第42話 医療棟
「あいつは、お菓子を好んで食べるのよ」
「お菓子、ですか……」
「それはどう繋がるんです?」
鳴宮はシンプルな疑問を投げかけた。
「中島が看守になって一度だけ体調を崩したことがあったのよ。その時にね、自宅に帰って看守塔がもぬけの殻になったの」
「じゃあ、どうにかして体調を崩させればいいんですね」
「ええ。そこでお菓子が重要な気がするのよ」
島内看守のアドバイスを聞いて、鳴宮は意味不明と言いたげな様子だった。
でも、僕はその関連性に気づいていた。
「もしかして、『毒』を混ぜるつもりですか?」
僕が問いかけると島内看守は静かに頷いた。
「ええ。でも、具体的な案が無いのよね…………」
島内看守はそれっきり黙ってしまった。
ただ、他に方法はなさそうな気がする。それにイライラさせられてきた復讐としては適解だと思えた。
「まあ、私が協力できるのはここまでね。健闘を祈るわ」
島内看守は申し訳なさそうな口ぶりで言いながら、僕らの房か去って行った。
女子三人は話し終わった後、奥のベッドで雑談をしていた。どうやら遊馬が暇を持て余していたようで、かまってちゃんと化したようだ。
しかし僕はそんな三人を横目に今後の手立てを考察する。
ここまで僕が言ったことのない場所は看守塔と、旧男子棟、そして職員棟の一部だけ。だから考察材料が十分にあるのだ。
もし島内看守の言う通り、
お菓子に毒物を仕込み体調を崩させ、
その隙に看守塔で調査を行うという運びにするなら、必要不可欠な物がいくつか存在する。
まずお菓子。
これは、中鹿看守室の部屋に侵入した際、お菓子が大量に入った棚があった。
次に毒物。
この入手がなかなか難しい。気分を悪くするのなら下剤が候補として浮かび上がってくるが、睡眠薬を投与し眠らせるという手段もよさそうだ。
もしかすると医療棟に存在するかもしれない。
最後に、毒の入ったお菓子をどうやって食べさせるか。
島内看守曰く、看守塔に籠り切りだとの事。ならどうやってお菓子を仕込むかが重要になってくる。
そこら辺は島内看守との話し合いが必要不可欠になるだろう。
一度思考をまとめよう。
まずは材料の入手。主に毒物と混ぜる用のお菓子。
その後、島内看守と協議を重ね、毒物入りお菓子の仕込みを行い、食べさせる。
そして中島看守がいなくなり、もぬけの殻と化した看守塔に潜入。重要アイテムを奪取。
これが僕が思い描く完全犯罪への道筋だ。
こう考えると僕、本息の犯罪者じゃないか……?
僕はなんとなく気分が重くなった。
「来栖、何か思いついたのかしら?」
「まあ、一案ある」
「聞かせてもらえる?」
鳴宮は僕の隣に座り、僕が数刻前に考えた流れを説明した。
そして一しきり終わった後、ゴキブリを見るような目で僕に辛辣な言葉を放った。
「あんた、犯罪者の素質あるわよ……?」
「それは僕も思った――――――でもさ、今言っちゃ駄目じゃない?」
「言いたくもなるわよ。だって完璧すぎるんだもの。経験者かと疑うわ」
「お願いだからサイコパスまでに留めておいてよ……」
僕は心底ショックを受けた。
「でもそうね、まずは毒物の確保からってとこかしら」
「ああ。今晩から確保に動いた方がよさそうだな」
「医療棟行ったことあるの?」
「ないな」
鳴宮の問いかけに僕は首を振りながら答えた。
「じゃあ、私が行くわね」
「了解。だけどトランシーバー繋いどけよちゃんと」
「もちろんよ。あなたのアドバイス無いと心細いもの」
鳴宮は珍しく僕を褒めるような言葉を使った。
「どうした、頭でも打ったか?」
「は? いきなり何言うのよ」
「だって僕を褒めるなんて、何かあったって思うでしょ」
「別に思ったことを言ったまでよ」
僕はテキトウな相槌を打ちながら訝しむ様子で彼女を見る。
