んっ……」
どれくらい眠ってしまったのだろう、私は半開きの瞼を擦りながら横にいるロストスの方を見る。だがそこに彼の姿はなかった。
「あれ……?」
突如強烈な違和感が襲いかかってくる。わずかに残っていた眠気など吹き飛び、あたりを必死に見回す。すると私のいる場所には何もない一面純白の世界が広がっていることに気づく。
「……明晰夢ってやつかしら」
周囲にはひたすらに白の世界が彼方まで続いており、まさに無という言葉がふさわしい世界であった。
こんな夢を見るなんてよっぽど疲れてたのかも。
以前読んだ本で夢について書かれているものがあった。そこには夢とは無意識に抑圧されたものが形を変えて現れると書かれていたが、こうも真っ白であっては何が表現されているかわかったものでない。
そのうち目が覚めるだろうと、ぼんやりと白い世界を眺めていると、遠くから黒い影が近づいてくるのが見えてきた。
いったい誰なのだろう、ロストスかはたまたヨーデルか。もしかしたら家族の中の誰かかもしれない。夢の中の出来事だし恐れる必要もないと毅然と構えていたが、影が近づくにつれてその楽観的な考え方は容赦無く捨て去られる。
目視で影の詳細がわかるほどまで近づいてくると、影の人物が誰なのか明確になってくる。それは私が世界で最もよく知っているはずであり、それなのにも関わらず夢の中でしか会うことができない人物であった。
あれは私自身?
姿は花柄のワンピースに頭巾と見るからに私と瓜二つであり、背丈も歩き方も私と一致していた。おそらくあれは「私」なのだろう。推測になるのは理由がある。それは彼女の顔には黒い霧がかかっており、その表情がうかがい知れないからだ。もしかしたらあのモヤを払いとったら全くの別人である可能性だってある。だが私にはあの人物が「私」であると直感的に感じていた。
歩く彼女の姿は背景の白さと相まってその異質さが際立っている。
驚きのあまり逃げ出すこともできず、ただ呆然としていた。目の前に自分がいるという光景は決して気のいいものではなく、ただただ不気味なだけである。
そうしているうちに顔に霧のかかった「私」は私の鼻先まで近づいて来ていた。緊張のあまり身動きをとることができず、どうしていいかわからない。
向こうから何か話し出すかと思ったが何も言わず「私」は私の方を凝視している。このままでは埒があかない。夢なのだから早く終わってくれればいいのに。
「な、何の用よ」
なんとか言葉を捻り出し、「私」に問いかける。しかし「私」は依然として口をつぐんだままだ。
「なんなのよ、何か言いなさいよ!」
得体のしれなさからの焦りもあったのだろうか、私は思わず「私」の肩を掴んだ。すると体が揺れるのと同時に彼女の顔を覆っていた黒い霧が顔の下半分だけ霧散し、その口元が明らかになった。その口元はおぞましいほどの満面の笑みを浮かべていた。
すると目元は依然として見えないが、裂けんばかりに上げられた口角から「私」は、
「ああ醜い私。結局あなたにはなんの力もないじゃない。母のような権力も、姉のような頭脳も、妹のような人脈も何もない! 本当に同じ血を分ける家族なのかしら?」
と言い放った。私の声で、私の体で言ったのだ。
そんなことない、私には、私には……!
懸命に頭を回して反論を考える。だが言葉は何も出てこなかった。だって、これは薄々私が感じていたことだから。
ふと不安になる時があった。自分ってなんなんだろうって。その心の部屋の隅のシミを指摘されたような気分だった。
「あなたは何者なの?」
目元を霧で隠して笑い続ける「私」に対して問いかける。するとくくっと喉を鳴らして笑った後、
「『私』はあなたよ。何もできず、ただ他人にすがるしかないちっぽけな人間なのよ」
と言った。私が何も言い返せず黙っていると、「私」は言葉を続ける。
「あなたはいずれ気づくわ。あなたの運命に、秘匿された真実に! そこで知るのよ、本当の自分を。あなたは何者でもなく、何者にもなれないってね!」
彼女の言葉は意味不明であった。何を言いたいのか全く要領をえない。
「それってどういう……」
途中まで言葉を紡ぐが、最後まで話し切ることはできなかった。「私」がよくわからないことを言った後、突如視界に急激な変化が訪れた。「私」の顔を中心として渦を巻くように景色が歪み出す。「私」と白い世界が混ざり出し、一面真っ白の世界が形容しようがない濁った色へと変わっていく。気づけば私もその渦に巻き込まれていた。自分と世界の境界が失われ、ぼんやりとしたよくわからない感覚に包まれる。体の制御が効かない、身動きが取れない。
「きゃあぁぁぁぁぁ!」
声を上げた瞬間であった。私は馬車の中で長椅子に座っていた。隣を見るとロストスがいて、前にはヨーデルがいる。
「「アメリス様(さん)、大丈夫ですか!」」
二人が同時に私に向けて言葉をかけてくる。二人ともその表情は鬼気迫るものがあり、本気で私を心配してくれているようだ。
「ええ、大丈夫よ。ちょっとうなされちゃったみたい。変な夢を見たのよ」
私は深呼吸して息を整える。頬には冷や汗が伝っていた。
「すみません、起こせばよかったですね。もうすぐで僕の屋敷に到着します。そうしたら少し休んでください。おそらくバルトさんとの面会は早くても今日の夜になると思いますから」
ロストスはそう言いながら私にハンカチを差し出してくる。好意に甘えて、額に浮かんでいた汗と拭き取らせてもらった。
もしかしたらお父様に会うということで緊張してあんな夢を見てしまったのかもしれない。いけない、切り替えないと。
私は再び景色を見て心を落ち着かせることにした。太陽はまだ高いものの真上というわけではない。時刻は午後三時ごろだろうか。窓から見える景色は相変わらず楽しそうに遊んでいる子供達の姿を映し出していた。一方で窓そのものには反射した私の顔が写っており、夢で見た「私」の姿がちらついてしまった。
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