第37話 進歩
「じゃあ、行ってくる」
「ええ、くれぐれもへましないように」
「耳が痛いって――――でも、肝に銘じておくな」
鳴宮は俺が犯した過去のミスを弄るような言葉を、真剣な眼差しで言った。
もちろん僕の心は刃物に刺されたかのごとく痛むし、再発防止を固く誓った。
僕はダクトに入り職員棟に向かう。
幸運なことに男子棟時より、リスクが下がった。更に、草むらを通る心配もないし、トイレで鉢合う機会も少なくなった。
中島派の計画に感謝する日が来るとは思いもよらなかったが、礼だけは言っておこうと思う。自分の首を絞めてくれてありがとう、とね。
僕はやさぐれた心持のまま、慣れた様相で職員棟までたどり着いた。
島内看守の言葉通り、看守の徘徊が見られない。どうやら、人が減ったという供述は事実だったようだ。
職員棟にも人の気配はなく、脱獄囚の思うつぼだった。
昨夜同様、ダクトに上り相変わらず天井上から室内の様子をうかがう。
お目当ての監視カメラ制御室に着き覗き込むと、人の姿は無く、人手不足で出払っている様子だった。
僕はこの機会を逃すまいと、すぐさまダクトから降りて制御室に侵入した。
病院のように白を基調とした部屋で、鉄製の頑健な両開きドアの反対側に、数十個のモニターが壁中に張り巡らされていた。モニターの下には、『拡大縮小』『警報』『シャッター開閉』など監獄内の制御装置がある。その中で、僕は目当ての機能を発見した。
『電源on・off』
僕は赤いボタンを押した。
その直後、僕は我に返ると、急激に体が冷えてくのが分かる。
勢いで押しちゃったけど、やばいかな……
僕はモニターが次々と真っ黒に変わっていくのを見て、徐々に不安感が募っていった。そして機能が完全に停止した時、部屋には静寂だけが流れ、危惧した事象は免れた。
僕は安堵したとともに、一つの仮説を思いつく。
そこで、すぐさまダクトに戻り、制御室の様子を見ていた。
十分ほどダクト内で見張っていたが、何ら変化は見られない。
僕は急激な不安に襲われると、ポケットからしずくに借りたトランシーバーを取り出す。
「鳴宮聞こえるか?」
「ええ、聞こえるわ。どうしたの?」
鳴宮は平然とした様子で答えた。
「なんか変化あったか?」
「今のところないけど――――――何かあったの?」
僕は自分の考えと、現在の状況を合わせて説明した。
「なるほどね――――――でも、今のところは何も無いわね。私一度自分の房に戻ったけどなんも無かったわよ」
「という事は変化なし、って捉えてもいいのかな」
「ええ、その認識でいいと思うわ」
鳴宮は自信ありげに肯定した。
「なら、鳴宮。これからは監視カメラに怯えなくても探索できるかもしれないぞ……!」
僕はテンション高く言った。
それもそのはず、探索で一番と言えるほどに邪魔者だったのが監視カメラだった。
囚人たちの動向を逐一監視し、看守へ報告される。その情報源が絶たれたのだ。
これは大きい一歩と言えるのではないか?