「まあ、良いわこの件は現実世界に戻った後じっくり話し合いましょう」
「それが怖いんだって……」
僕は鳴宮に聞こえないくらいの音量で言った。
僕らの会話はひと段落を見せ、再び四人での会話に移る。
今は朝方のため、行動まで時間がある。
この時間が唯一心休まる時間で、僕は堪らなく嬉しかった。
しかしそんな時間が長く続くわけもなく、すぐさま深夜はやってくる。
「じゃあ、行ってくるわね」
「ああ。あんま無理すんなよ」
「分かってるわよ。じゃあ、報告待ってて」
鳴宮は言うと逞しい表情でダクトの方角に歩いて行った。
追随するように監視カメラ切断のため、しずくが時間差でダクトにもぐりこんだ。
三回目ともなれば雰囲気も掴めてくる。
ヒリついた空気もなんだか馴染むようになってしまった。
慣れという、人間が会得した最強のスキルが、今猛威を振るっている気がしてならなかった。
「切ったよ~」
「はいよ。しずくも慣れたもんだな」
僕は鳴宮に伝えながらしずくに伝えた。
「まあ、短い時間で何度もやってるしね~」
しずくは謙虚に答える。
「そっか。お疲れ様、ゆっくり戻ってきて」
「は~い」
しずくは返事をすると通信を切った。そして、鳴宮の作戦に本腰をいれる。
「看守塔の前を抜けて、今は医療棟と看守塔の間で隠れてるわ」
「分かった。通信は繋いだままで何かあったら必ず連絡してくれ」
「了解」
鳴宮は簡潔に応答する。
はぁ、はぁ……
荒い息遣いだけがトランシーバー越しに聞こえてくる。
緊張感と一瞬のスプリントを続けて、体力の消耗も激しくなっている様子だった。
「やっと医療棟には入れたわ」
籠ったような鳴宮の声が聞こえた。
「どんな感じだ?」
「そうね――――――平屋で部屋数自体は多くないんだけど、職員が至る所にいて厄介ね」
「なるほどな……」
僕は困り果てた様子で相槌を打った。
「どうする? とりあえず一旦待つ?」
「ああ、そうする他無いだろうな」
僕はそう答えると同時に疑問を抱く。
――――深夜に何やってるんだ?
「今医療とに何人いる?」
「ちょっと待ってね――――――えっと、大体七・八人ってとこじゃない」
「その職員が何してるか教えてくれるか?」
「なんかコソコソ話したり、薬の仕分けをしたり、作業してる人が多いわね」
「分かった。もうちょっと見張っててもらっていいか」
「ええ、分かったわ」
僕はしずくに指示を出した。
もしかすると、状況を打開できるかもしれない。
僕は淡い期待を胸に、報告を待った。
「今のところ変わった様子は無いわね。強いて言えば、調合してる薬が怪しいってとこじゃないかしら」
そうか、となると『あれ』の線が強いのかもしれない
「鳴宮、変だと思わないか?」
「別に薬の調合で思わないわよ。周りに人もいるし、変なのは時間ぐらいで――――」
「そう、時間だよ。どうしてこの時間に調合する必要がある? 別に昼間でも良くないか?」
「でもさ、他の仕事があって出来なかった事かもしれないわよ?」
「だったら翌日に回す事だって可能だ。しかも調合は必要になった時にやればいい」
「なら、何だって言うのよ」
「もしかすると、職員も僕らと同じことを考えているのかもしれない」
「同じ事って、まさか……」
「ああ、復讐だよ」
僕は冷静に言い放った。
「でも、どうして職員が?」
鳴宮は典型的な返答をする。
「あくまで可能性だが、内村派の職員たちで中島に復讐心を持っていた。だから中島がいない時間を狙って薬を調合、薬を投与し殺す」
「けど、どうやって確かめるの?」
「とりあえず見張るしかないんじゃないか?」
「やっぱり長期戦なのね……」
「ごめんな。キツくなったら交代するから」
「ええ、頼むわ」
鳴宮は言うと、静寂の雰囲気を作り出した。
