第4話 卵焼き
ジュー…
何かを焼いている様な音に、俺は重い瞼を開けた。
頬を撫でる優しい風と、それに乗って俺の鼻孔をくすぐる甘い匂いとのダブルパンチで俺の意識は完全に覚醒する。
「んん…なんだこの匂い」
いつの間にかベッドに居ることに驚きながらも、俺は上半身をゆっくりと起こす。
なんで俺ベットに…寝落ちしたのか?
ぼやける視界を整えながら辺りを見回すも、いつもと同じモノが同じ配置であるだけ。
あまりの変化の無さになんだかあの時の俺に戻ってしまったような気がして、俺は少しため息を着いた。
「そうだ、ゆりなさんは」
幸い、昨日起きた事を夢だと思うラノベの主人公の様な愉快な脳を俺は持ち合わせていない。
ベットから降りると、すぐ様俺は畳3枚分のリビングへと続く扉に手を伸ばして────
バッ!
「わ?!」
瞬間、丁度あちらも扉を開けようとしていたのか、エプロン姿のゆりなさんはお玉を持ったまま豪快に尻もちを────着く前に、俺は彼女の手を取ってその華奢な体を支えた。
片手を腕に、もう片方の手を彼女の腰に当てる。
触れた二の腕はこれまであったどんな人よりも細く、そして柔らかかった。
どこかで二の腕の柔らかさは胸の柔らかさと言う迷信を聞いた事があるが、まぁそんなのは迷信に決まっているので俺はガッツリと彼女の腕を掴む。
「大丈夫ですか?!」
「あ…うん」
俺が言うとゆりなさんは、お玉を両手で抱きしめながら覇気のない声でそう答える。
どうしたのだろう?
頭でも打ったのだろうか。
心配になった俺は、ゆりなさんの頭に手を伸ばす。
サラッ
「ひぇ…?!」
なぞる様に優しく、髪と髪の間に通る輝の手。
それはやっぱり男の子なんだなと実感する程、ゴツゴツしていて、骨の感触があって、少しの温もりがあって…。
「血は出てないな。でも膨らんでくるかも知れないから氷で────ゆりなさん?」
顔を見るとそこには、口を手で抑え、顔面を真っ赤に染めているゆりなさんが。
俺は心配になりどうしました?と聞くと。
「君は…誰にでもそういう風に接するの」
「え?」
「っっなんでもない!!」
────
「頂きます」
「頂きます」
2人の声が、狭いリビングに重なった。
目の前に並ぶ朝食は、全てゆりなさんが用意してくれた物だ。
味噌汁にご飯、おかずはウインナーと少し焦げが目立つ卵焼き。
一般的に見れば普通なのだろうが、自炊しない俺からしたら、よくこの家の冷蔵庫からこんなに料理を作れたものだなと感心するほどだ。
ゆりなさんはウインナーにまず箸を伸ばすと、パリッと言う音を立てて豪快に頬張る。
むふふ…
たかがウインナーをこんなに幸せそうに食べる人を初めてみたので無意識にも俺の視線は彼女に奪われる。
と、無言になっていた俺にゆりなさんが。
「…食べないの?」
「え、あっいや…頂きます」
パクッ
まず俺は、ゆりなさんと同じウインナーを頬張った。
パリッと言う弾けるような音を立てて、口の中はウインナーの塩味でいっぱいになる。
気にしてないを装いながらもチラチラと視線をよこすゆりなさんに、俺は美味しいとつぶやいて、今俺がいちばん疑問に思っている事を聞いた。
「あの、なんか当たり前の様に朝食まで作って貰っちゃってるんですけど…なんで俺の家に居るんですか?」
今世紀最大の疑問である。
彼女が1年前に姿を消したゆりなという事は分かったが、素朴な疑問────彼女は何を目的に俺に、言ってしまえば今更接触して来たのか。
別に怒っている訳でも問い詰めている訳でもない。
ただ純粋に、彼女の真意を聞きたかっただけだ。
ゆりなさんは俺の問に半分の長さになったウインナーを口に放り込むと、バッと勢いよく俺の顔を指さして。
「君はこんなか弱いレディにあんな夜道を歩かせる気だったのかい?」
「えぇ…」
勝手に家に行きたいとか言っておいて何を言っているんだとツッコミたい所だが、もちろんそれは冗談だったらしく。
ゆりなさんは、あはは冗談だよ〜と笑う。
そしてふと、箸を箸置きに置いた。
「茶化しても無駄だと思うし、率直に言うね。私は、1年前の君との約束を果たす為に来た」
「1年前の…約束」
言葉を反芻する俺に、ゆりなさんは小さく頷く。
”1年前の約束”それはもちろん、あの告白の事だ。
生焼けのまま終わってしまった、あの告白の。
ゆりなさんはポリポリと恥ずかしそうに頬をかくと、優しく俺に微笑む。
そしてあたかも手紙を持っているかのように形作った両手を差し出して、こう言った。
「私から君への、1年越しの逆プロポーズだよ」
「…」
無音だけれどうるさいと思えるほどの何かが、俺の胸の中を渦巻いた。