「でも、忘れないでよ」
「何がだ?」
「監視カメラが永遠に機能不全のままな訳ないでしょ」
「あ、ああ。流石に分かってたよ……」
鳴宮は冷静に僕の有頂天を叩き落とした。
「行動の度に停止させた方がいいでしょうね」
「だな。いくら夜間時間、手薄になるとはいえ、防御の中枢だから甘く見ちゃいけないな」
「あら、あなたにしては物分かりがいいじゃない」
「一言余計だっつーの……」
僕は苦笑いを浮かべながらトランシーバーの通信を切った。
ただ、鳴宮の言動が正しいのも理解できる。
これで行動しやすさが上がっただけで、根本的な解決には至っていない。
僕は職員棟の捜索を継続する。次なる手掛かりを求めて、ダクトの中をひた走った。
その間鳴宮は、同じくダクトを通り、房の人物を隈なくチェックしていた。しかし、中々手掛かりを得ることはできない。
鳴宮は焦っていた。
――――私、何もできてないわね
彼女の心には無力感で一杯だった。
二人は信用の象徴。
穏やかな刑務所ライフを謳歌し、不審な行動を一切せず、看守たちからの評価も高い。だから、私が怪しい行動をしても二人の説得力でもみ消せる。
となれば、二人に行動を任せるのは得策とは言えない。
――――私だけね、ミッションをこなせてないのは
鳴宮は自身への失望感と、結果を出したい焦燥感に駆られ、身体に力は入る。
徐々に手際が悪くなり、足取りも重たくなった。
埃まみれのダクトにも、意外と声が聞こえてくる。
裏を返せば、私が出した音も外に丸聞こえという事。なら、私の一挙手一投足が房の囚人たちに筒抜けだ。
とりあえず、次なる房に潜りこむ。
現在女子棟1階の中央部分。鳴宮は不慣れな様子で手際悪く、トイレのダクトから侵入した。
トイレの扉をそっと開け、騒がしい女達の声を聴いている。
内容は他愛も無いという言葉もおこがましいほどに、内容の薄い興味の持ちようがない話題を展開していた。
鳴宮はため息をつきながらダクトに戻る。
この後も異なる雰囲気が流れている房を幾度となく侵入を繰り返すも、成果は皆無に等しかった。
それからも活動を続け、3階まで確認したが変わった様子は無い。しかし、正確な時刻は分からないが、徐々に会話量が減っているのが分かった。
鳴宮はチャンスだと思った。
これから囚人は睡眠に入る。
なら、行動音にさえ注意すればバレる可能性は限りなく低い。
――――私だけじゃなくて、スパイだって活動しやすいはずだ
鳴宮はその思考に至り、身体が高揚していくのが分かる。
仮定が確信に変わり、失望が希望へと変化する。
そして、可視化できる成果として手元にやってきた。
鳴宮は、怪しげな女の声をダクトから耳にした。どうやら電話口の声のようだが、些か違和感を覚えざるを得ない。
ただ、彼女がスパイだと仮定した場合、周囲への警戒心が極端に上がっている可能性が高い。となれば、些細な物音が命取りになりかねない。
鳴宮は細心の注意を払って、房内へ入っていく。
「————はい。今のところ、問題は無いです」
女の囁き声が微かに聞こえてくる。やはり、現場での状況報告だろう。
「————いや、まだわかっていません――――――はい、はい、すいません……」
女は頻りに謝るような言葉を出している。どうやら下っ端のスパイのようだ。
「——————分かりました。継続して捜索します」
女は電話を切ると、すぐさま布団の方向に歩き出した。
鳴宮は、迷っていた。場所も覚えたし、また帰ってくることはできるが、この機会を逃せば、何か不利に働く出来事が起きてしまう予感がした。
――――よしっ!
鳴宮は、トイレの扉を少しずつ開く。
案外さび付いた扉の開閉音にしては、音が小さく、行けると確信していた。
――――あれがスパイか
鳴宮はドアの隙間から体をよじり、布団の方角へ目線を向ける。
そこにいた女は囚人服を着た金髪ロングの女だった。
ベッドに座り込みどこかに連絡を飛ばしているようで、親指があらゆる方向に動いていた。
女の特徴は、なにより胸の大きさ。しずくと遜色ない大きさで目を惹くトレードマークのようだった。座高から身長も高いことが予想され、腰まで伸びる金髪は彼女の華やかさを増していた。
鳴宮は確認した後、静かに扉を閉めた。
――――やった、これでみんなに良い報告が出来る……!
鳴宮は有頂天になっていた。
高揚した気分のままダクトに戻る。
そのまま足早に自分の房へ向かった。
――――ガタン……‼
自分の房と、スパイの房のちょうど中間地点。高揚感の中にいる鳴宮が振り返ると、光が見えた。
「おい……‼ そこにいるのは誰だ……‼」
女は鳴宮に大声で叫びかける。
もちろん鳴宮は無視。急ぎ足で房に戻った。
一度、速度を落とし後ろを振り返る。報告中なのかダクトを閉じて、房に戻ったように見えた。
鳴宮はすぐさまダクトから房のトイレに戻る。そしてトイレに座って、一度霊性になるように試みた。
「お帰りー!!」
「え、ええ……ただいま……」
鳴宮は遊馬の顔を見て安堵の胸中で一杯になったのだった。
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