彼女の真下では白衣を着た白髪の男性職員が錠剤や粉薬を調合し、事前に並べて置いた円形の白い紙に分けて、綺麗に包むとジップロックにしまった。
「ねえ、薬を鍵付きの引き出しにしまったんだけど」
「よほどバレたくない代物なんだろうな」
「そうみたいね。いちいち隠す必要は無いもの」
鳴宮は言うと押し黙ってしまう。
「鳴宮?」
僕は彼女の名前を呼んだ。しかしすぐに返答は無く、少しの静寂を挟んで、静かに一言言った。
「————ちょっと行ってくるわね」
「ああ、気を付けろよ」
僕は彼女の意図を理解し、穏やかな声色で背中を押した。
それから少しして、トランシーバーから声が聞こえてくる。
「おい囚人……! 何でこんな場所にいる……!」
どうやら白髪の職員のようだ。随分とうろたえている。
「あなたこそ、こんな時間に何をしているのかしら?」
鳴宮は声色を変えない。
冷静沈着で態度も毅然としているようだった。
「なんでお前に応えなくちゃいけないだ……!」
熱くなる職員は今にも警報装置を押しそうな勢いだった。
「もしかして内村さんに何か言われたのかしら?」
それを察したのか、鳴宮は踏み込んだ質問をする。
流石の職員も面食らった様子で、言葉を放つことが出来ない様子だった。
「————内村さんは、関係ねえよ」
「ふーん、じゃあ島内看守に報告しても問題ないわね?」
「そ、それは…………」
どうやらやましい事をやっていたのは間違いなさそうだ。
「あなたも内村派の人間なの?」
「お前、囚人のくせによく知ってるな。ああ、そうだよ。医療棟の職員は多くが内村派だ。ここに残ってる職員は全員な」
さっきとは打って変わって、職員は諦めの声色に変わっていた。
「さったら私たち手を組まない?」
「は? お前囚人だろ? そんなことでき訳ないだろ」
「私たちが内村さんから頼まれた脱獄囚だとしても?」
「お前らだったのか、内村さんに協力してる囚人て」
「ええ、だから協力お願いできない?」
鳴宮がダメ押しとなる嘆願を職員に言った。しかし職員は悩んでいるようで、唸り声が聞こえてくる。
「さすがに勘弁してくれ。俺らにも立場ってもんがある」
「そんな怪しい薬作ってたあんたが、何立場気にしてんのよ」
鳴宮はクリティカル級の正論を直球でぶつけた。
「お前、口の利き方には気を付けろよ。今すぐにでも看守呼んでもいいんだぞ」
「呼べばいいじゃない。私も中島看守に言うから」
「————脅す気か」
「ええ、私たち立場は対等よ。だから手を組むのが賢いと思うけど」
鳴宮は上手く丸め込むように言った。
「仕方ないな――――それで何が欲しいんだ」
「私たちも中島に毒を盛りたいの。でも致死性じゃなく、体調を崩させる程度の毒が欲しいのよね」
「そんだけでいいのか? ならこんな会話しなくても方法はあっただろ」
「いいのよ。仲間は多い方が心強いもの」
僕はこの言葉を聞いて心が温かくなった。
「そうか。ちょっと待っててくれ。お目当てのものを持ってくるから」
職員は言うと、大量の薬の中から目当ての品を探し始める。
「多分これで大丈夫だろうな」
「これは?」
「下剤だ。大量に飲ませれば体調を崩すぞ」
「錠剤ね。何か飲み物にとかせばいいのかしら?」
「そうだな。酒とかに混ぜておけばバレないぞ」
職員のアドバイスを聞いて、鳴宮は納得した様子を見せた。
「そうね、ありがとう。何かあったらまた来るわ」
「ああ、好きにしろ。約束だぞ、俺らの計画を内村さんに話すなよ」
「ええ、約束するするわ」
鳴宮は言うと、ダクトへ上がっていった。
彼女は危なげなく房へ戻ってくる。
トイレから顔を覗かせた彼女は達成感に満ちた表情だった。
僕らの計画は更に一歩前進した。
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