今の俺には、彼女なんて居ない。
ゆりなさんの事も、別に嫌いじゃない。
むしろ数時間のこの付き合いで、その明るい性格に惹かれたのも確かだ。
でも
でももし、彼女がただの罪滅ぼしとして俺なんかと付き合おうとしているのだとしたら。
それは多分、間違っている。
なにより俺が、不安なんだ。
だって…俺は絶対、ゆりなさんには相応しくないから。
「ありがとう………でも、ごめん」
「…理由を、聞いても良いかな」
せっかくの女の子からの告白を断ったのに、存外ゆりなさんは冷静だった。
ただ真っ直ぐな眼差しで、俺の瞳を見つめる。
「多分ゆりなさんは、俺にふさわしくない。俺は人と話すのも苦手だし、なるべく関わりたくも無い。ゆりなさんの事は好きだよ。でも俺は人の事が好きじゃないんだ。だから君とは…」
付き合えないと、そう言おうとしたその時。
ゆりなさんは自分の箸で卵焼きを取って、俺の口元に差し出した。
「え?」
「はい!」
なかば強引に、口の中に放り込まれるまたご焼き。
「どう?」
「う、うん美味しいよ…」
「ふふ、無理しなくてもいいのに」
口に手を当てて笑うゆりなさんは、不思議と嬉しそうだ。
「
「苦手料理…」
「いつか君に食べさせたくて練習したんだけど…まだかかりそうかな」
そう言ってゆりなさんは、お手本の様な苦笑いで自分の手を見つめた。
その手には、目立たない様に貼られた肌色の絆創膏が。
「…」
「黙り込むほど不味かったかな?」
「いや、そうじゃなくて…」
…ただ。
一生懸命朝早く起きて、知り合いとは言えほぼ互いの事を知らない俺に対して、あえて自分の不得意な料理を出すところが、俺はゆりなさんらしいって…そう思っただけだ。
思っている事を口に出せたら、どんなに楽だろう。
やっぱり黙り込んでしまう輝に、ゆりなは微笑む。
そして優しく、俺の前髪をかき分けた。
「私は1年越しに君に会ってとっても楽しかったよ。…それだけじゃ、ダメかな」
ゆりなさんのはにかみ笑いが、顔と顔約30cmほどの距離で俺を見つめた。
互いの吐息が感じられるその距離で、俺は────やっぱり、不安だった。
ゆりなさんに対してじゃない。
自分に対して。
付き合うのは、百歩譲って良いとしよう。
でもその後は?
付き合った後は、どうすればいい…?
付き合った後の事を考えると、不安でたまらなくなる。
俺は君を喜ばせるスキルなんて持っていない。
女の子との過ごし方だって分からない。
付き合った後の不安が、付き合う事を拒絶する。
────唇を噛んで、俯いて、たまに何か言いかけて。
輝のその様子にゆりなはまた、なんとも言えない表情で微笑んだ。
ゆりなからして見れば、突然現れたズルい女にこんなに真剣に悩んでくれる事が、すごく可笑しかったからだ。
正直、拒絶されるかもと思っていた。
出会い頭に怒鳴られるかもって…そうも思った。
────でも。
君は想像以上に、私の記憶通りの人だった。
なにも変わってなんか居なかった。
だって君は、私がゆりなだって明かした時「良かった」って言った「ありがとう」って言ってくれた。
私はその一言が、本当に嬉しかった。
…1年間の苦労が、全部報われたと思った。
だから────。
私のこれからの1年を、君にあげる。
偉そうかな。ううん。いいの。分かってる。
君なら…いや輝なら、絶対に許してくれる。
ゆりなは顎に手を当てて悩む輝の手を、ガシッと掴む。
そして俯く輝の視線を、無理やり自分に向かせた。
「輝がもし付き合うのが嫌なら、一緒に過ごすだけでもいい。友人からでもいい。知り合いからでもいい。輝と同じ空気を吸って、同じ温度を共有出来れば、私は満足なの」
こんなにズルい事を言える自分が怖い。
人は窮地に立つと、何をしでかすか分からないと言う言葉が、心底今のゆりなにハマっていた。
「だから、だからね────」
「ふっ」
ふと、突然笑い声がゆりなと輝わずか数センチの場を支配した。
急に口を抑えて笑い出す輝に、ゆりなはぽかりと口を開けて呆けた様に輝を見つめる。
「ごめん、あまりにもゆりなさんが必死だから」
弾んだ口調で言う輝に、ゆりなも思わず笑みがこぼれる。
何度も言うが、2人はほんの数時間の付き合いでしか無い。
それでも今この時を共有出来ているのは、2人の無邪気な性格が関係しているに違い無いのだろう。
ひとしきり笑い合うと輝は、はぁと息を吐いて呼吸を整える。
そしてじゃあと、呟いた。
「まずは、お友達から」
白紙のラブレター 四方川 かなめ @2260bass
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